1:いきなり皇国行きなんて、上は女中使いが荒い
上空22,000フィート。
視界には、濃い藍色の空と、足元を流れる雲の大地しかなかった。
「ムグンファ11より、ムグンファ21へ。訓練軌道G-2へ移行。応答を」
――ノイズ。
戦術戦闘機〈チャイカ87〉の機首が、僅かに揺れる。
紺碧の空に、静かにもう1機の機影が滑っていく。
「聞こえてるか? ムグンファ21、訓練軌道に移行していない。どうした?」
だが、返答はなかった。
直後、戦闘機〈ムグンファ21〉が、突然機首を下げる。
「――急降下? …ちょっと待て、高度が――!」
「ムグンファ21、応答せよ。ソーマ少尉! 状況を報告しろ!」
しかし、機影は沈むように降下し続け、無言のまま雲へ突入した。
レーダー画面から、識別信号がフッと消える。
「こちらムグンファ11。ジャンゴへ。緊急事態発生。訓練僚機がレーダーロスト。トランスポンダ、感なし」
≪ジャンゴよりムグンファ11へ。現在座標における海面視認は可能か?≫
「……否、否。降雨がひどい。視程は500以下、海も荒れてる。捜索視認は不能」
≪了解。ジャンゴよりムグンファ11へ。訓練中止、直ちに帰投せよ≫
「……了解、帰投する」
その頃、もう1機の戦闘機は、雲の切れ間を縫って下降していた。
複雑な航法アルゴリズムを手動で中断し、警告を無視して自律操縦に切り替える。
厚い雲の下、乱気流に機体が揺れる中で、パイロットは瞳を見開いたままスロットルを押し込んだ。
(まだだ……このまま、沈めばただの事故だ)
ヘッドアップディスプレイに、海岸線と小さな空港――皇国の松前島が映る。
「着陸を要請する」
無線は無視された。識別信号のない軍機に、応答はない。
滑走路の入り口までわずか数マイル。
機体は揺れながら強引に降下し、着陸脚を展開。
最終アプローチに入った。
「ドラッグシュート、展開」
パラシュートが風を裂き、海辺の滑走路に機体を引きずるように押し留める。
タイヤが滑走路を削り、煙が上がる。
ブレーキオーバーライドの警告が点灯する中、機体は辛うじて滑走路端で止まった。
空港の警報が鳴る。
民間管制塔が騒然となり、施設内の警備員が一斉に滑走路へ向かう。
雨の中、蒸気を吐く戦闘機のキャノピーがゆっくりと開いた。
中から現れたのは、黒い飛行服の若いパイロット――
彼は両手を挙げ、肩で息をしながら、足元のアスファルトに降り立つ。
その飛行服には、東方人民連盟の空軍徽章が光っている。
警備員が銃を構えるが、彼は静かに、はっきりと告げた。
「亡命を希望する」
一瞬、全ての動きが止まった。
雨音だけが、空港に残響する。
――皇国・松前島、36時間後
高地を這うバスのサスペンションが軋み、濃い緑と霧のあいだを滑っていく。
車内に観光放送が流れるが、二人の乗客は誰よりも静かだった。
座席の奥、ウィンドブレーカーに身を包んだ少女――アラヤは、随伴している万能文化女中、コスモラーダの方をちらと見る。
「やっぱり目立つわね」
「うちの国と違って、皇国は農村まで自動人形は広がっていないみたいだからなぁ。バイクの方が良かったんじゃない?」
「それもそれで目立つわ」
「それにしても上は相変わらず人使いが荒い。いきなり潜水艦から降りて行って来いとは」
ラーダが毒ずく。
「文句言わない。早いところこの島に亡命した戦闘機とパイロットを"対処"して帰る。それが今回の任務」
「で、なんで亡命した空港じゃなくこっちに?」
「デット・ドロップが埋まってる。その神社に埋めたそうだから、回収してから基地に行くわ」
「なるほどね」
ラーダは鼻を鳴らしたが、それ以上は言わなかった。
バスが山道を離れ、海岸沿いの道に出る。
停留所のアナウンスが鳴る。
≪次は、“斗南神社前”、斗南神社前です≫
アラヤは無言で席を立ち、ラーダもそれに続いた。




