4:残る手札が少ないけど、最後の手段に打って出ます
――神京・在皇国東方人民連盟大使館
重厚な扉が閉じる音がして、外の騒がしさが切り離された。
古い応接室。壁には連盟の旗と皇国の記章が並び、安物の換気扇がくるくると回っている。
冷房はほとんど機能せず、煙草の煙が低く、室内にたなびいていた。
「……戦闘機の破壊は防がれた。運び出されてすぐ、航空研究所の地下格納庫に移された」
駐在武官のウォンリ中佐は、椅子の背にもたれながら言った。
その前の灰皿には、すでに折り重なった吸殻が5本、火の消えかけた6本目がくわえられていた。
「パイロットは?」
「神京市内のホテルだ。……どこかまではまだ掴めていない。動きが完全に憲兵の監視下にある」
アラヤが静かに頷いた。
「ということは、暗殺の機会は――」
「ない。こちらが動くより前に、先方が“それが起こる”と知っていた。まるで予定を見越していたかのように、配置済みだった」
ラーダが腕を組んで壁にもたれたまま、顔をしかめる。
「……未来視の副産物か、もしくは記録魔術による予知演算」
「どちらでも不気味だが、結果として“こちらのプラン”は潰えた」
ウォンリは煙を吐いたあと、空のカップを見下ろした。
「それで、中佐。これからどう動くの?」
アラヤの言葉に、ウォンリはわずかに目を伏せ、机の上の通信メモに視線を落とした。
「……大使は休みなく動いてる。公電部が妙に活発だ。たぶん、上は“外交妥結”で片付けようとしている」
「亡命を認めるってこと?」
「条件付きで、だろう。技術データの一部が渡ってもよしとする可能性がある。“表向きの平穏”を選ぶことも想定内だ」
ラーダが鼻で笑う。
「お偉方らしい判断。現場の首はくれてやる、ってことね」
中佐は構わず続けた。
「私は、外交ルートを使って“最終意思確認”という名目でソーマ少尉に接触してくる。だが……」
彼は書類の束から、一枚の報告書を引き抜いてアラヤの前に置いた。
「……その間に、君たちには戦闘機の分析データの拡散を止めてほしい」
アラヤは眉をひそめる。
「止めるって? 機体そのものにアクセスできないのなら、もう……」
「破壊じゃない。回線の遮断だ。中央電話局の基幹ノード。研究所からあそこを経由してデータが送られている」
「物理回線を……?」
「そうだ。暗号化された技術データは“送信中”が最も脆弱だ。送信そのものを阻害するしかない。破壊は難しくても、時間を稼ぐことはできる」
アラヤが思案する。
「……それが“サブプラン”?」
「本命はない。だが、他にやれることもない。やっておいて損はない。こっちは外交に賭ける。君たちは現場を動いてくれ」
沈黙が落ちる。
雨が窓を打つ音が、まるで時計の代わりのように響いていた。
アラヤが低く言った。
「……協力者は殺されてた。こちらの動き、完全に先回りされてる。おそらく、待ち伏せされる」
ウォンリ中佐が目を細める。
「白杖を持っていたか?」
アラヤがうなずく。
「藁笠に白杖。殺気と加速反応、尋常じゃなかった」
「なら、香行だ。美香子内親王の子飼いだよ。……厄介だが」
彼はアラヤを見据えた。
「――君なら、対処できると判断している」
ラーダが皮肉気に口を開いた。
「それ、フォロー? それとも“最も捨て札なカードに任せた”ってこと?」
「両方だ」
ウォンリは灰皿に7本目の吸殻を押しつけながら言った。
「やれることをやれ。やれなかったら、それでもいい。……だが、無駄な死はするな。記録にすら残らなくなるぞ」
――神京郊外・廃ビル内、作戦準備
「制御回線は地下2階、古い光ファイバーの端末ノード。破壊には高出力EMPか、物理切断が必要」
ラーダが端末を操作しながら状況を整理する。
「侵入ルートは?」
「警備は定期巡回型。裏口のロックは旧型だから、私が10分で開けられる。問題は、中で“待ってる”可能性」
アラヤは無言で消音拳銃のスライドを戻し、マガジンを差し込んだ。
「香行がいるとして、次は殺しにくる」
ラーダがニヤリと笑う。
「じゃあ“切り結ぶ前に撃つ”が正解ね。人間サイズの白杖ターゲットを識別優先にするわ」
アラヤは窓の外、雨に煙る神京の街を見つめながら呟いた。
「……未来は、変えられない。でも、時間は選べる。やるなら――今夜よ」
――神京中央電話局・通信制御棟地下2階
蛍光灯の光が青白く揺れていた。
交換機の列が無人のまま続き、その奥、警報のひとつも鳴らさず、アラヤは滑るように通路を抜けていく。
(目標ブロック、C-2。ファイバーハブと基幹ノードが繋がる主回線接続室)
壁際に並ぶ装置群のランプが淡く点滅している。
まるで眠っている獣の鼓動のように。
アラヤは拳銃を確認し、ラーダからの後方カバーを受けながら室内に滑り込んだ。
が――
「……ようこそ」
静かな声が、制御盤の影から届いた。
そこに立っていたのは――白杖、藁笠。
香行。
まるで“時間がそこに収束した”かのように、完璧な位置取りだった。
「連盟のネズミか」
「――うるさいわよ」
アラヤは即座に発砲。
パンッ! パンッ!
