3:お嬢様スパイと噓つきたちは、王室の秘密を巡る策略を練ります
王立商業銀行《リンドホルム支店》——
地上8階、地下4階、貸金庫数312。騎士団と憲兵が日替わりで警備してる、まさに国家級の金庫箱だ。
正面から見たら、ただの荘厳な石造建築。
だが、裏側に隠されてるのは魔術・契約・認証・機械・詩文の五重のセキュリティ地獄。
こいつを落とすには、五方向からの視線がいる。
で、俺たちは動いた。
それぞれの仮面をかぶって。
午前4時、まだ夜明け前。
グライムは作業帽と蛍光ジャケットで建設業者に化け、
隣接する“地下オペラ座跡地”の基礎補強作業に紛れ込んでいた。
地図と地磁気計を片手に、
貸金庫地下外壁との“距離”と“材質”を直接調査。
杭打ち音と反響音で内部の厚さも概算。
「カナン鋼。んで、その上に詩文層と来た。
通常の爆破じゃ共鳴して吹っ飛ぶ。静かに掘るしかねぇ」
昼には姿を消し、痕跡ゼロ。やっぱりプロだ。
午前9時ちょうど。
王立商業銀行の正面玄関に、エレナ嬢が降り立った。
黒の羽織つきロングコートに、銀刺繍のドレス。
動きに一分の隙もなく、従者の万能文化女中を伴いながら、
一礼してドアマンに「ご苦労様ですわ」と告げる。
俺はその様子をカフェの窓から眺めながら、カップの縁を叩いた。
「ったく……この国の貴族ってのは、
“挨拶ひとつで通貨と同じ効力がある”とでも思ってやがる」
王室連合では、王家に血縁があるってだけで
貸し渋りゼロ・担保不要・利息軽減の三点セット。
現代魔術よりよっぽど非科学的だ。
で、この“エレナ・オルロフ嬢”とやらは、
伯父の遺した金地金と“建築中の劇場”を担保に、
「文化発展支援融資」を申し込んでいるらしい。
……それも、VIP予約枠でな。
俺がカウンターで口座開設の順番を30分待ってる間に、
この嬢ちゃんは銀のトレイで紅茶を運ばれ、
監査主任と「茶葉と建築様式の話」で盛り上がってた。
貴族ってのは、物事の“段取り”すら書き換える魔術らしい。
でも、ふと思う。
──ちょっと“完璧すぎ”ないか? あの身のこなし。
──貴族のくせに、判断が早すぎる。曖昧な間を持たない。
本来、貴族ってのはもっと「婉曲表現と時間浪費」がセットだ。奴らは責任ってのを取るのが苦手だからな。
だがこの女、話しながら既に契約書の文言を“目で読んでる”気配があった。
まるで貴族というより、職業的交渉人の目。
いや、気のせいか? そう思って紅茶をひと口飲んだら、
視線が合った。
彼女がちら、とこちらを見て、
口の端をほんのすこしだけ、動かした。
それだけで俺の背筋が冷えた。
“視線に言葉がある”ような目だった。
あの一瞬だけで、彼女が俺を“客じゃなくて作業対象”として見てると分かった。
……なんだってんだ、この女。
──だが、作戦は成功だ。
“貴族”様は、見事にVIPフロアの構造と客動線を把握し、
イヴは付き添い女中として内部セキュリティを観測。ご丁寧にロビーの天井カメラ配置を全て解析済みときた。
完璧な偵察。
あとは、俺の仕事だ。
“完璧”の裏にある綻びを探すのは、プロの盗賊の役目だからな。
昼下がり、オープンロビーに現れたのは赤いドレスの幻術魔女。今度はヴェスパの色仕掛けだ。
金髪に変化した髪、涙ぐむような瞳、香水は“名門未亡人”を匂わせるもの。
彼女はあっという間にロビー係の青年に取り入って、ティーラウンジに案内されていた。
「ねえ、あなた。貸金庫の場所、ちょっとだけ教えてくれない?
