結婚式当日に処刑が決まるなんて、なんて可哀想な王妃様
※本物のヤンデレがいます!苦手な方はご注意ください
リリアナ・アルヴェールは、その日、王妃になったとともに罪人となった。いや、正確には『王妃になる直前』だろうか。
「リリアナ・アルヴェール、国民の血税である国庫の金を使い込んだのはお前だな」
純白のドレスを身にまとったリリアナは、騎士に取り囲まれている。
騎士たちの後ろに控え、厳しい声を発しているのは、戴冠したばかりのジョセフだった。
病弱だった国王が亡くなったため、彼は王太子ではなく、新たな国王としてこの場所に君臨している。
深いブルーの瞳が、リリアナを射抜いた。
「……リリアナ、反論は?」
「ありません」
背筋を伸ばしてそう告げれば、広場に集まった国民たちがざわめいた。
(それもそうだ。だって今日は、私と国王ジョセフの結婚式当日。私が王妃になる日なんだから……)
王都の中心にある広場には、ガーランドを始めとした色とりどりの装飾が施され、街全体が浮き立った空気だった。
だというのに、今日のために煌びやかな服を仕立てた貴族たちは、何も言わずにリリアナから目線を逸らす。
「俺は、彼女の妹であるマリアンヌと結婚する! 彼女が新しい王妃だ!」
国王ジョセフの傍に並んだのは、薄い水色のドレスを纏った美しい令嬢だった。リリアナの妹である彼女は、ふふんと得意げな笑みをリリアナに向けてくる。
(仕方のないこと、だけど)
その様子に国民たちは、さらに困惑の声を漏らす。残念ながら、その声は国王ジョセフにも妹マリアンヌにも届いていないようだが。
「アシェル、後は処理しておけ。リリアナの処刑は本日中だ」
「承知いたしました」
国王ジョセフがそう冷たく告げれば、アシェルと呼ばれた男はリリアナの前に出た。
すっと通った鼻筋に、目にかかった黒髪。美しいブルーの瞳を細めながら、近づいてくるのは、国王が最近になって重宝している騎士である。
「あーあ。結婚式当日に処刑が決まるなんて、なんて可哀想な王妃様」
かちゃり、とウエディングドレスにそぐわない金属の手枷を嵌めながら、アシェルは憎たらしい笑みを浮かべる。
(アシェル……これが、貴方の夢だったの?)
アシェルの後ろに見える空は、真っ青に晴れ渡っている。雲一つなく、うららかな春の陽気だった。
(そうだ。貴方と初めて会った時も、こんな空だった)
リリアナは、目を瞑った。
そうして思い出すのは、長くも短かった王立学院での日々である。
◇
リリアナ・アルヴェールは、生まれた瞬間からその存在を祝福されることはなかった。
伯爵である父と平民だった母の間に生まれた彼女は、血統を重んじるアルヴェール伯爵家では邪魔な存在でしかなかったからである。
『穢れた血を持つ娘』
リリアナはそう呼ばれ、蔑まれて生きてきた。
王室より王妃候補を出すように命じられたアルヴェール伯爵家は、嫡子である2つ下の妹のマリアンヌを王妃候補として教育した。
リリアナは、そんなマリアンヌの補佐という名目で身の回りの世話を言いつけられた。掃除、洗濯、ドレスの着付け、時には王妃教育に嫌気の差したマリアンヌから強く当たられることもあった。
(私はこのままアルヴェール伯爵家で使用人同然の生活を送るんだわ……)
しかしながら、当時まだ健在だった国王は反血統派だったこともあり、マリアンヌより優秀であるリリアナを王太子の婚約者として指定した。
『あのジジイもいらないことをしてくれる!』
父であるアルヴェール伯爵は苛立ったようにリリアナに勅命書を投げつけた。
『平民……まして平民の穢れた血など、貴族の尊い血統に適うはずもない! お前を野放しにすると、後々面倒なことになるから、アルヴェールを名乗らせてやっているだけだというのに!』
リリアナの顔立ちは父には似ていないものの、淡く発光するような銀色の髪も、アメジストのような深い紫の瞳もアルヴェール伯爵家を象徴するものであった。
リリアナが成人してから、アルヴェール家の人間だと発覚した場合は、大変厄介なことになるのが目に見えている。
『とはいえ、陛下の命令だ。お前を王立学院に入学させる。成績は問題ないから試験は受ける必要はないそうだ』
『…………』
王立学院は、貴族の子女が通う高等教育機関だ。三年間のカリキュラムを終えた者たちは、それぞれの領地に戻って家を継いだり、王宮勤めを目指したりする。
しかし、リリアナの未来はそんな輝かしいものではない。
『……いいか、お前は王立学院では能力をひけらかすな。決して着飾らず、目立たず、平凡な令嬢として振る舞え』
『はい、お父様』
そう返事をすれば、『お父様』という響きが気に入らなかったのか、父は舌打ちをしてリリアナを睨みつける。
『覚えておけ。お前は――――いずれ、血統の正しさを証明するべく、この国のために死ぬのだぞ』
それは、生まれてきてからずっと言われ続けた言葉だった。
きっと、リリアナには優秀な頭脳も美しい容姿もいらない。
それならば、自分の生まれた理由は。
(この人たちのために、生きて死ぬことなんだ)
そうして、リリアナは強制的に王立学院に押し込められたのである。
◇
実家の領地からも離れ、王都に借り上げた家に住まい、のびのびと勉学に励む日々はリリアナにとって最高の時間であった。
(王立学院に通う三年間だけは、私も自由なんだ)
リリアナは王立学院では、特に虐められることもなく、つつがない日常を送ることができていた。
それも、リリアナの伯爵令嬢という肩書きと王太子の婚約者であるという立場に支えられた平穏である。
(ま、残念ながら友達は出来なかったんだけどね……)
父の言いつけを守り、平凡を演じ続けていたリリアナはその存在を忘れ去られるほど影が薄くなっていたのである。
友達どころか、知り合いと呼べる人物がいるかも怪しい。
リリアナは移動教室も一人、放課後も一人、なんなら昼食だって旧校舎までやってきては、誰にも見つからないようにパンを齧っている始末だ。
『……ん?』
そんなリリアナに転機が訪れたのは、王立学院生活最後の年である三年生になってから、少し経った日の昼休みのことだった。
いつものように、旧校舎の中庭で昼食のパンを食べようとしていたところ、誰もいないはずの中庭に人影が見えた。
『……調子に乗るんじゃねぇぞ!』
三人ほどの男子生徒が、ひとりの生徒を蹴り飛ばしている。虐めている生徒たちのことを、リリアナは知らない。おそらく下級生だろう。
(イジメなんて、王立学院じゃ見たことないのに……!)
