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2:朝のナパームの匂いは格別っていうけれど

視界は、鉛のような空と、焼けた大地に分断されていた。


軍用ヘリコプターは高度1500。振動は鈍いが、プロペラの唸りがすべてを震わせる。

窓の外には、焦げた山腹と、黒ずんだ熱帯樹。

その間を縫うようにして、苔むした道路と、遺棄された車列の残骸が見えた。


アラヤは、シートベルトすらしていなかった。

服装は熱帯地域用の迷彩戦闘服。いつもように腰のホルスターには消音拳銃を収めている。

頭には水色のベレー帽。

今回は革命政権の軍事顧問である、アレクサンドラ少佐という身分でヘリに乗り、革命政権の前線キャンプへヘリコプターで移動していた。


傾いたヘリの床に片足を伸ばし、片手で携帯レーションパックを開く。

袋の中から取り出されたのは、タンパク圧縮バー。

硬く、油っぽく、甘いのかしょっぱいのか判断がつかない味。


だが――アラヤは無表情のまま、それをかじった。


コクピットから漏れてくるのは、雑音混じりのラジオ放送。

かすれたボーカルが、反戦を嘆くスローロックをうねらせていた。


♪「俺は億万長者の息子じゃない、本当の幸運は――」

♪「どんだけ国に捧げればいいんだ? そしたら奴らはもっと!もっと!と――」


後部座席に腰かけたラーダが顔をしかめた。


「よく食べられるわね、それ。空気の味で十分って感じだけど」


アラヤが淡々と答える。

「食べないとやってられない」


「ナパームの匂い、ひどくない? 湿気で電子皮膚がベタつく。

あたし化粧も落ちるし、正直もう帰りたいんだけど」


アラヤは、咀嚼の手を止めずに返した。


「朝のナパームの匂いにはもう慣れたわ。

それに……アンドロイドが化粧なんかしないでしょ」


「やるやつもいるわよ。情のある主人がやってくれることもあるわ」


「じゃあ、私は情のないご主人?」


「いいえ。また上に振り回される苦労人…ってところかしらね」


その時、機内スピーカーからヘリパイロットの声が響く。


「まもなく前線キャンプです。着陸準備を」


アラヤは最後の一口を噛み、残りのパックをラーダに放り投げた。

それを片手でキャッチし、ラーダは嫌そうに眉を寄せる。



着陸――如楠州前線キャンプ“ラ・コルドン”