あの人の大事なもの、私が代わりに見守りたいの」
その瞬間、男の精神は“公共契約空間の構造”ごと開示された。
ラウンジは音声センサーの死角、彼女はそこで室内配置図の再構成に成功。
「ああいう男、幻術じゃなくても騙せたわ」とは彼女の弁。まあね。
フェルドは“入れ替え”が得意だ。
何かしらの誓約に破られた人間には、変わりがすっと入る隙がある。
この日、事務局にいたはずの新人行員は、腹痛で寝ていた(らしい)。
代わりにいたのが、“ちょっと緊張してる新人フェルド”。
3時間だけ、彼は完全にその身分を使って地下2~3階の管理端末へアクセスした。
熱線センサーの更新タイミング、契約条文の詩的発動スパン、
魔術干渉ログのシンク回数。
帰ってきた彼は開口一番こう言った。
「この銀行、裏口どころか“息継ぎ穴”すらない。
本当に王家の心臓を守ってるらしいな」
俺は“普通の口座開設者”を演じた。普通と言っても、田舎者の成金資本家だ。そんな連中に扮すれば、品の無さやマナーの悪さも向こうが勝手に理解してくれる。
ただし、俺がやるとちょっとした劇場になる。
笑顔、話術、軽い嘘と正直の間のグレーゾーン。
銀行員に「現金より宝飾で預けたい」と言えば、
貸金庫の規格と保険の詳細を引き出せる。
「指紋認証はどこまで任意?」「来客記録って残る?」
そして、記入する書類を“滑らせながら”スキャン。
俺のやり口は派手じゃない。
でも、記録に残らない“風”だけは、確かに吹かせてきた。
最後に視察したのは——銀行の隣にある、取り壊し中の地下オペラ座。
かつて王室貴族が舞踏会と議論を同時にこなしていたという皮肉な空間だ。
グライムが言った。
「ここが起点か。いい土だ。……呪術の匂いもあるが、まあ爆薬は文句言わねぇ」
フェルドが図面を展開する。
その指が指したのは、地下3階と4階の間にある“未使用空洞”。
「本来は水路。けど今は封印されてる。ここを通れば、貸金庫の真下まで直通」
エレナ嬢は小さく笑って言った。
「すてき。まるで“かつての王室”が、我々のために掘っておいてくれたみたい」
いや、それはただの偶然——にしては都合が良すぎた。
その夜、《シルバータンク》の地下室。
丸テーブルを囲み、俺たちは手元の情報を一枚の立体投影地図に集約した。
エレナ嬢が言う。
「守りは“契約による魔術的固定”と、“感知詩の連鎖反応”が主ですわ。
物理的突破は難しいですが、“契約に穴を開ける”なら、可能性はあります」
ヴェスパが応じる。
「詩文センサーには“誤読”という穴がある。
私が幻術で詩の一節を“やさしく読み違える”ことで、反応タイムを稼げる」
グライムが図面を叩く。
「この地下構造、“昔の劇場”からトンネルが伸びてる。
水平31メートル、爆薬は使えねえから手掘りだが……やれなくはねぇ」
フェルドが頷く。
「だが、詩文層には接触不可。センサー網を避けるルートを、秒単位で管理しなきゃならん」
そこでアラヤが静かに言った。
「……時間は、私が止めます」
誰もすぐには返事しなかった。
けれど、あの言葉には“確信”があった。
時間という最後の敵を、あの女は“ただの材料”みたいに扱うんだ。
「よし」俺は立ち上がった。
「三日後、午前1時30分にB4に侵入。
文書の複製、入れ替え、脱出までに90分。
出口は三つに分ける。記憶は保存、証拠は消去。王を騙すってやつだ」
ヴェスパが皮肉っぽく笑う。
「ベック、あなたにしちゃ詩的じゃない」
「今夜くらいは詩人になるさ。
……どうせ明日には、ただの盗賊に戻る」
エレナ嬢の瞳が、わずかに光を宿した。
「詩と盗みはよく似てますわ。
どちらも“意味を奪う”ことで成り立ちますから」
この作戦の本当の難しさは、
“奪うものが物理じゃない”ってところにあるんだ。
記憶、契約、詩文、時間。
俺たちはこの夜、世界そのものから“意味”を盗むって決めた。