学院に通っているのは基本的に貴族の子女である。多少の陰口等はあっても、卒業後も付き合いのある人間を虐め抜くほど頭の悪い人間は、ここにはいないはずだった。
リリアナは、昼食のパンをベンチに置くと、つかつかと彼らに向かって歩み寄っていく。
『貴方たち、何やってるの!』
少し大きな声でそう言えば、三人はぎょっとした顔をして振り返った。
『なんだよお前……って三年生……?』
『馬鹿! お前、確か王太子殿下の婚約者の……』
『あ、ああ……名前何だっけ……そう、確か、伯爵家の……』
段々と青ざめていく彼らは、お互いにこそこそ話しながら、その場を離れていく。
『まっ、俺ら遊んでただけなんで! 何も見なかったことにしてください! じゃ!』
ばたばたと逃げるように走っていく男子生徒を一瞥したあと、リリアナはその場にうずくまっている生徒に声をかける。
『貴方、大丈夫?』
『うぅ……』
地面に転がっていたからだろう。ブレザーもシャツも土に塗れており、顔にはすり傷ができている。
痛々しい姿に、リリアナはしゃがみこんで、心配そうに顔を覗き込んだ。
『痛くない? 立てる? 保健室行こうか?』
『……必要ないです』
しかし、返ってきたのは冷たい声だった。何事もないかのように立ち上がった彼は、パンパンとズボンについた砂を払った。
『……親切は結構ですが。僕に関わるとろくなことがありませんよ』
『それはどういう?』
リリアナは、その言葉に首を傾げながら、改めて目の前の男子生徒を見つめる。
黒檀のように真っ黒な髪、そこから覗く美しいブルーの瞳。長いまつ毛や薄い唇は、女性を思わせるほど美しい。息を呑むほど整った顔立ちだ。
その眉目秀麗な容姿は、噂の新入生に違いない。
『……新入生のアシェル』
『知ってたんですね』
目の前の男子生徒――――アシェルは、4月に王立学院に入学してきたばかりの平民である。
名目上は、どの人間にも門戸が開かれている王立学院であるが、実際、入学試験に通過するとなれば一定以上の学力が求められる。
(必然的に、高い水準の教育を受けてきた貴族ばかりになる。それは仕方のないことなんだよね)
未だかつて、この学院に入学してきた平民は1人もいない――――つまり、アシェルが記念すべき王立学院初の平民となる。
そのため、入学式の後からアシェルの存在は瞬く間に噂で広がった。優秀な平民、かつ驚くほどイケメンである!となれば、誰もが話題にしたくなるだろう。
友達が皆無なリリアナでも知っているくらいである。
(だから、貴族たちに目を付けられたんだ……)
平民なのに、自分たちより優秀であるという事実は、血統主義を掲げる貴族たちからすれば、面白くないのだろう。
『分かったら、立ち去った方が身のためですよ。貴方の立場が悪くなるのは目に見えて――――』
その言葉を遮るように、リリアナはずいっと彼に近寄った。そして、手をとってブンブンと上下に振った。
『えっ、凄い! 本物!? 私、ずっと会いたかったんだぁ!』
『はぁ……?』
『あれでしょ!? 入学試験で未だかつてない最高得点を叩き出して、問題作成者のミシェル先生を唸らせたという……!』
ミシェル先生は、リリアナの担任だ。優しいけれども、勉学に関しては人一倍厳しさを持つ教師である。彼は、平凡で目立たないリリアナにも親身に接してくれる教師の一人だった。
リリアナは、そんなミシェル先生が唸ったという話題の新入生にぜひとも会ってみたいと思っていたのだ。
『あの……』
困惑したようなアシェルの言葉にリリアナは、ハッと我に返る。リリアナは、伯爵令嬢であり、王太子の婚約者なのである。
『失礼いたしました。わたくし、リリアナ・アルヴェールでございます。以後お見知りおきを』
『もう遅いでしょ』
『えへへ……』
アシェルは、カーテシーをするリリアナをじっとりした目で見下ろす。リリアナは、気まずそうに肩をすくめながら苦笑いした。
(ついつい、はしゃぎ過ぎちゃった……)
そして、ベンチに置きっぱなしにしているパンが入った紙袋を持ち上げると、アシェルに差し出した。
『私……購買でパンたくさん買っちゃって! 一緒に食べない?』
『あの、僕の話、聞いてました?』
深い溜息をつきながら、アシェルは腕を組んで彼女を見つめる。
『貴方、王太子の婚約者ですよね。僕に関わって、変な噂が立ったらどうするつもりですか』
『大丈夫! この旧校舎は基本的に誰もこないし、それに』
思い出すのは、可愛らしい顔立ちの妹マリアンヌである。アシェルと同じく、今年入学した彼女は、さっそく多くの男子生徒の心を掴んでいるらしい。
『王太子殿下は、貴方の同級生の女の子――――私の妹に夢中でしょ?』
『……ああ、あの人か』
しかし、アシェルは興味なさそうに呟くとベンチに腰掛けた。そして、リリアナが差し出したままのパンをじっと見つめ、直後、怪訝な顔をした。
『えっ、なんですかこの奇怪なパン』
『かぼちゃとブルーチーズのデニッシュ、だけど』
『……かぼちゃと、ブルーチーズ?』
かぼちゃを象った形のそのパンは、中に煮詰めたかぼちゃとサイコロ状に切ったブルーチーズが入っている。これはリピート三回目だ。
『こっちは、イカスミとブルーベリーのクロワッサン、トマトジャムとコーヒークリームのサンド、キャベツとリンゴのスパイススコーンでしょ……?』
『なんでそんなに、パンのチョイスが美味しくなさそうなんですか』
アシェルは、かぼちゃとブルーチーズのデニッシュを受け取ると、まじまじとそれを眺め出した。リリアナは、その横にちょこんと腰掛ける。
『まあまあ、騙されたと思って食べてみなさいよ』
パクリとアシェルがパンを齧った。直後、彼は、ぱちぱちと瞬きしながら呟く。
『意外に美味しいな……』
