表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/69

プロローグ

 雨粒が鉄の骨組みに弾け、港の空気に油と鉄の匂いを混ぜていた。

 少女は、巨大なガントリークレーンの上から双眼鏡を覗く。黒のスキニーな戦闘服にボディアーマー。腰のホルスターには32口径の消音拳銃。


 ここは企業連邦(フェデラル)の灰色都市“ヴェルディア”。高層ビルと放置された給水塔、サビたガントリークレーンが林立する港湾区域。


 昼間は雑貨や薬物の密輸業者がうろつくこの区域も、夜になると静まり返る。

 だが今夜は違う。連邦と裏取引をするため、亡命した科学者が密かに護送されていた。


 雨の粒は粒子のように街灯の下で砕け、地面の魔術結界を揺らす。

 路地には監視カメラ付きドローンが浮かび、各ポイントに企業傭兵たちの“民間軍魔術師”が配置されている。



「ターゲット補足。間違いない」


 女性のような自動合成音声が、耳の内側に流れ込んでくる。双眼鏡の先、濡れた舗装道路に一台の車が滑り込む。その後部座席から、おどおどと降りてくるのは、亡命した元・東方人民連盟の科学局員の男。

 彼のカバンには、“記憶結晶”と呼ばれる情報媒体が入っている。

 この男と“記憶結晶”こそが今回の任務のターゲットだ。


「了解」


 少女――アラヤはそう呟き、ガントリークレーンから闇の中へ身を投げた。



その頃、タンクエリアの正面ゲートには一体の自動人形――万能文化女中ハイヤード・ガールが立っていた。

 制服は東方の礼装を取り入れた黒と白のミックス。濡れた前髪が能面のような顔に貼りつき、両手は前で静かに組まれている。


 その女中は、まっすぐ前を見つめていた。だが――目線の先には何もない“虚空”があった。


「……なんだ? 何見てんだ、あっち行けよ」


 近づいた傭兵の一人が声を荒げる。文化女中は何も言わず、そそくさと傘もささず立ち去っていく。


「なんだあの文化女中?」

「どうせ故障だろ。あいつら雨の日はよく固まるからな。処理AIが錆びるんだよ」


 男たちは警戒を解いた。


 だがその文化女中――ラーダは、すでに正確に見張りの配置と監視ラインを全て計測していた。

 無言で通信を送る。

「警戒人数6名。赤外線センサー反応あり。正面からの進入は不適。……アラヤ、どうする?」


「海から行くわ」

冷たい雨が、海の表面に鈍い輪を描いていた。

 アラヤは、息を潜めたまま海面に浮かんでいる。


 スーツの内側に入り込んだ海水がじわりと体温を奪う。

 それでも彼女の表情には、まったく揺らぎがなかった。



 最初の見張りは、喫煙所の軒下でコートの襟を立てていた。

 彼が煙草に火をつける瞬間、背後から現れた黒影が、風と同じ速さで彼の首筋に刃を押し当てた。


 音はなかった。

 そのまま静かに崩れ落ちる身体を隠し、アラヤは倉庫裏の死角をなぞるように進む。


 ラーダが送ってきたARオーバーレイが視界に浮かぶ。赤く点滅する視界領域。敵の位置。反応パターン。


「あと五人。南側タンク裏にエンジン付きの車両あり。逃走経路としては有効」


「了解。……予定どおり“着火”する」



 タンクの裏に設置された小型カメラを回避しながら、アラヤは爆弾ユニットを取り出す。

 ボールペンサイズ。タンクの基部に貼りつけ、起爆装置を噛ませる。


 そのわずか数メートル先で、取引が始まっていた。


 元科学局員――雨に濡れた髪と震える声で、取引相手の髭男に頭を下げていた。

 髭男は傘もささず、軍靴で地面を踏みしめながら淡々と言った。


「何も心配はいらん。我が国でやり直せば済むことだ」

「やり直す?」

「人間の生で重要なのは記録より記憶だ。記録は書き換わっても記憶は消えんよ」

「あんたにはわかってないんだ。そもそもプロジェクト1968に必要だったのは……」


 男の目は曇り、だが手元のカバンは離さなかった。

 アラヤは距離を詰め、車の位置と護衛の死角を計算する。

「待て」

髭男が周囲を見回す。

「妙だな……静かすぎる」

 取引相手が顔をしかめた。その瞬間だった。



 親指で起爆スイッチを押す。

 爆音が、ヴェルディアの夜を切り裂いた。

 燃料タンクが火を吹き、オレンジの光が一帯を飲み込む。

 地面が震え、警備兵たちが反射的にそちらへ向き直る。


 アラヤは即座に跳び出す。

 消音拳銃を引き抜き、二発――護衛の頭部に。

 三発目で元科学局員の後ろにいた傭兵が吹き飛ぶ。


「だ、誰だ――!?」

 男の腕を掴み、車両に引きずり込む。

「乗って。今すぐ」

 ギアを叩き、アクセルを踏み込む。タイヤが水を跳ね、滑るように発進した。

 バックミラーの中で、爆炎が地面を舐めるように広がる。

 アラヤの横で元科学局員がうずくまり、頭を抱える。


「追え!追うんだ!」

髭男が傭兵たちに指示を飛ばす。彼らの銃口が動き出したアラヤの車を狙う。

だが、弾は車には当たらない。

