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5:宇宙飛行士に変身してマルクスの野郎を出し抜こうと思います

《ヴァイスフォール》発射台下層、搭乗直前準備区画。


白銀の遮光金属と魔術反応素材で形成された特殊宇宙服は、内部の生体信号を遮断する一方で、極限状態における精神的均衡を保つよう設計されていた。

一度着用すれば、外部からはバイザー越しに顔すら見えない。


アラヤ──否、ヒルデリカ・ナストを装う彼女は、呼吸を整えながら胸元の“信仰制御端子”を固定する。

ヘルメットを閉じた瞬間、視界はスモーク越しのHUD(魔術透視補助画面)に切り替わる。

ラーダの声が耳内スピーカーに届いた。


「このスーツ、遮蔽性能が高すぎるな。マルクスの目すら誤魔化せる」

「それでも、あの男の“血”は、記録を読もうとするわ」

「……心配か?」

「怖いのは、“私の中の空白”に気づかれること」

「その空白を宇宙にすればいい。行け、お姫様」


搭乗リフトの前で、一人の男が待っていた。

紅い法衣、十字の胸印、左腰に大型拳銃。

──マルクス・ファルンハイト。


彼の立ち位置は、発射演出における“最後の血液審問”の象徴的役目。

つまりこれは儀式であり、演出であり、国家のプロパガンダ。


だが、アラヤにとっては──命綱の臨界点だった。


「ナスト中尉」

マルクスが語りかける。

その声は、外骨格の通信系を通して変換された信号音となって響く。


「打ち上げ前の最終確認を行う。血を示し、契約を宣誓せよ」

アラヤは、宇宙服の右手小指関節を開き、細い採血ノズルを突き出す。

そこから流れ出た血は、内臓回路を通って儀式陣式の接触媒体に滴下される。


マルクスは拳銃を構え、その先端から十字形の微細な魔術構文を展開する。

空中に広がったのは、“信仰の波形”を測る術式、《記録対照血構式エクリ・ベイン》。


審問陣が彼女の血を読み取る。

──ヒルデの記録。帝国軍による公的献血書式、生体魔術登録番号、忠誠履歴。


全ては本物だ。

なぜならそれは、実際のヒルデの血だったから。


数秒。

審問陣が沈黙し──次の瞬間、青い光を放つ。


成功。


マルクスはわずかに頷き、

「その血は、帝国の記録と一致した。打ち上げを許可する」

と宣言した。


だが、その場を離れようとしない。

ゆっくりと彼はアラヤのヘルメットの前に回り込み、反射する黒いバイザーに自分の顔を映した。


「空へと向かう者に、余計な言葉は要らない。だが一つだけ、私の記録に加えておこう」

「君は──何かを“隠す”ことに長けすぎている」


心音が一度、跳ね上がる。

だがアラヤは沈黙を保った。


「……いってらっしゃい、ヒルデリカ・ナスト。君の血と祈りが、我らの矢を空へ導くだろう」

マルクスは右手を上げ、

「我が血と記録、民族に捧げます(ジーク・ハイル)