『でしょ?』
流石、男子生徒。
もぐもぐ、と数口でパンを口に押し込むとすくりと立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
『ありがとうございました。ですが、もう僕がイジメられているところを見ても、助けは不要ですので――――……』
アシェルの瞳には、他者への拒絶に近いものが浮かんでいる。その瞳には、リリアナは見覚えがあった。
(私と同じだ。ずっと孤独で、それでも希望を捨てられない目)
だから、淡々としたアシェルの言葉を遮って、リリアナは告げるのだ。
『私はアシェルが困ってたら、何回だって助けるよ』
『どうして』
理由なんて、そんなもの一つしかない。
『――――だって、ひとりぼっちって寂しいから!』
『……!』
わずかにアシェルの目が見開かれた。美しいブルーの瞳は、まるでサファイヤのようにキラキラと輝いている。
やはり、何度見ても綺麗な顔だ。
うっとりと見惚れていると、少しだけ顔を赤くした彼が、憎たらしい笑みを浮かべて言った。
『じゃ、また明日ですね。先輩』
『せん……っ!』
きっと今は、リリアナは今までの人生で一番だらしない顔をしている自信があった。
(えへへ、先輩。先輩、かぁ……)
リリアナにとって、初めてできた人間関係だと言っても過言ではない。先輩、という単語を噛みしめながら、緩む口元を隠し切れずに空を見上げた。
(……あ、空、綺麗)
初めてアシェルに先輩、と呼ばれた日は、春の陽気が漂う真っ青な空だった。
◇
『アシェル、期末試験で1位だったんだって?』
『……まあ』
空返事をしながら、窓際の席に座ったアシェルは答える。
彼は今、律義に期末試験の解き直しをしているらしい。
リリアナはそんな彼をぼんやりと眺めながら、机に突っ伏していた。
じめじめとした蒸し暑さで、制服のシャツがぴたりと張り付くようだ。
『ていうか、先輩はなんで夏休みなのに学校いるんですか』
『それはアシェルもでしょ?』
アシェルとは、彼を助けた日から、ほぼ毎日昼食をともにしていた。別に約束をしているわけではない。旧校舎に行くと、いつもアシェルがベンチに座っているのだ。
そんな毎日を過ごしているうちに、三か月が経った。
先週の期末試験を最後に、学院は夏休み期間に入り、ほとんどの生徒が自身の領地に帰省している。
リリアナたちがいる本校舎も、彼ら以外に人影すら見えない。
『僕は平民だし、帰る領地がないから、暇つぶしに自習に来てるだけですけど』
『私も同じような理由』
『…………そうですか』
アシェルは、リリアナの事情を深く聞いてこない。王太子との関係も、実家のことも、妹のことも。
興味が無いだけだとは思うが、リリアナはそんなドライなところもアシェルの良さだと思っている。
(……暑いから、窓枠に座っちゃおっと)
リリアナは、窓枠に足を掛けて、そこに座った。
教室は、蒸し風呂のようだったが、外は多少風が吹いている。体の半分が外に出たおかげで、幾分涼しくなった気もする。
『危ないですよ。ここ2階だし』
『大丈夫! 先生に見つからなければ問題なし』
『そういう問題ですか』
そういう問題である。
教師陣の中で唯一、リリアナを認識していると言ってもいい担任のミッシェル先生に見つかったら、きっと沢山の課題を出されてしまう。それだけは勘弁だ。
『先輩は、勉強しなくていいんですか……まったく』
小言を言いながら、アシェルはペンを頭にとんとんと打ち付けながら悩んでいる。
アシェルが困ったような顔をしているのは、リリアナの突飛な行動のせいではない。先ほどから、彼はずっと同じ問題で引っ掛かっているのだ。
(きっと、この問題が解けなかったんだろうな……)
リリアナは窓枠に座ったまま、上半身をずらして問題を覗き込む。
『ここはね、二年生で習う公式を使えば簡単なんだけど、一年生の知識で解くなら――――』
ペラペラと解説をしていくリリアナに、アシェルは驚いたように目を見開いた。『なるほど……』と零したあと、目を細めてリリアナを見つめてくる。
『先輩、この前の期末試験何位でした?』
『えーっと、68位?』
『はい?』
呆れたような声である。アシェルはペンを置いて腕を組んだ。どうやら、アシェルは人に説教をするときは腕を組む癖があるらしかった。
『……わざと悪い点を取ったってことですか?』
『ぜ、全力で頑張ったんデスケドネ……』
『はい、嘘』
短く否定の言葉を返したアシェルに、どう説明するものかとリリアナは悩んだ。別に、家の事情を隠しているわけでもないが、彼にとってつまらない話になるのは目に見えている。
『……目立ちすぎるのも良くないから、みたいな』
『それって、先輩の親から言われてるんですか』
『す、鋭いねぇ、アシェルくんよ』
意外だった。
アシェルが深く聞いてこないのは、他人の事情には興味が無いものだと思っていたからである。
『……別に、隠してないから言うけど。私は、妾の子だから』
『それで、目立たないようにしろと?』
『アルヴェール家は、血統主義だから』
『古いですね』
『ふふっ、そうだね』
思わず、リリアナの口から笑いが漏れる。今まで暮らしてきた中で、アルヴェール伯爵家を非難する人間なんて出会ったことがなかったのだ。
アシェルの不遜な物言いに、リリアナの心は少しだけ軽くなった気がした。
『隣、座ってもいいですか』
『あ、窓枠に座るなんて、悪いんだぁ』
『すでに窓枠に座っている人間から言われたくありません』
窓枠にひょいと腰掛けたアシェルは、隣のリリアナのことをじっと見つめている。形のいい唇が動いた。
『……なんで先輩ってそんな明るいんですか。家族や王太子殿下とも上手くはいってないんですよね』