それから全員で契約に署名し、イヴが“記憶認証”を済ませたあと、グラスを交わした。
フェルドは血のような葡萄酒、ヴェスパは緑の煙草を、グライムは火薬の匂いを楽しんだ。
そして俺は、エレナ嬢の瞳の奥を、初めて“疑問”として見た。
あの女、ただの貴族の落胤じゃねえ。
この仕事、ただの遺産相続でもねぇ。
だけど、いまはそれでいい。
ドブと爆薬と詩と時間が、ひとつの穴へ向かう夜が始まる。
リンドホルム王都東区、《アストリア・グランド・ロイヤルホテル》最上階のスイートルーム。
床は厚い絨毯、天井は金糸の漆喰仕上げ、
室内は深紅のシェードランプが沈黙のように灯っていた。
アラヤは窓辺の椅子に静かに座り、脚を組んでいた。
窓の向こうには、都市の魔力灯が緩やかな呼吸のように瞬いている。
それを脇目に、椅子の横のテーブルに置かれたハンディラジオを操作し、長波の周波数に合わせてダイヤルを止める。雑音の中に話声が入感する。
「つまり、この展開なら4コーナーで2,15,3が来ると。だが大外から17が来るし内からは7と9も捌いてくる。最後の直線で足比べになるが、やはり軸の1番が残る、そこに2,15,3と7,9になるわけで、そうすると買い目は1-15-7か1-3-9、1-15-7か1-3-9、1は間違いない」
アラヤは数字だけをメモに書きとる。
競馬の展開予想の番組だが、実際は違う。諜報任務用の乱数放送だった。
ラーダが内容を復号し、表情のない声で言う。
「これで3つ目。目的は明確に繰り返されたわね。
“盗む”のではなく、“記憶する”こと。あなたの頭に」
アラヤは返事をしなかった。
手元のティーカップに視線を落としたまま、静かに唇を湿らせる。
しばしの沈黙のあと、ラーダがわずかに身を傾けた。
「で? 決行の日も当然、貴族カバーで行くのよね。
そろそろ“エレナ・オルロフ嬢”にも飽きてきたんじゃない?」
アラヤは微かに笑った。
「“飽きる”って感情があったなら、もうとっくにこの仕事は降りてるわ」
「言い訳としては上等。でも、あなたの口調、最近やけに“それっぽい”わよ」
「上流階級の言葉って、便利なのよ。皮肉も命令も嘘も、全部“正しい音程”で包める。
その音に慣れると、自分の声の輪郭が少しずつ曖昧になるわ」
「……それ、危険信号って知ってる?」
「知ってる。だから私は、“誰でもない”の。最初から」
アラヤはふと立ち上がり、ゆっくりと窓際へ歩いた。
街の灯が瞳に映る。だがその光は、どれも他人の記憶に見えた。
「私たちが盗もうとしてるのは、国家の“記憶”よ。
でもそれを持って逃げられるのは、“記憶に縛られない”人間だけ」
「あなたは、縛られてないと?」
「ええ。私には名前も、家も、正体も、“確かな何か”もない。
あるのはただ、“覚えているという行為”だけ。
……そうでなければ、“あれ”を心の中に持ち帰ることなんてできない」
ラーダは黙ってそれを聞いていた。
彼女はAIだが、時折、沈黙という人間的な感情に似たものを持つ。
「──じゃあ、せめて一つだけ確認させて」
「何?」
「“エレナ・オルロフ”の振る舞いの中で、一番あなたが気に入ってる台詞って、どれ?」
アラヤは振り返らず、わずかに肩をすくめて答えた。
「……『あなたのような下賎な輩にも、こうして頭を下げておりますの』」
「やっぱりそれか。最悪ね」
「でしょ?」
二人の会話に、ようやく一つだけ本物の笑いが混じった。
スイートルームの照明が少し落ち、時計が午前2時を告げる。
アラヤは一歩、窓から離れた。
「時間は削るけれど、記録は削れない。
私たちが触るのは、“世界の法則”そのものよ」
「ええ。だからこそ、ちゃんと演じなさい。
“貴族の娘”ってのは、世界を変えることに何のためらいも持たないの」
アラヤは微笑んだ。
「安心して。私は誰でもないけど……
“そういう顔”をするのは、得意だから」
外では風が吹いていた。
王室の詩がまだ眠る都市を、静かに撫でていた。