銃声が地下に響いた瞬間、銀の閃光が走る。
香行の刀が、銃弾をはじいた。
雷鳴のような金属音。削れた弾が制御盤に刺さる。
(見えてる? いや、違う……時間そのものを“待ち構えてる”)
香行が歩み出る。
アラヤは視界を開放し、能力を発動。
――時間停止、5秒。
世界が止まる。
雨の音も、電子音も、すべてが凍りついた。
彼女は弾丸をもう一発、香行の額へ向けて撃つ。
しかし――
香行はその停止空間内で、わずかに首を傾けた。
(……ッ!?)
銃弾は笠をかすめ、またしても外れた。
アラヤは走り出しながらさらに発砲。インターバルの時間を稼ぐ。
そして、再び能力の発動。
――時間加速、3秒。
視界が伸び、全てがスロウモーションになる。
しかしその世界で、香行は――
並走していた。
アラヤの動きに完全に追従してくる。
(速すぎる……いや、“私の記録に沿って動いている”!?)
バチン、と元の時に戻る。インターバル。
「――今だ」
香行が、発光する銀の軌跡を描いて切り込む。
アラヤはギリギリで腰を落とし、煙弾を投擲。
濃い白煙が瞬く間に空間を覆う。
しかし、香行の動きは止まらない。
音もなく、重さもなく、殺気だけが迫る。
アラヤの腕に痛みが走った。
(被弾……いや、切られた!?)
足がもつれる――その瞬間、何かが割って入った。
「っ、ラーダ――!!」
ラーダが盾のように立ちふさがる。
「分析完了。刀、追尾不可。対応――遅延」
斬ッ。
音すら認識できなかった。
ラーダの右腕が、左脚が、肩口から切断され、床に転がった。
「やめ――っ!」
アラヤが手を伸ばす間に、ラーダのボディは膝をつき、沈黙した。
香行は無言でアラヤへ歩み寄る。
血も殺気もない。ただ、“結果”だけが迫ってくる。
香行のニヤリと笑う口元が見える。
(逃げないと……)
アラヤは脇の非常扉を蹴破って駆け出した。
背後には追跡音がない。
なのに――香行は確実に追ってくる。
(これはもう、死の呼吸のようなもの)
――電話局・旧制御室
空のような空間に、たった一台、旧式の電話機が置かれていた。
コールも通話もできない、演出用のレプリカ。
今は、ただの“無意味な部屋”。
アラヤはそこに逃げ込み、扉を閉めた。
すぐに――音もなく香行が現れる。
四肢を斬られ、胴体だけのラーダを抱えたまま、静かに入室する。
その動きに、一切の音がなかった。
「これで終わりだ」
アラヤが銃を構え――
香行はラーダの残骸を盾のように掲げる。
(撃てない……ラーダが壊れる)
「撃て…アラヤ…私はいいから」
ラーダがノイズ交じりの声で答える。
香行の眼差しが、淡く微笑む。
「撃てないか」
アラヤは歯を食いしばり、横に転がった廃品のガス管を掴む。
「いいえ!」
管を放り投げ、遮蔽を作りつつ射線をずらす。
香行はラーダの胴体を投げ捨てると、即座に前進し、刀を抜く。
――でもアラヤはもう、能力が使えない。
時間操作は、まだインターバル中。
アラヤの視界がスローに崩れる。
香行の頭に、拳銃の照準を合わせようとする。
だが、
香行の刀が、ふわりと跳ねるように――
首へ向かってくる。
斬撃。