『うーん、そうだなぁ』
ぼんやりと見上げた先にあるのは、夕焼け空だった。そんなオレンジ色の空を見ながら彼女は思うのだ。
(本当は、ずっと希望が捨てられないから……なのかもしれない。もしかしたら、私が私としての人生が生きられるような……普通の未来を待ちわびているからなのかもしれない)
家のために生き、家のために死ぬ運命にあるのに、そんな淡い思いを抱えている。
けれど、そんな本音を言うことはできず、しばらく考えたのちに、リリアナは言った。
『友達ができた時に暗い人間って思われたくないから、かな!』
『先輩って友達、いるんですか』
『いや……えっと、ミッシェル先生とか』
『…………』
『あ、私、購買のおばちゃんと仲いいよ! 売れ残りパンをいっつも買い占めてるから!』
そう言いながら、リリアナはバッグの中からいくつかパンを取り出した。
『だからいっつも変な味のパンばっかり買うんですかほんとにもう……』
アシェルは、はあと溜息をつく。
『ミッシェル先生と購買のおばちゃんが出てきたのに、僕が出てこないのはちょっと癪ですけど』
少し可愛らしく拗ねたように言うアシェルに後輩らしさを感じつつも、リリアナは思うのだ。
(アシェルは、さ。違うじゃん……)
友達という枠に入れるには、身分も立場も考え方もあまりに違い過ぎる二人だ。
(別に、友達だったら惜しいな、なんて思ってないけど……)
隣にいるだけで心地良いこの感情は、考えれば考えるだけ分からなくなってくる。
だから、今は先輩と後輩というあいまいな関係に押し込んでおくことにした。
『あげる、レモンクリームバジルパン』
『また、その微妙なチョイス……』
リリアナがアシェルにパンを押し付ければ、文句を言いながらも、アシェルはちゃっかりそれを口に放り込むのだった。
その様子を見ていると、気が緩んでしまったのか、リリアナはつい本音が溢れ出た。
『私も普通に、幸せに生きたいなぁ』
『……!』
少し驚いたような顔をしたアシェルは、ぱちぱちと瞬きをする。
そして、何かを決意したような顔で、『そうですね』と返した。
◇
王立学院の木々も色付き、ついこの間までの蒸し暑さが嘘のように涼しい風が吹く。季節は、移り替わり、すっかり秋模様になっていた。
季節の移り替わりとともに、リリアナの運命も移り変わっていく。
つい先日、国王が病によって亡くなった。王太子であるジョセフは、王立学院の卒業式の直後に国王となることが発表された。
(いきなり呼び出して話なんて、何だろう)
本校舎の中庭には、リリアナと王太子、そして妹のマリアンヌがいた。
黄色や赤の絨毯になった落ち葉をしゃくり、と踏んだ音とともに聞こえたのは王太子の声だ。
『俺が戴冠してすぐの4月に、リリアナと結婚式を挙げる。そして結婚式の日に、リリアナ――――お前を処刑することにした』
『え』
それは、あまりに唐突で、理解しがたい言葉だった。『結婚式』と『処刑』という二つの結びつかない言葉がリリアナの頭の中で回り続ける。
『理由の説明はいるか? 国庫金横領事件の主犯が俺の部下だったからだ。即位して早々、俺の支持が下がるのは避けたいからな』
『それって……』
(最近、王室が外部の専門家から国庫金の収支が大幅に合わないのでは……って指摘を受けていた件だよね?)
ジョセフは部下、と言ってはいるものの、王太子本人とアルヴェール家が一枚噛んでいることをリリアナは知っていた。
(私に罪を擦り付けることで、『やはり、平民の血は卑しい!』って言うつもりなのね。自分の罪も逃れられて、血統の正しさも証明出来て、一石二鳥。これが、私の使い道か)
娼婦の血の混じった、金遣いの荒い悪逆非道の女を王妃となる前に処刑する。大義名分が立っているし、確かに、リリアナを使うには良いタイミングだろう。
それにしても。
『なぜ結婚式の日なのですか』
『そんなの国民にお前の不正を見せつけ、新たな王妃の誕生を祝ってもらうのに打って付けのチャンスに決まっているからだろう』
なるほど、とリリアナは頷く。
大勢の国民の前で純白のドレスの女が断罪される様子は、かなりのインパクトだろう。
それに、新しい王妃のお披露目も兼ねることができる。
『……そういうわけなの。お姉様』
妹のマリアンヌは、全く悪びれもせずに、にっこりと笑みを浮かべた。まるで、リリアナが死ぬのが当然、とでもいうようだ。
しかしながら、怒りは湧いてこない。
(別に、この二人に恨みがある訳じゃない。王太子殿下だって、政治的な考え方が違うだけだし、マリアンヌも私を虐げるのが正しいのだと両親に教育されてきたんだから)
リリアナは生まれたその瞬間から、伯爵家や国のためにその命を使うことが約束されているようなものだった。この結果は、当然の帰結だったと理解することができる。
きっと今までのリリアナであれば、何も考えることなく受け入れることができたのだろう。
(それでも)
リリアナの頭に思い浮かんだのは、黒髪の少しだけ憎たらしい後輩だった。『先輩』と呼びかける彼のことを思うと、胸が締め付けられるように痛かった。
少しだけ滲んできたその視界の向こうで、ジョセフは無表情のまま告げる。
『そういえば、最近、あの平民と仲良くしているらしいじゃないか』
『……!』
見透かされたようなその言葉に、リリアナは弾かれたように顔を上げた。
まさか、アシェルに何か危害を加えるつもりなのかと不安に駆られるが、ジョセフは首を横に振った。
『いや、責め立てるつもりは無い。国のために死んでくれるお前のためだ。今後の行動に口を出すつもりはない』
申し訳なさそうな顔をしたジョセフは、その美しいブルーの瞳を伏せて、ぽつりとつぶやく。
『ごめんな』
(ああ……)