赤土の滑走路に舞い上がる砂。

着陸した瞬間、靴底から伝わるのは、熱ではなく――泥の冷たさ。


アラヤがヘリから降り立つと、革命戦線の数名が迎えに立っていた。


中央にいたのは、コンバットベストにスカーフを巻いた中年の男。

革命戦線南部戦線・現地司令官、ドゥオン。


彼は歩み寄りながら、やや困ったように口を開いた。


「お待ちしておりました……アレクサンドラ少佐、で間違いないですね?」


アラヤは表情を崩さず、ドゥオンに敬礼する。


「しかし……失礼ですが、随分とお若く見える。

おいくつで?……いや、いや、これはその――」


すかさず、ラーダが割って入る。

「あんた、知ってる? 魔女に年齢を聞くとカエルにされるわよ」


「おお……っ、これは大変失礼しました!」


「いいの。気にしないでください」


アラヤが無感情に微笑を乗せる。

「いや、その……我々の兵力構成も少年兵が多くてですね。

最近は、誰が“正規”で、誰が“子供”なのか、もう分からなくなってきてるんですよ」


アラヤは何も言わず、視線を横にずらした。


キャンプの中を見渡す。

銃を担ぐ者の中に、アラヤより背の低い子どもが混じっている。

歯の抜けかけた少年。

鼻血を止められずティッシュを詰めた少女。

笑い声。銃声。煙と油のにおい。


「……一刻も早く、この戦争に勝って、

彼らを“大人にしないと”いけませんね」


「ええ。それが“革命の義務”というやつです」


ドゥオンが小さく頷いた。


ラーダがアラヤに耳打ちする。


「革命が子供を大人にするって、変な話ね。

その逆もたくさん見てきたけど」


アラヤは答えなかった。

空にはヘリの影が消え、代わりに灰色の雲が降りてくる。


「少佐、司令部に案内します」


「……了解。案内をお願いします」


彼女の足元を、泥水が音を立てずに吸い込んでいく。

湿った大地の下には、いまだ記録されていない死と希望が、静かに眠っていた。




夜の空気は、土と金属のにおいが混じっていた。


司令部の作戦室は半ば崩れかけた旧庁舎の一角を急造で補修したものだった。

むき出しの鉄骨に巻かれた蔦が風に揺れ、ところどころから虫の翅音と遠くの銃声が聞こえる。


中央の作戦テーブルには、手描きの地図と、上空偵察写真、ラーダが翻訳した傍受記録、そしていくつかの死者リストが重ねられていた。


地図の上に吊るされたランタンの赤い光が、焦げた境界線を静かに照らしていた。


その地図を囲むように、三人の影が立っている。


──ドゥオン司令。

──ヴァン。連邦出身のシークレットサービス。

──アラヤ。表向きは軍事顧問として派遣された「アレクサンドラ少佐」、その正体は人民武力総局のスパイ。


背後の壁際にはラーダ。

情報端末を構えながら、視線を動かさずに傍受された音声の断片を解析していた。


ドゥオンが地図を指さす。

「……ここだ。ラムク村北部の丘陵帯。

制圧したのは鼻国第九軍団だが、問題はその背後にいる“連中”だ」


指の先に滲む赤インクのマークが、三度塗りつぶされていた。


「──帝国の非正規部隊。『陸軍情報省・第3特殊任務分隊』。恐らく鼻国の軍閥連中を唆したのも彼らだろう」


ヴァンが嗤う。

「また帝国かよ。懲りねえな。

“非正規”って肩書きひとつで、拷問も暗殺も国際法の外でできると思ってやがる」


彼の声はいつも通り軽かったが、その眼だけは射抜くように鋭かった。


ヴァンはラーダの端末を覗きこみ、断片的な音声記録に目を走らせた。


ドゥオンはヴァンを見据える。

「君の連邦と違って、帝国は記録を信用しない。

──“記録されないこと”そのものが、奴らの戦術だ。

我々の“解放区”はじわじわと噛み殺される。

正規軍は動けない。なら、非正規で返すしかない」


アラヤは沈黙していた。

彼女の前髪がわずかに揺れ、ランタンの灯が瞳の奥に影を落とす。


アラヤが静かに見地を述べる。

「夜間奇襲……ジャングルの樹高は遮蔽になります。

航空支援が無理でも、魔術干渉は比較的薄い。

我々にとっては好都合」


ドゥオンはうなずき、唐突にヴァンの方へ手を向けた。


「……アレクサンドラ少佐。

ご紹介が遅れた。彼はヴァン、我々が企業連邦から雇用した“シークレットサービス”のひとりだ」


アラヤはシークレットサービスという語彙を反芻する。

シークレットサービス――企業連邦は国家機関ではなく、企業や個人が金次第で傭兵や特殊作戦、あるいはスパイなどの任務を行うことがしばしばあり、それらは企業連邦の重要な対外工作の一つとなっていた。そうした活動が“シークレットサービス”と総称されている。


目の前に立つヴァンという男もまた、革命政権に雇われた傭兵兼特殊部隊員、というところである。


「先のロンタイ高地の作戦では、彼の率いる部隊が帝国の封鎖を破って突入を成功させている」


「記録に残らない戦争ばかりですね」


アラヤが軽く会釈する。


「残っても、どうせ改ざんされるからな。

……少なくとも“俺の弾”だけは正確だったって記録しとけよ」


ヴァンが肩をすくめた。


そこへラーダが背後から控えめに報告する。


「ところで……“白塗り”も確認されています。

帝国の『第3特殊任務分隊』に同行中か、あるいはその本体がそうなのか」


ラーダは映像の断片を投影する。

そこには顔を白く塗った兵士たちの、無言の行軍映像があった。


ドゥオンがそれを見て険しい顔になる。


「“白塗り”の中に、1名──ドロテア・カッシーニが確認されている」


沈黙。


アラヤが表情を変えず、だが微かに手を止めた。


ヴァンは眉をひそめた。


「……そいつはまずいな。

連邦でもコードネームしか分かってねえ。

戦果も目撃証言も残ってない。

“気づいた者が、いない”という報告があるだけだ」


「つまり、“記録の中に存在しない殺し屋”というわけですね」


ドゥオンはテーブルに手を置き、深く息をついた。


「我々は生き延びなければならない。解放区防衛のためにも行動が必要だ」


「なら、“白塗り”が動く前にやるしかないな。俺の部隊を出す。必要なら、お嬢さんもついてくるか?」


ヴァンの言葉にアラヤは首をかすかに傾ける。


「……命令があれば」


「はいはい。結局いつも“夜のおでかけ”よね」


ラーダの自嘲が作戦室に響いた。

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