2:帝都に潜入したら血術センサーに秒で見つかりそうになったんだが?
帝国首都インブリカ、その街のゲートを抜けた瞬間、空気が変わった。
湿度、酸素濃度、歩行者の速度、すべてが制御されているように遅い。
白と赤を基調とした荘厳な建築群――血のような絨毯が道路の中央に敷かれ、
その上を、白鎧を着た兵士たちが、詠唱に近い号令で行進していた。
街頭スピーカーからは、重低音の聖歌が流れ続けている。
それは不協和音に近く、ただしリズムだけは心拍数とほぼ一致している。
「心拍律制御型群集心理誘導装置。典型的帝国設計ってやつかな『博士』。」
ラーダの囁きは耳元の通信にしか聞こえない。
アラヤは返事をしない。ただ、医師用アーカイブケースを握る手に力を込めた。
今回の任務は弾道ミサイル《ヴァイスフォール》の構造と運用機関への情報接触、そして、破壊もしくは奪取。
アラヤはカバー身分、宇宙医学専門のクララ・ケストナー博士として、ラーダは解析補助型AIユニットとして、帝国首都インブリカに潜入していた。
旧市街・第七街区の裏通り。地図上では既に「民間区画再編中」と記され、封鎖ラインが敷かれているが、監視魔術網の濃度は低い。帝国にとっては忘れられた地。
建物の一角、かつて《ツェツィーリエ》という名で営業していた喫茶店は、すでに天井の梁が落ち、壁紙は剥がれ、
だが中央のテーブルと椅子だけは不自然に整えられていた。
アラヤは静かに入室する。ラーダは簡易映像記録モードで外を監視。
埃を踏む音が、ガラスの割れた窓から光と一緒に滑り込む。
椅子に座っていたのは、前情報通りの人物――
元帝国魔女兵部隊の医務官にして、今は「記録にない存在」とされた女。今回の任務で協力する内通者だった。
右半身は義肢に置き換わり、首元から顎にかけて手術痕が浮き彫り。
彼女は手元のカップ(だが中身は空)を指でなぞっていた。
「随分と……昔の味がする場所でしょう。」
そう言うと、懐から半分破れた新聞の切れ端を出す。
裏面に、手書きのインクで3つの数字と一語。
「12:30」「0667」「E-9軌条」「“セレニカ”」
アラヤがそれを一瞥し、質問する。
「発射時刻と……起点コード?」
「0667は打ち上げエリアの観測衛星座標コード。E-9はそのアクセストンネルの暗号名。セレニカは……あの施設での“最終カウント担当のコードネーム”。」
「12時30分──それが“ヴァイスフォール”の起動時刻よ」
アラヤは紙を受け取ることなく、その場で視覚記録。
内通者は突然、声を潜め、アラヤの左耳の方に身を寄せる。
「マルクスには……気をつけなさい。」
アラヤの瞳が微かに動く。
「あいつの“血術”はね、単なる魔術じゃない。“記録”なのよ。」
「どんなに偽装しても、あいつは“あなたの中に流れる記録”を読む。
隠せないわ。隠せたとしても、感づかれる。」
「何かを忘れていたら、それごとあなたを“血”で固定される。そうなると、もう抗えない。」
アラヤはそのまま黙っている。
内通者は立ち上がり、窓から外を一瞥。
「もし……あなたがまだ“魔女”でいるなら。
あなたの“流れ”が止まるその前に、全て終わらせなさい。」
彼女はドアのない裏口から出ていく。
その姿は一度も振り返らない。
アラヤはただ、壊れかけたテーブルの端を指でなぞり、その感触を脳裏に転写した。
石畳に血を混ぜた赤い顔料が塗り込められた広場。その一角の柱影に立ち、アラヤは演説を眺めていた。
民衆が円形に配置され、兵士たちが結界の支柱となるように立つ。
白衣の聖職者隊列が整列する中心――黒と銀の祭壇台の上に立つ、ひとりの青年。
マルクス・ファルンハイト。
白金の髪に、帝国礼装の赤い法衣。胸に刻まれた十字の魔術刻印は、視線を合わせた者に熱を感じさせるとさえ噂される。
彼は手に持った魔術書を開くことなく、広場全体に響き渡る声で語り出す。
「血とは軌道である。
それは地上に縛られながらも、天へと伸びる不可逆の線。
信仰とは記録であり、記録とは血を伝う言葉である。」
「帝国のロケット《ヴァイスフォール》は、我らの祈りそのものだ。
宙を割り、世界に帰属を刻む矢。
それは報いではない。“回帰”である。」
広場は静まり返り、民衆は伏し目がちに手を重ねる。
マルクスの演説が一瞬、わずかに滞る。
だが言葉は止まらない。彼の左目の虹彩が収縮する。
「……だが、汚れし記録は、地より吹き上がり、軌道を乱す。
それは黒き星の魔であり、我らが血に背を向ける“無記録の魔”だ。」
その瞬間、祭壇台を囲む結界が一度だけ“わずかに膨張”する。
それは魔力波を“探る”術。探知網ではなく、呼吸のような動きで相手を嗅ぎ取る。
アラヤは一歩も動かない。
だが彼女の“無色の魔術波”が、一瞬だけ空気の密度を変える。
広場の中心と端。
視線は交わらず、波だけが交差する。
マルクスは演説を終え、右手を挙げる。
「“矢”は放たれた。
あとは天が、それを迎えるだろう。我が血と記録、民族に捧げます!。」
民衆がマルクスと同じく、歓声と挙手の呼応に入るなか、アラヤは柱の影からそっと後退する。
ラーダの通信が低く響く。
「干渉完了。マルクスに認識されたみたい」
「……感じた」
「どう?マルクスって男は」
「悪くない。でもあの目は……“記録の管理者”の目だった。
つまり、私にとって――最悪の相手。」