彼らだって何かに縛られているのだ。単なる意地悪でリリアナを処刑台に乗せるわけではないことも分かっている。
(いずれ、家のために死ぬことなんて、ずっと前からわかっていたのに)
リリアナは、じくじくと痛む左胸を押さえた。
いくら父親から罵られても、マリアンヌからこき使われても、こんな気持ちにはならなかったというのに。
こんなことなら、ずっと一人でいれば良かったのかもしれない。
(きっと、アシェルと過ごすうちに、私の命に価値があるように思えてしまったんだ)
視界が滲んでいた理由が、涙のせいだと気が付いたのはジョセフとマリアンヌが立ち去った後だった。
リリアナは、もう溢れ出る涙を止めることができなかった。駆け足で人目に付かない旧校舎へ向かっていく。
そうして、誰もいない中庭の端に、ひとりでうずくまった。
『ふっ……うぅ……』
リリアナの泣き声を遮るかのように、予鈴が響いた。
それは、あと5分で授業が始まる合図だ。だから、旧校舎にいる人間なんてリリアナ以外いるはずもない。
それなのに。
『っ、先輩!』
鼓膜に届いたその声は、いつも聞いている後輩のもので。
『……なんで』
『毎日、あの変なパンと騒がしい先輩の声を聞かないと落ち着かないので』
リリアナが顔を上げた先には、ブルーの瞳が心配そうに揺れていた。リリアナは、涙をブレザーの袖で拭って、へへと笑い声を上げる。
『授業、始まっちゃうよ』
『――――どうでもいいだろ、そんなこと』
リリアナの手首が少し強く掴まれた。
じっと覗き込んでくるその顔は、いつもの彼と違って、厳しそうに目を吊り上がっている。
『先輩、泣いているんですか』
『泣いてないよ』
『はい、嘘』
パッと手首を離したアシェルは、呆れたようにため息をついた。
そうして、もう片方の手に抱えている紙袋を差し出す。そこから香るのは、ほんのりとした小麦の香りである。
『パン、いらないですよね』
『食べる……』
『あ、食べるんだ……』
ぽつぽつと雨が降り始めた。
二人は、屋根の下まで移動して、ぺたりと地面に座り込む。アシェルから、『セロリと魚肉ソーセージパン』を受け取ったリリアナはぽつりとつぶやく。
『結婚式が決まったの。卒業したら、私、結婚するの』
『…………』
アシェルは、降り始めた雨を見上げながら、なぜか少し考え込むような仕草を見せた。
『なるほど、こちらの動きに気がついて時期が早まったのか……? それともただの気まぐれか……?』
『アシェル?』
『いいや、こっちの話です』
リリアナは首を傾げる。
一瞬、彼の顔にドロドロしたほの暗い感情が渦巻いているような気がしたのだ。
アシェルは、表情を元に戻すと、リリアナの手を取った。
『先輩、僕と逃げませんか』
『えっ』
『僕だったら、どんな遠くの国にも先輩を連れていける。……だって、平民なので』
唐突な提案だった。
アシェルの言葉がからかいでは無いことは、彼の表情を見ていれば理解できた。
きっと泣いているリリアナが、結婚に縛られているのだろうと心配してくれているのだ。
(そうだなぁ。どこか遠くに逃げてしまいたい……)
アシェルの提案は、心から嬉しいものだった。けれど。
『それは駄目』
泣きはらした瞳でそう告げれば、アシェルの顔が曇っていく。
それでも、リリアナは首を縦に振るわけにはいかない。
(アシェルに迷惑がかかってしまう……)
アシェルだって、この先長い人生を生きていくのだ。『普通』に生きられるはずのアシェルの人生を潰してまで、リリアナは自由を手に入れたいだなんて思わない。
『……ごめんね、周りに迷惑がかかるもの。そんなこと、私は耐えられない。きっと自分が死ぬよりもずっと』
きっぱりとそう言い切れば、アシェルは少しだけ眉根を寄せた。
『死ぬなんて』
『ただの比喩だよ』
リリアナは、話し合いを打ち切るようにパンに齧りついて、もしゃもしゃと口の中に押し込んだ。
『美味しいね』
『……そうですね』
妙にしょっぱいそのパンは味が特別美味しいわけではない。それなのに、とても美味しく感じるのは。
(アシェルと一緒に食べているから。こんなに美味しいんだ)
雨が降っているため、少しだけ手が冷たくなってくる。
そんなリリアナの手に、優しく温かい手が重ねられた。それは、きっとアシェルがリリアナを励ますためのもので。
(……ああ、嫌だなぁ。死んじゃうの)
その時、授業が始まる鐘が鳴り響いた。
しとしとと振る雨を眺めながら、リリアナとアシェルは初めて授業をサボった。
◇
その日は、王都に珍しく雪が降りつもった。
リリアナは、ブーツでさくさくと雪の中を駆けていく。上がる息は、すべて白くなって空気に溶けていくようだった。
『アシェル!』
馬車に乗り込む寸前の黒髪の男を呼び止めれば、彼は驚いたような顔で振り返った。
寒いからか、アシェルも鼻が少し赤くなっている。
『学院を辞めるって本当なの?』
『ええ、本当ですけど』
『なんで、何にも言わずに……っ』
真っ黒な厚手のコートに身を包んだ彼の横には、確かに大きなトラベルバッグが携えてある。
アシェルは、リリアナの質問に答えることなく、目を細めるのだった。
『誰から退学の話を?』
『ミッシェル先生』
それは、リリアナがたまたま、提出物をミッシェルに届けた時だった。
『そういや、お前と仲良かったアシェルに挨拶は済んだか?』なんて言い出したものだから、リリアナは彼の胸倉を掴んで根ほり葉ほり聞いたのだった。
(完全に、先生の中で私の平凡キャラが崩壊しただろうけど、背に腹は代えられないし……)
教師の名前を聞いたアシェルは、額に手を当てて溜息をついた。その溜息は白い息となって、ゆっくりと吐き出される。
『夢が出来たんです。そのために、やるべきことをやらないと、と思いまして』
『……夢』