アラヤはハンドルを切り、正面のバリケードを突破してタンクエリアを抜け、道路へと躍り出る。



「ちょ、ちょっと待って、どこへ――」

「黙って伏せて。頭を下げて」


 背後から追跡車が数台、砂煙を巻き上げながら迫ってくる。

 魔術の放電音や銃弾が車体をかすめ、後部窓が砕けた。



「ちょっと数が多い。ラーダ、援護して」

「はーい、まったく。こっちにも服が濡れるっての、わかってんのかしら?」


 アスファルトの闇の中から、一台の無人の黒いバイクが現れる。

追っ手の車に並走し、一瞬車体側面が光る。

直後に追っ手の車の前輪タイヤがバースト。追跡から落伍する。

「はい、一台目パンク。二台目は、ちょっと曲芸いくわよ」

 次の車の後部に飛びつき、瞬時にスモークを噴射。視界を奪った隙に急制動させる。

 ライトの光が黒いバイクを照らし、ボンネットに滑り込むと――一瞬で変形した。

 ラーダの万能文化女中形態。

 白と黒のドレス姿、優雅な身のこなし。

 だが袖口からナノケーブルが飛び、追手車両のタイヤを貫いた。


 ボンネットから飛んだラーダは宙を舞い、破れた後部窓から滑り込んで後部座席に着地する。


「ただいま。お客さんナビは必要?」

「まだいるわ」


 アラヤはそう告げて、道路の前方、路肩に止まる車に目をやった。


 次の瞬間、魔術が発動する。

 車の前方に、“空間が歪むような波紋”が発生。

 傭兵魔術師による障壁呪シールドウェイブだ。

 路面が隆起し、不可視の膜が車の進路を塞ぐ。


「……3秒で間に合う」


 アラヤは冷静に時計に目をやる。

 その瞳が、一瞬だけ淡く光を帯びた。

 ――時間加速、0.4倍速。

 世界が鈍くなる。

 音の粒がゆっくりと鼓膜を打ち、視界のすべてが伸びたゴムのように歪む。

 アラヤはハンドルを切り、障壁の縁の“判定外”に車体を滑り込ませた。

 そのまま、ギリギリで車体の天井を削りつつ、魔術の波をすり抜ける。

 時間が元に戻る。車は勢いを保ったまま、夜の高架へ飛び出した。


 背後から追ってきた黒塗りの車両が、数秒遅れて障壁を越える。

 アラヤの車と並走するように、右の車線に1台が接近。


 ドアが開き、黒服の傭兵が上半身を乗り出す。

 彼の手には発動中の“拘束符”――光る鎖の魔術呪符。


「こいつを引きずり下ろせッ!」


 傭兵の手が助手席側のドアを掴み、内側にいた元科学局員を強引に引き出そうとする。

 半身が車外にさらされ、叫び声が響いた。


「た、助けて、誰かっ――!」

「ラーダ!」

「はいはい」

ラーダが元科学局員の足を掴み、右腕を追っ手に向ける。

 その右腕が、機械的にスライドして小型ショットガンが展開される。

「失礼。頭、貸してくれる?」

 ――引き金。

 バシュッ!

 圧縮された音とともに、傭兵の頭部が霧散した。

 首から上が失われた身体が、ドアごと路面へ投げ出される。

 ラーダは助手席側へ滑り込み、半分外に出かけていた元科学局員の腕を掴む。

「こっちおいで、軟弱亡命者くん」

 あっという間に助手席へ押し戻すと、両脚を車外に突き出し――

「お返しだ、バカども」

 追ってきた車のボンネットに両足で蹴りを入れた。

 バギィン!

 車の前部が潰れ、軸が曲がる。

 そのまま追っ手の車はスピン、路面を回転しながらガードレールに衝突――横転した。


「後ろ、もう一台」


 ラーダが振り返った。

 残った追跡車が、黒煙を巻き上げて“重力封殺”の術式を投下する。

 アラヤたちの車体の上空から、圧縮空間が“押しつぶすように”落ちてくる。


「重力魔術。あの車、積んでるわね。――ラーダ、握って」

「はいはい、助手席代行運転、承りました」


 ハンドルをラーダに預け、アラヤは意識を集中した。

 その瞳が再び、蒼く点滅する。

 ――時間停止、0.8秒。


 世界が一瞬、凍りつく。

 迫る重力塊が空中で“止まり”、雨粒が宙に浮いたまま留まる。

 アラヤは後部座席に身を乗り出し、拳銃を構える。

 敵車両の魔術増幅装置“術式筒”に、正確に3発。

 ――解除。


 世界が動き出す。

 魔術の塊は霧散し、敵車両の屋根から火花が上がった。

「はい、解除完了。次は?」

「下道。撒く」

「りょーかい、避難経路マーク済み。こっちに逸れるわよ」

  ラーダがハンドルを切り、車体をわずかに傾けながら脇道へ滑り込む。

 ラーダがホログラフィックマップで追跡ドローンのルートを表示し、即座にその死角を縫うように進行。

 路面に溜まった雨が跳ね、火花が交差する。

 追手は巻いた。だが、上空から再びヘリのローター音。


「上、ヘリがきた」

「なら、終点は海ね。桟橋まで出る」

「アラヤのくせに、よく喋るじゃない」

「うるさい」

「一体、君たちは何者なんだ……?」

 元科学局員の問いかけに、アラヤは答えなかった。

 ただ一度、微笑を浮かべるだけ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