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1:「血で世界を書き換えるロケット計画」なんて聞いてない件

夜明け前、帝国領内。山間の寒村――教会と兵舎しか存在しない場所。

霧の中、黒衣の司祭と整列する少年兵たちの姿。

その中央に、白銀の髪と紅い法衣を纏う青年司祭が立っている。


彼の名は――マルクス・ファルンハイト。


足元には、処刑待ちの元帝国兵が片膝をついていた。

背信罪。亡命未遂。

本来であれば銃殺だが、今日は違う。


「血で償い、血で贖え。」


マルクスはそう言うでもなく、ただ掌を前に出した。

彼の掌に刻まれた十字状の傷口から、濃く黒い血が静かに滲み出る。

その血は宙に浮かび、幾何学的な文字列と数式を描きながら、男の心臓の上に触れる。


男の体が痙攣する。

脳内に響く声がある――「裏切ることはできない」

叫ぼうとした口は、次の瞬間、沈黙した。


マルクスはその場を離れる。

「血による契約」が完了した証拠として、男の目は赤く染まり、静かに立ち上がる。


背信者は、今や「聖血の従者ブラッド・セラント」となった。

その血はもはや彼自身のものではない。

帝国の聖法、その延長であり、“主の意志”の受肉なのだ。


マルクスは振り返らない。


後ろから聞こえる、従者たちの足並みの音だけが、その魔術の絶対性を語っていた。



帝国首都インブリカ、皇帝城グローリエ・ホール奥の黒曜石会議室の天井は丸天井であった。

壁には戦争と栄光を描いた巨大なフレスコ画。

部屋の奥、光の当たらない玉座に、一人の男――指導者(フューラー)が座る。

白銀の軍服、顔面は仮面のような皺。口調は静か、だが内燃機関のように圧を孕む。


周囲には将軍・聖職長官らが沈黙し列席する中、

唯一、玉座の正面に立つ男――マルクス・ファルンハイトのみが堂々と両足を揃えて直立していた。


指導者はゆっくりと立ち上がり、玉座の段差から下りて演説を始めた。

照明が彼の横顔に陰影を刻む。


「帝国は血で立ち、信仰で動き、記録で未来を統べる。」

「我らが千年の支配は、地にあった。

だがいま、それを空に撃ち込むときが来た。」


「東方の野蛮人どもは記録なき地を這い、かつて我らが遺棄した文明の断片をかき集めては、“平等”だの“共存”だのと喚く。」


「愚か者どもに知らしめねばならぬ。空は誰のものか。天は誰を受け入れるのか。」


「──“民族の矢”を、空に打ち込め。」


「ロケット《ヴァイスフォール》。それは兵器ではない。“記録の形”そのものだ。帝国が記憶されるべき形として、空に刻まれるべき象徴だ。」


指導者は右手を挙げる。


「血を選び、血を練り、血を燃やせ。空を制す者が、歴史を決める。」


「計画名:《ドナー・シュティヒ(雷槍)》。指揮はマルクス・ファルンハイト──お前に委ねる。これは戦略ではない。“民族の儀礼”である。」


マルクスが指導者に呼応するように右手を挙げる。

赤い法衣の裾が静かに波打つ。

膝を折ることなく、指導者をまっすぐに見据えて言う。


「我が血と記録、民族に捧げます(ジーク・ハイル)。矢は放たれます。決して逸れず、決して戻らず、必ずや“空そのもの”を帝国のものとしましょう。」

「《ヴァイスフォール》は、帝国の魂そのもの。私の術において、記録されし通りに飛ぶでしょう。」


マルクスの言葉を聞き、指導者は自慢げに笑みを浮かべた。



東方人民連盟・首都中枢「大理石宮」地下会議室。

白大理石の床に、光を反射する赤銅の天井。

中央の楕円形テーブルを囲む五つの椅子。その最奥に座るのは、白い肌に白髪。赤い目の十歳の少年の姿をした最高指導者“七代目スターリン”。

その前に座す四人の高官たちは、それぞれが国家装置の一部であり、国家そのものを構成する擬人化だった。


四人の高官たちは、それぞれ内外情勢を内奏し始めた。

丁寧に撫で付けられた七三分けの男――外務大臣が、静かに衛星資料を広げる。投影型スライドが大理石壁に広がり、世界地図が出現。

「王室連合は如楠州以南に外交資本を集中。皇国は王室連合側の使節団を拒絶、企業連邦は傍観姿勢を装いながら条約再編を進行中です。」


眼鏡をかけた細身の男――内務委員長が補足する。

「前線は沈静化傾向にありますが、空域の一部に“観測不能エリア”が発生しています。

魔術探査網が正しく跳ね返されている。つまり“何かを隠している”と言える状況です。」


スターリンは何も言わない。机に置かれたファイルに指先を添え、じっと手触りを確かめている。



頭に大きなアザのある男――首相が、ハンカチで汗を拭いつつ報告に入る。