『そうです。いつの日か先輩も言ってくれましたよね。『普通に幸せに生きたい』、って』
『まあ、言ったけど……』
リリアナは、夏休みのことをぼんやりと思い出す。夕日を眺めながら、たった一度だけリリアナの心の内をぽつりと話したことがあった。
『その言葉に後押しされたんです。僕も『普通』に生きてみようかと……まあ、本当は夢を叶えてから、先輩に会いに行こうと思っていたんですけど』
『…………それは』
どんな夢か聞こうと思ったリリアナだったが、口を噤んだ。彼の夢を聞いてしまえば、その夢が叶う日を見届けたくなってしまうからだ。
(今は12月だから――――結婚式は3か月後。つまり、私が死ぬのも3ヶ月後。きっと、アシェルと会うのは、これが最後になる)
きっと、彼が夢を叶えるその日までリリアナは生きていない。
リリアナは一度ゆっくりと目を瞑り、今までのことを思い出していた。
(長いようで、短かったなぁ……)
特別なことなんて何もないただの日常。約束をしているわけでもないのに、昼休みに旧校舎に集合しては秘密の話をするかのように他愛もない話に明け暮れた。
(それにどれだけ救われたのか……アシェルに、伝えなきゃ。お礼を)
リリアナは、ぱっちりとその目を開いた。彼女の深紫の瞳が露わになる。
『私ね、今まで人と深く関わってくることが無かった。家族ともうまくいってないし、王太子の婚約者も名ばかり。目立たずに生きていたせいで、友達もできないし、学院での生活は実はそんなに楽しくなかったんだ。でもね』
リリアナの心を救ってくれたのは、間違いなく目の前にいる、友達でもない、家族でもない、ちょっとだけ憎たらしい後輩のおかげなのだ。
『アシェルと会って、毎日登校するのがとっても楽しかった! ……だからね。今までありがとう! アシェルと話した時間は、私にとって癒しのひとときとだったというか……』
リリアナは一息ついて言う。
『本当に良い人生だったなって!』
『…………』
その言葉を聞いたアシェルは、顔を顰めた。
『その言い方って、まるで先輩が死んでしまうみたいですね』
『……まさか!』
おどけた顔でそう言えば、アシェルはますます不機嫌そうな顔になるのだ。リリアナの言葉を否定するかのように、言葉を紡ぐ。
『それなら、なんでそんな泣きそうな顔をしてるんですか?』
『えっ』
リリアナは自分の顔を触ってみる。鏡が無いからわからないが、確かに酷い顔をしている気がした。
『……それは、きっとアシェルとのお別れが寂しいからだよ』
『それは、どうして』
『…………』
(どうして、だなんて)
その問いかけで、リリアナは初めてその感情に気がついてしまったのだ。
(春に見上げた青空も、夏休みに眺めた夕日も、少し寒かった日の秋雨も、そして雪が降り積もった曇天の今日も。いつだって、アシェルと見つめた空が綺麗だと思えたのは――――)
婚約者がいる身であり、家族からも蔑まれている自分が、他人を好きになってしまうだなんて、最低なことだとわかっている。許されないことだと、痛いほど知っている。
それでも、押さえ込んでいた甘い感情が、胸から溢れ出してくるのを止めることはできない。
『アシェル、今から最低なことをするね』
『……せんぱ、い』
そう言って、アシェルの体温を奪うかのようにギュッと抱き着いた。リリアナよりも2歳下なのに、その体はリリアナよりもずっと大きい。
黒いコートに顔を埋めて、小さくつぶやく。
『……ごめんね。私、アシェルのこと後輩として見てなかったや』
リリアナが手を回した体が、困惑したように固まったのが分かる。だから、リリアナはすぐに彼の体から離れた。
『じゃあね、アシェル』
彼の顔も見ずに、リリアナは駆け出した。手袋なんて付けていなかったから、北風で手がかじかんだ。
(もし、来世があるとしたら)
雪の中を駆け抜けながら、涙が零れる。
(普通に暮らしたい。普通に恋をして、普通に貴方を好きになりたい)
別にその恋が、叶わなくたっていい。ただ、アシェルに想いを寄せることを許されるような人間になりたかった。
アシェルが退学してから、数日経った頃だった。
アシェルが、国内で有数の権力を持つギルバード公爵家に引き取られ、彼が平民から異例の養子となったと噂話で聞いた。
リリアナは、どこが『普通の人生』なのだと苦笑いした。
◇
「こんにちは。先輩、牢屋の居心地はいかがですか」
「あんまり良くは無いかな」
もう二度と会うことはないと思っていた好きな人の、心地の良い中低音が響く。だというのに、リリアナの心は存外穏やかだった。
(月の光がなくて、真っ暗で何も見えないからかな。全然緊張しないや……)
アシェルは、今や公爵家の令息である。本来は、敬語を使うべきだろうが、リリアナはどうせ処刑される身なのだ。最期くらい楽な話し方をさせて欲しい。
「僕のこと、恨んでます?」
「いいえ」
リリアナは、暗闇の中で首を緩く振った。
「王が命じたのであれば、それに従うのが騎士。貴方は何も間違ってない」
「騎士、かぁ……騎士、ねぇ」
含みがあるように繰り返しながら、とん、と彼が立ち上がる音がする。
そして、彼の纏う空気がどろりと重いものに変わると同時に、月が雲間から顔を出した。今日は満月らしい。
「それにしても凄いですね、この塔は。外部の音も全て遮断されているらしい」
「ああ、犯罪者を刺激しないため、だっけ?」
王宮の端に位置する、犯罪者の貴族や王族を幽閉しておくためのこの塔は特殊な防音加工がしてあるそうだ。
そのため、リリアナも閉じ込められている間、全く外部の音が聞こえなかった。
「それで、先輩はまだ何が起こったのかわからないわけだ」
「……?」
含みのある言葉にリリアナが首を傾げていると、かつ、かつ、とアシェルの足音が鉄格子に近付いてくる。
