表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/88

6:空の果てにあった船で、私が私を見つめてました

宇宙船内・乗員モジュール《A-01》。

空が震え、世界が揺れる。

白銀の拘束機体は加速度に飲まれ、機体が軋む音すら、重力で歪んでいく。


アラヤは拘束ベルトに身を委ね、

バイザー越しの視界の中で、発射の感覚を“生の記録”として刻んでいた。


「……すごいな。これが空に殴りかかる感触か」

ラーダの声が低く震える。


「データ回収済み。あと5秒で爆破指令に接続」

「解除できる?」

「当然よ。ただ……この手の“民族兵器”は、単に爆破するだけじゃ済まない。

ちゃんと、“記録を更新”しないと」


アラヤは軽く頷いた。

「やって。記録に“この矢はまだ放たれていない”って、そう書いて」

「了解。記録書き換え開始。名義:ヒルデリカ・ナスト中尉。手順完了──指令爆破、無効化」


警告灯が一つ、虚空に消える。

ラーダの声が再び届く。

「それで? 次はどこへ向かう?」


アラヤはメインエンジン──魔女たちがエンジンに組み込まれた、燃焼コアモジュールの事を想った。


透明な球体の中で、脳幹と脊髄から直接魔術構造体に接続された少女たちが、微かに目を閉じている。

意識があるのかはわからない。

ただ、一人が唇をわずかに震わせていた。

──「たすけて」


アラヤは、誰にも聞こえない声で呟く。

「ごめん。間に合わなかった」

「スパイのあんたが何も謝らなくても…」

「けじめよ。私なりの」


機体が振動し、加速度が限界に近づく。

空は既に、地上の引力を離れようとしていた。



高度122km──成層圏上端。


《ヴァイスフォール》は重力境界の加速段階を完了し、宇宙空間への移行準備に入っていた。

しかし、異常音がモジュール外殻を震わせる。

「悪いニュースだ、アラヤ」

「来たみたいね」

アラヤが言った瞬間、外部センサーが多数の弾道波形を捕捉する。


ラーダの声が即座に低くなる。

「帝国の高高度弾道魔女部隊だ──迎撃陣形展開中。マルクスの増援ね」

「航路に干渉される?」

「される。彼女たちは……“祈り”で飛ぶ」


映像に映ったのは、地表から大気圏上層に放たれる金属光の束。雷撃にも似た輝きの正体は、「重金属製の運動エネルギー弓矢」。


帝国高高度魔女部隊。

生体魔術によって骨密度と肺圧を調整され、魔力粒子加速器と翼状飛行輪を装備した、「飛ぶ魔法兵」ではなく「軌道狙撃兵器」。

姿は人型だが、肩部に熱制御フィンとブースターリングを備え、

マントの代わりに対気抵抗で操舵する制御膜をなびかせる。

弾道飛行用の箒に跨る魔女は強化飛行外骨格と結界術で包まれ、詠唱による「未来予測射撃」を展開している。

その一射ごとが、数トン級の速度増強術式を纏った、空を貫く“神の矢”だった。


「……迎撃方式、まさかこれとはね」

アラヤが低く呟く。

「高エネルギー爆発じゃない。“質量”で撃ち落とすタイプ。

つまり──“ただの矢”ではいられないってことだな、お姫様」


《ヴァイスフォール》打ち上げ後7分42秒、高度138km、速度5.6km/s。

軌道シミュレーションに従って、魔女たちの詠唱弓が自動射出される。

目標座標:ヴァイスフォール、T+00:08、軌道高度142.7km、進行角+17度。


三本の矢が、ほぼ光速近似の空気抵抗ゼロ軌道で撃ち出された。

「接触まで、あと16秒」

だが《ヴァイスフォール》は通常機体ではなかった。

アラヤは目を閉じる。


──時間加速、発動。


「ラーダ、加速点指定。射角12.7秒前へ“突き抜けて”」

「合点だ」


機体の内部魔術構造が青く煌めく。

瞬間的な“時間加速”が発動し、機体は記録速度を突破して空間を“先に走る”。

重金属の矢が、機体の“通るはずだった地点”を砕きながら、真空を裂いていく。


帝国魔女の一人が詠唱を切り替える。

視界に映る《ヴァイスフォール》の位置に、自動補正型の“観測魔力”がロックオンされる。


彼女の弓は空を撓めるようにして放たれ、「観測対象の未来座標」に向かって放たれる。


「来るぞ。今度の矢は“私たちの位置”じゃなく、“未来そのもの”を狙ってる」

「予測されている未来は、改竄するしかない」


──時間逆行。

アラヤの操作に応じて、ヴァイスフォールは0.7秒だけ“過去の自分”に逆行する。


矢が貫いたのは、未来に存在するはずだった軌道。

だがそこにはもう、“今のヴァイスフォール”はいない。


