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5:全てが決まっていても、何もしない事の理由にはならない

斬撃。


その瞬間――


廃電話が、鳴った。


ジリリリ……ジリリリ……


旧式電話の受話器から、規則的なベル音が響いた。


香行の刀は――

アラヤの首の皮膚をわずかに裂いたところで、止まっていた。


数ミリ。

血が浮き、肌に一筋の紅を描いたが、命は奪われなかった。


香行は、静かに一歩後退りする。

音もなく白杖を立て、受話器を取った。


「……香行です。……ええ。了解しました」


数秒の静寂。


香行は受話器をアラヤの方へ差し出した。


「……代われ」


アラヤは荒い息遣いの中、這うようにして電話機へとにじり寄る。

床に両手を突き、左肩を庇いながら、受話器を握る。


「……誰?」


返ってきた声は、穏やかで、馴染み深く、そしてどこか――

背筋を凍らせるほど静謐なものだった。


「ごきげんよう。美香子です」


アラヤは吐き捨てるように言った。


「今、忙しいのだけど」


「まあ、それは大変。でも――お急ぎの話でしたから、こうしてお電話しましたの」


「……何よ」


「たった今、我が国とあなたたちの国で外交協定が妥結しました。ご報告を」


「――っ!」


アラヤの背筋がわずかに震える。


「……何が、妥結したの?」


「戦闘機は、お返ししますわ」


その言葉に、アラヤの肩から、力が抜けた。


「……は?」


「無論、パイロットの方は正式に我が国に亡命するという手続きになります。つまり、彼は今や、こちらの国民なのです」


アラヤの視線が、横に立つ香行へと向く。


香行の白杖の先が床に立てられ、刀は未だ抜かれたまま。


「……つまり、“手を出すな”ということね」


電話の向こうから、笑みの気配を帯びた声が返る。


「理解が早くて助かりますわ」


「もう、この国に用はないわ」


「そうですか。では、また今度。あなたとのお茶は……楽しかったですわよ」


――ツー……ツー……ツー……


回線が切れる。

通話は、確かに“終わった”という記録だけを残した。


アラヤは、拳を握ったまましばらく動かず、やがて立ち上がろうとする。


香行が言う。


「行け」


アラヤは改めて、香行の顔を見る。


その顔は仮面のように無表情で、

両の虹彩は白く濁っていた。


「……お前、目が……」


香行は答えない。


ただ、音もなく白杖――否、仕込み刀の刃を鞘へと納める。


その動作に、敵意も怒りもなかった。


アラヤは無言で、それを見届けた。


やがて、胴体だけになったラーダをそっと腕に抱え――

濡れた鉄床の上を、ゆっくりと歩き出す。


香行はその背を見送るだけだった。


目には何も映っていなかったが、

彼の中の“記録”は、きっとすべてを見ていたのだろう。


そしてそれが、“この未来でよい”と確信していたのかもしれない。



翌朝。

神京郊外の立月港は、深い霧と潮の匂いに包まれていた。

貨物クレーンが軋む音を響かせながら、巨大なコンテナの上へ何かを吊り上げていた。


――灰色に塗装された、連盟の最新鋭戦術戦闘機。

亡命機。チャイカ87。


その外装は銀色のシートで丁寧に覆われ、機体の側面には「大変ご迷惑をおかけしました」という、手書きのような皇国文字の幕が貼られていた。


文字は妙に丁寧で、逆に悪意を感じさせないほど滑稽だった。


埠頭からそれを見上げるアラヤの横には、ラーダが立っていた。


胸部こそ元のラーダだが、四肢は安物の量産型――民生品の万能文化女中のパーツに付け替えられていた。


関節のトルクも違う。表面装甲も貧弱。

だが、彼女は“動いて”いた。


「しばらくは安物のパーツで、変形もできないけど、まあ……生きてるだけ丸儲けね」


ラーダが自嘲気味に言う。


アラヤは彼女の横顔をちらと見た。


「……なぜ、あの時撃たなかったの?」


「ラーダは大事だから」


即答だった。


ラーダは一瞬だけ表情を消してから、乾いた声で返す。


「……アンドロイドより、自分の命を大事にすべきだ」


アラヤは少し肩をすくめた。


「時には、友達のために命を投げうってもいいのよ」


「友達って……」

ラーダは小さくため息をついた。


「……バックアップはいつも取ってある。あの場で撃っても、消えるのは数時間分のデータだけだったのに」


アラヤは空を見上げる。


「……でも、その数時間が、私には必要だったのよ」


ラーダは、黙ったまま――ふっと笑った。


「……全く、融通の効かない女ね」


沈黙のあと、ラーダがぽつりと言った。


「しかし、あの剣士はとんでもなかったな。まさか、あんたの時間操作についてこれるなんて」


「……私も驚いた。あれは……魔術じゃない」


「え?」


「あれは、技術。体術、動作、訓練の積み重ね……それで、あの精度」


「まさか……全部、身体能力で?」


「そうみたいね。しかも、目も――見えてなかった」


ラーダは信じられないというように両手を上げ、首を振った。


「嘘でしょ!?……マジかよ……あんなのに人間が勝てるわけない」


「……でも、確かにこの目で見たわ。目の濁り……視線の“焦点”がなかった」


「……皇国って、尋常じゃない国だな。あいつが特異なんじゃなくて、“ああいうの”を意図的に作ってる気がする」


「そうね……もしかしたら、今回のことも……」


「……何が?」


アラヤはゆっくりと、吊り上げられていく戦闘機を見つめた。


「……最初からこうなるって、決まってたのかもしれない」


「……」


「私が阻止に失敗したことも、電話局で香行と戦ったことも、ラーダが傷ついたことも、全部……」


ラーダは少しだけ、アラヤの顔を見つめた。


そして――ゆっくりと言う。


「でも、あの剣士と戦ったことも、私を見捨てなかったことも、それはアラヤの“意思”だったんじゃないの?」


アラヤは目を伏せる。


「……そうかもしれない。でも、私の“意思”って、どこまで私のものなのか……わからないの」


ラーダはふっと、どこか肩の力を抜いたように言った。


「世界はね、相互作用する複雑系なんだよ。因果と結果は入り組んでて、完全な決定論にはならない」


「……」


「全部が全部、初めから決まってるなら――面白くないだろ?」


アラヤはしばらく沈黙し、それから、静かに笑った。


「……そうね」


遠く、船の汽笛が響いた。

港の空に、海鳥が一羽、風に乗って舞い上がった。


その白い翼を、アラヤはただ、見上げていた。


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