そうして、鉄格子の向こうから降り注ぐ月明かりに照らされたアシェルは――――なぜか真っ赤な血にまみれていた。
「アシェル……?」
「…………ふ、ふふ」
腹を抱えているのは、そこから出血している、という訳ではないのだろう。おかしそうに口元に笑みを浮かべた彼は、見たこともない表情で笑い声を上げていた。
「アシェル、その血……!」
「先輩、これは僕の血じゃないですよ」
そんなこと分かっている、と答えようとした時だった。
聞き覚えのある声と、足音がリリアナの鼓膜に響いた。
「さすがに、ここまでは追ってこないだろう……!」
「そうですね、陛下、少しここでやり過ごしましょう」
パッとランタンの明かりがついたとともに、照らし出されたのは、国王ジョセフとアルヴェール家の当主である父、そして王妃となったはずの妹であった。
なぜか、彼らの服はボロボロで、顔はすす汚れている。
「一体どうなっているんだ! 早急に次の作戦を立て……っ!」
ジョセフの言葉が途中で途切れた。彼らは一斉にアシェルの方に視線を向け、怯えたような表情のまま固まった。
その顔から、さーっと血の気が引いていくのがわかる。
「やあ、こんばんは。逃げている最中にランタンを灯すとは、ずいぶんと平和ボケをしていることで」
「アシェル、まさか、お前が……!」
声を上げたのは、ジョセフだった。しかしながら、アシェルは無慈悲に腰元の剣を抜くと彼の首元に突き付けた。
「お前とは、ずいぶんな物言いじゃないですか」
アシェルの声は、普段の会話のトーンと何一つ変わらない。それなのに、その言葉にはずっしりとした重みが加わっており、生殺与奪を彼が握っているのだと雄弁に物語っている。
「捕らえろ!」
アシェルのその言葉とともに、隠れていたらしい騎士たちが一斉に飛び出し、国王ジョセフとアルヴェール家の二人を拘束した。手枷足枷が嵌められた彼らは、さらにグルグルと縄で巻き上げられていく。
そうして、三人まとめてリリアナの隣の牢屋に押し込められた。
(な、何が起こっているの……)
リリアナは状況が飲みこめない。
公爵家の養子とはいえ、騎士であるはずのアシェルが、騎士団を従え、国王と王妃、そしてその父を牢屋に放り込んでいるのだ。
リリアナは、おずおずと檻の外にいるアシェルに声をかける。
「ごめんね、アシェル……頭が付いていってないんだけど」
リリアナの方を振り返ったアシェルは、重苦しい雰囲気を脱ぎ捨て、パッと顔を明るくした。
そして、早口で告げる。
「そういうことなら説明しますねそもそも先輩をもっと早く助けたかったんですけど確実性をとってまずは安全な牢屋に入れておきたかったんですだってもし王妃としてこの王太子の隣にいれば間違って殺されたかもしれないじゃないですかだから一度隔離しておこうと思ったんですよまあ、本当は秋ごろに隣国に二人で亡命する計画も立てていたんですけど思ったより結婚式が早まってしまったのが厄介で本当は別の男と結婚する先輩のウエディングドレス姿なんて見たくなかったですけどそれならせめて先輩を拘束してエスコートできればって思ったんで騎士として潜入していたわけです」
(な、何も頭に入ってこない……)
外国語を聞いているのだろうか、と思った。
長々と語られる、取り留めのない言葉たちは、全くリリアナの右耳から左耳に抜けていく。
「つ、つまり……?」
「――――革命を起こしました」
さらりとそんなことを言うものだから、リリアナは気絶しそうになってしまう。
(か、革命……!?)
何も分からない。
痛くなる頭を押さえていると、隣の牢から音がした。
アルヴェール家の二人が、ぎりぎりとアシェルの方を睨みつけている。
「私がリリアナを虐げたからか? それなら謝る! 私にだってアルヴェール家としての立場があって……」
「そ、そうよ。私だって、アルヴェール家の王妃候補としての立場を守っただけだわ……!」
情けない姿で、彼らは必死に言い訳を紡いでいる。
しかしながら、言葉の主たちに注がれたのは、冷え切った眼差しだ。
「じゃあ、彼女の立場はどうなるんだよ」
アシェルは、威嚇するかのように牢を蹴り上げる。
ガシャン、という大きな金属音が夜の塔に響き、その場にいた全員の肩がびくりと跳ね上がった。
「彼女は、お前らみたいな保身しか考えていない人間のために死ぬことを選んだ優しい人だ。その優しさにつけ込んで、散々好き勝手してきた人間が『立場』だ? 笑わせる」
「……――――っ」
彼の言葉は、ぴたりと喉元にナイフが当てられているかのように、死を伴った緊張感が漂っていた。
「『死』ごときで償えると思うな。お前らの処遇は、リリアナの一存で全て決まると思え」
聞いたことも無いアシェルの声色に、リリアナは困惑したままぺたりと座り込んでいた。
アシェルは、そんなリリアナの方を向くと、いつもの笑みを浮かべて、とびきり甘い声色で告げるのだ。
「先輩お待たせしてすみません。これで安心して牢屋から出られます。さあ、お手をどうぞ」
「あ、あり、がとう……」
牢屋の扉が開き、リリアナはアシェルの手を取ろうとする。しかしながら、彼の皮の手袋は、てらてらとした血に塗れていた。
「汚いものを見せてすみません。すぐに取りますね」
「…………」
アシェルは、手袋を手早く口で外すと、リリアナの手を取り上げて優しく微笑んだ。リリアナは、少し怪訝な顔で彼のことを見つめる。
「あの、アシェル、革命を起こしたって言ってたけど、そのために公爵家の養子になったの……? それが貴方の夢だったってこと……? で、でも、ど、どうやって……?」
「先輩」
子どもを諫めるような声色である。捉え方によっては、呆れているようにも聞こえるかもしれない。