と告げた。


アラヤもそれに倣い、

「ジーク・ハイル」

と声を返す。


言葉の波形、呼気のリズム、忠誠の強度──

そのすべてが、演技ではなく、“誤読”という技術によって”通過”していた。


リフトが上昇を始める。

アラヤの視界には、発射管制塔と帝国の空、

そして──“記録されざる未来”が、黒く口を開けて待っていた。




ロケット発射基地オベリスク、打ち上げ管制室。


発射カウントD-005:00。

マルクス・ファルンハイトは中央の監視台に立ち、両手を制御卓の縁に置いていた。

モニターには、搭乗者生体信号・点火進行度・外気封鎖圧値・衛星群連携状態が刻々と流れている。


副官が控えめに口を開く。

「……マルクス様、侵入者の件、よろしいのでしょうか? 現在、医療管理棟の監視記録に微細な欠損が……」


マルクスは顎を僅かに引いて答える。

「構わん。エルンストに任せておけ」

その語調は冷静だが、余分な関心は払わないという冷淡さが滲んでいた。


「ただのネズミだ。それより、打ち上げを滞りなく進めるのが先決だ。報告は……後でいい」

副官は沈黙し、所定の卓へ戻る。


発射進行灯が点滅を開始する。

D-004:00。

コントロールフロアの空気が張り詰め、各オペレーターたちは一斉に背筋を正す。


マルクスは、ふと短く笑い、壁の端を見やった。

「それに……エルンストが何かやる時は、1人にさせた方がいい。」

「昔、実験室にうっかり入ってな……あの時は、片目が潰れるかと思った」

副官が肩を震わせる。笑っていいのか悩む様子だった。


発射D-003:00。

《ヴァイスフォール》搭乗モジュール内──

ハッチは密閉され、酸素比率と加圧段階が進む。

アラヤは宇宙服のバイザー越しに、HUD表示に従って発射手順を淡々と進めていた。

右側のサブパネルに、ラーダ──航法支援AI NAV-04が擬態起動していた。

「脳波安定、魔力圧平衡、問題なし。記録干渉モード起動済み。お姫様、今んとこ100点満点だぞ」

「感想は後で」

アラヤの声は変調され、帝国標準の軍用通信音声に置換されていた。


D-002:00。

マルクスが演説台に立つ。

カメラが彼の顔をとらえ、基地中のスピーカーが起動する。


「諸君──」

その一声に、各オペレーターは耳を傾けた。動きを止める者もいる。


「今この瞬間、我々は千年に一度の血を費やしている。

祈りではなく、幻想でもない。これは“血税”だ。帝国が払った血の記録が、このロケットに宿っている」

「《ヴァイスフォール》は兵器ではない。“民族の航跡”そのものだ」

「空に打ち込まれるこの矢は、天の記録を奪い、我らの存在を“正史”として刻みつける」


「記録とは、生き残った者の権利だ。

そして、空を征する者が記録の所有者となる。

──我が血と記録、民族に捧げます(ジーク・ハイル)。」


「ジーク・ハイル……!」


制御室中に反復される忠誠の言葉。


だが、その直後。

通信端末の赤ランプが点滅する。

マルクスが手を伸ばすと、エルンストの声が響いた。


「──ああ、マルクスくん。悪い報せがある」

「実験体を逃した」

「というか、魔女だった。術式拘束が完全に破られた。あと私は顔面をやられた。痛い」


マルクスの眉が僅かに動く。

その直後、もう一報。


「警備班第3分隊より緊急報告! ヒルデリカ・ナスト中尉が──医療施術室で発見されました!

状態は昏睡、体温維持されていましたが、搭乗時刻に現場から離脱していた形跡があります!」


通信室内が凍りつく。

マルクスは言葉を失い、ゆっくりと目を閉じた。


──ヒルデではない。

──あの声のわずかな違和感。

──血は通った。だが──


目を開けた時、その虹彩はかすかに収縮していた。

「……“記録されざる者”が、空へ向かったのか」


制御パネルに表示される:

《D-000:60》《ロケット点火予熱完了》《搭乗者確認:ヒルデリカ・ナスト》


マルクスは、制御卓に手を置いたまま動かない。

その周囲で、帝国の記録が、今まさに“改竄されようとしている”ことを、彼だけが理解していた。



《T-00:45》。

発射シークエンス──その最中。マルクスの拳が、制御卓を強打する。


「止めろ!今すぐ発射を中断しろッ!!」


制御員たちが凍りつき、誰もが動けない。

通信回線が開き、血混じりの笑い声が届く。


「無理だよ、マルクスくん。臨界状態の魔力炉を強制停止すれば、基地ごと“吹き飛ぶ”」

「打ち上げるしかない。いま止めれば、記録そのものが“消去”されるぞ」


エルンストの声には、どこか愉悦すら混じっていた。


「──では指令爆破だ」

マルクスは振り返り、副官に命じる。

「指定高度に達した瞬間に、主燃焼モジュールを爆破しろ。このまま“記録されざる者”を宇宙に出すな」


沈黙。


「いいのか?」

エルンストがゆっくりと呟く。


「それは……民族の“血税”だぞ?

帝国中から徴収した血と記録、その集積が《ヴァイスフォール》だ」


「それに──」

「発射シークエンスを滞りなく実行できるネズミが、指令爆破の存在に気づいていないとでも?」


言葉が刃のように刺さる。

マルクスの顔が歪み、次の瞬間──制御卓が凹むほど、拳が叩きつけられた。


「畜生……!」


《T-00:00》。

点火音が響き、発射台を白煙が覆う。

地鳴りが低く、だが確実に制御卓の足元を揺らしはじめる。

メインモニタには、白銀のロケット《ヴァイスフォール》がゆっくりと、だが確実に空へ向かって上昇を始めていた。

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