迎撃魔女たちの最後の一射。

三連装の重金属矢が、空間位相そのものを遷移しながら接近する。

通常の物理演算も通じない、まさに“神の記録”に刻まれた矢。


「こりゃ避けられない。動きが時間ですらない……!」

「じゃあ、時間を止めてみるわ」

アラヤの虹彩が光る。


──時間停止。

周囲すべての“時間”が一時的に固定される。

重金属の矢が進む軌道すら、一時的に“記録不能”にされる。


その停止した軌道の中を、アラヤとラーダの操作する《ヴァイスフォール》が、“記録されないまま”すり抜ける。


「通過完了」

「全弾回避。観測圏外へ離脱する」



高度203km、主推進モジュール分離完了。

閃光とともに、機体後部の接合部から音もなく白煙が散った。

《ヴァイスフォール》乗員モジュールは、自身の惰性と姿勢制御スラスターのみで、なおも上昇を続けていた。

ラーダの声が冷静に響く。


「主機関切り離し完了。残存推進はゼロ。慣性飛行に移行する」

「姿勢制御、手動へ。計画通り、降下目標は東方人民連盟・第六海域、K-9コードエリア」

「風向、地磁気、再突入角度──全て調整済み。あとは、落ちるだけだ」


アラヤは静かに目を閉じ、指先で座席の端をなぞる。

機内は静寂に包まれ、重力はもはや幻想のように遠ざかっていた。


バイザーを上げる。

目の前には、音のない青があった。

それは地球の蒼ではない。

空の青でもない。

宇宙の“下”に張りついている、記録の皮膜のような色だった。


アラヤは呟く。

「……ここが、“誰の記録にもない空”」

「静かだね」

「音がない分、感情が響く。だから人は空を怖がるのかもしれない」

「随分感傷的ね」

「宇宙って空間にこんな形で行くなんて思ってなかったから。でもこの蒼さは、嫌いじゃない」



だがその時だった。


機体外装のカメラが、“影”をとらえた。


視界の端に、それは浮かんでいた。

巨大な構造物。のっぺりとした鯨のような白い物体。

艦船、だがその規模は超弩級戦艦でも、超大型空母の比でもない。

宇宙船──だが、帝国の技術規格とも人民連盟の設計とも異なる。


外壁に刻まれた文字。

そのひとつは、読めた。


「R.A.I.N.B.O.W.」


だが、もうひとつの文字列──


「Солярис」


アラヤは眉をしかめた。

「……これ、何語?」

ラーダが即答できない。

「構文類似データなし。魔術語でも記録語でも古典言語でもない。“観測不能言語”だ」


艦体はまるで“漂って”いた。

その軌道は自然でもなく、人工でもなく──まるで“そこに在ることが前提”のように、静かに浮かんでいた。


アラヤが窓を見た。

──そこに少女がいた。


バイザー越しではない、肉眼で。

その顔は──自分と同じだった。


無表情のまま、目を合わせる。

何も語らない。

だが、確かにこちらを「知っている目」で見ていた。


アラヤが言葉を発する前に、

その姿は──消えた。


「……ラーダ、今、外に──」

「何?私のカメラには映ってない」

機体が僅かに傾き、大気圏突入の警告が点灯する。



再突入警告音。

乗員モジュールの外壁が赤く染まり、断熱層が火を噛む。


アラヤは未だ目を逸らさず、少女の消えた方向を見ていた。


(私だった。確かに私だった。……でも、あれは一体)


ラーダが言葉を発する。

「エネルギーの逆流なし。大気摩擦、制御圏内。

次の音で、地上が戻ってくる。どうする? 落ち着いたら話すか?」


「いいや。あれは……きっと、私の過去か…あるいは」

「どうする?記録しておくか?」


機体が大気圏を突き破り、炎を纏って落ちていく。

だがその中で、アラヤは一言だけ呟いた。

「……いいえ」




数時間後。

東方人民連盟・第六海域・K-9座標。


暗い海面が揺れ、救難信号を受けた潜水艦が浮上する。

開いたハッチから現れたのは、人民連盟の回収員と、略帽を被った極太眉毛の男──“第二書記”だった。


カプセルのハッチが開かれ、蒸気と共にアラヤとラーダが姿を現す。

アラヤは海軍仕様のジャンパーを羽織り、下には宇宙服が見えていた。


極太眉毛が笑みを浮かべる。


「お帰りなさい。お嬢さん。

記録に載らぬ旅路の成果、きちんと報告してもらいますよ」


アラヤは頷く。


ふと、宇宙服の肩に付けられたエンブレムを見る。

そこには、月に向かって跳ぶ、ロケットに跨った白いうさぎのマークがあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