「一部国境地帯では“帰属性障害”が発生しています。識別帯を外す市民が急増、特に若年層の魔女兵養成機関で。

“誰にも観測されていない自分”を欲する兆候です。」


でっぷりと太った極太眉毛の男――第二書記が、手元の報告書を叩く。

「若年の魔女や魔術師にはよくあることでしょう。ただいささか数が多い。何らかの措置が必要でしょうな。放置すれば我々のモデルそのものが、ほころびかねません」


スターリンの目がわずかに細められた。

だが表情は無だ。彼の声は、まるで他人が発したかのように静かに部屋を満たす。

「それは後で処理する。今は外部の“逸脱”に集中しよう。帝国の件を」


七三分けが手元の装置を操作。衛星写真が変わり、帝国の山岳地帯に設けられたロケット発射基地の画像が投影される。

そこには、生体インターフェースと見られる符号群、巨大な冷却槽、そして大気中には存在しない波長で熱せられた構造体の影。


眼鏡が口元を拭い、指を折って数えるように語る。

「高度計算中性魔術、血統認証、魂の照合フレーム……これはただの軌道兵器ではありません。我々のかつての記録によれば――“アクセス端末”と極めて類似しています。」


極太眉毛が唸る。

「まさか。帝国が、“あの領域”に接続しようとしているのか?」


アザ頭が続ける。

「このままでは、“方舟”が起動されます。一国家に、あの船のアクセス権が渡れば……我々が管理する記録体系は全て無効化される可能性があります。ご決断を、同志スターリン」


スターリンが口を開いた。

「“世界を離れる権利”など、誰にも与えられていない。」

ゆっくりと立ち上がる。まるで誰かの葬送に向かう少年のような足取りで。

「対帝国工作を加速する。魔女アラヤを解放せよ。」


眼鏡が即座に反応する。


「危険です。これ以上統制下から逸脱させると、彼女は完全に……」

「それでもいい。」

「“記録されぬ存在”に対抗できるのは、“記録を書き換える者”しかいない。」


スターリンの瞳が、衛星写真の暗がりに吸い込まれていく。

「方舟に手を伸ばした者は、必ずその軌道上で、落ちる。」


各高官は黙礼し、スターリンの意思を忖度した。

そして各々の行動――外交電文の再暗号化、戦略資源の再配分、記録警戒網の拡張、魔女兵の再編成にとりかかる。

スターリンは、資料の衛星写真、なかでもロケットをじっと見据えていた。



大理石宮・執務室。

大理石を削り、地下深く築かれたスターリンの私室。

部屋には椅子が一脚しかない。

床に、壁に、天井にさえ――無数の書籍が積み上げられている。

背表紙が上を向いたものも、綴じ口が開いたまま崩れているものもある。

中央の重たい木製の机には、読書用スタンドと、開きかけた書物が数冊。

そのひとつには、旧字の銀文字でこう刻まれている。

『星を継ぐもの』


アラヤはケープ付きのえんじ色の軍服姿。胸には所属識別の赤星、手には魔女の象徴たる三角帽子を抱えながら、執務室に入室した。

万能文化女中のアンドロイド、コスモラーダはその斜め後方、金属と絹を融合したような質感の装甲を鈍く光らせる。

スターリンは、10歳ほどの少年の姿をして、机の奥に座していた。

両肘を静かに組み、アラヤの方を向かず椅子ごと横を向いている。



「これは古い帝国の言い伝えだ。昔、まだこの星が眠っていた頃の話だ。

人間たちは空を見上げ、そこに“裁き”があると信じた。

だから神は、一艘の舟を作らせた。方舟(アーク)と呼ばれたそれには、生きとし生けるもののすべてを、つがいで載せることになっていた。」

「だが、ここが重要だ――」


スターリンは椅子を回し、アラヤの方を向く。


「この舟に、“記憶”は載らなかった。

舟は種を運ぶが、記録は運べない。

遺伝子は残っても、体験は引き継げない。」


アラヤは、口を開かず聞いている。


「つまり、方舟とは“記録を捨てる装置”だ。

世界のやり直しは、常に“無知”から始まる。

それは祝福ではない。“記憶からの逃走”だ。」


「……帝国が、再びその舟に手を伸ばしている。」


スターリンは机から一枚のファイルを引き抜き、無造作に放る。

紙は宙を舞い、アラヤの右手がそれをキャッチする。

そこには帝国西方の座標、ロケット施設の構造図、そして作戦計画が記されている。


「発射を阻止しろ。

あれはただのロケットではない。

あれは“舟”そのものだ。直ちに帝国首都インブリカへ向かえ」


「記録されぬ未来が、始まる前に。」


「了解しました。同志スターリン」


アラヤの冷たい声が、執務室に染み渡った。

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