「ただの平民が公爵家の養子になるわけないじゃないですか。そもそも、僕は、王立学院に入学したときから、ずっとギルバート公爵家の支援を受けていたんです。……まあ、当然、革命なんてする予定はなかったんですが」
スッと細められたそのブルーの瞳の色が、国王ジョセフと同じ色であると気が付いた時、リリアナの全身がざわりと粟立った。
「僕は――――亡き国王と妾の母との間に生まれた第二王子ですよ」
「あ、頭、痛くなってきた……」
よろめいたリリアナを優しく支えながら、アシェルはにこりと微笑む。
「大丈夫です。こんなに血にまみれていますけど、まだ誰も殺してないですよ」
「そういう問題じゃないよ?」
なるほど、と呟いたあと、アシェルの瞳孔がわずかに開かれる。
「あ、殺した方が良かったですか? 大丈夫、先輩が望むなら僕が全員殺してやるから」
「そうじゃないよ! 殺さないで! 怖いよ! やめてよ! ちゃんと法に則ってよ!」
「革命を起こしたような男に、それ言う?」
至極真っ当なことを、一番言われたくない男から告げられている。
リリアナが相変わらず頭を抱えていると、少し上から、溜息が降ってきた。
「……はあ、冗談です」
「えっ」
「この返り血は致し方ない戦闘で付着したものですし、貴族にはあらかじめ根回ししてます。僕の王位継承権は、そもそも消えてませんから、革命というより国王交代って感じですかね。ギルバート公爵家もそれを狙って僕をバックアップしていたわけですし」
心配しなくても法に則って手続きを進めますよ、と続いた言葉にリリアナは安堵の溜息を吐き出した。
(よ、良かった……アシェルの性格がおかしくなっちゃったのかと思った……)
彼が第二王子だったことには驚いたが、目の前の彼はきっとつまらない話をして変わった味のパンを齧っていた頃の彼と何も変わっていない。
「アシェルはさ、王座が欲しかったわけじゃないよね?」
「当たり前です。そんなもの興味あるわけないじゃないですか」
馬鹿言うな、というように鼻で笑いながら、当然のことを言うかのように目の前の後輩は告げるのだ。
「僕が欲しかったのは、貴方ですよ。先輩」
「……――――!」
その驚きは声にならず、わずかな息となって吐き出された。
「どうにかして助けたいと思ったんです。じゃなきゃ、こんな手段とるはずもない」
「わ、私のためなの……?」
「そうですけど」
「こ、こんなことしなくて良かったのに!」
「こんなことしなきゃ、貴方は死んだでしょ! どうでもいいじゃないですか、実家も王家もこの国も。さっさとそんなもの捨てれば良かったのに……」
悔しそうに顔を背ける彼に、答えを求めるように口を開く。
「どうして、アシェルはそこまでして、私のことを助けたの?」
どうしてそこまでするのか、なんて、少しだけ察してはいるけれども。
「なんだ、あの日の意趣返しですか?」
アシェルは、意地悪そうに、憎たらしい笑みを浮かべる。
それだけで、ぶわり、と全身の体温は一気に上がっていくのだ。
「先輩と過ごした日々が、僕にとって一番の宝物です。貴方に声をかけられる度に、まるでキラキラした宝石を贈られているような気分だった」
甘く柔らかい声に、心が溶けていくようだった。少し伏せられた瞳の中には、確かに嬉しそうな感情が宿っていて。
「いつだって、孤独な僕を救ってくれたのは先輩です。先輩は知らないんでしょうね。どれだけ、僕が貴方に救われていたのか」
ぐい、と引き寄せられて、骨が折れてしまいそうなほど抱きしめられる。それは、異常な執着を感じてしまうほどリリアナを縛るものである気がするのに。
「僕だって先輩のこと、先輩として見てなかったや」
リリアナに注がれる感情は、驚くほどに真摯な想いなのだ。
「僕は、先輩のことが好きだよ」
たったその言葉だけで、ぼろぼろと決壊したように涙が零れていく。
嬉しくて、たまらない。とびっきりの笑顔をアシェルに向けたい。
(それでも、私は……)
素直に好きだ、と言えなかった。
婚約者がいるのにアシェルに想いを寄せた自分も、アルヴェール家のために死ななかった自分も、最低な人間に思えてきて唇が震える。
「わ、わたし……生きてて良いのかな。アシェルのことを好きだって思っていいのかな。こんなに幸せな気持ちになっていいのかな……」
駄目だ、と心の中の自分が縛ってくる。
幼い頃からのアルヴェール家の呪縛は、リリアナの心の深くまで根ざしている。
そんなリリアナに、アシェルはあやす様にやさしく告げるのだ。
「……良いに決まってる」
離れかけたリリアナをふわりと抱き寄せ、優しく唇を重ねられる。柔らかな感触は、その呪いさえも少しずつ溶かしていくようだった。
「結婚してください。僕と」
「も、もしかして、それがアシェルの『夢』?」
「あれ、バレましたか」
はにかむアシェルのブルーの瞳が三日月のように細められる。
国王と王妃になるなんて、どこが『普通』なんだ、とリリアナは、久しぶりに心の底から笑えた気がした。
もちろん、返事は、「はい」以外無かった。
◇
国庫金横領事件およびリリアナを陥れようとした一件は、公になったものの、リリアナの強い要望により、元国王およびアルヴェール家の処刑は見送りとなった。
元国王ジョセフは、隣国に留学という形を取り、勉学や政治を叩き込まれ、みっちりしごかれている。
また、アルヴェール家の二人は爵位剥奪の上、ギルバード公爵家で馬車馬の如く働かされている。
だから、リリアナと顔を合わせることも今後一切無いだろう。
「本当は、どう殺してやろうかと思ってたんですけどね」
「……冗談、だよね?」
「ははっ、当たり前じゃないですか」
アシェルが笑ってみせれば、リリアナは安堵したように息を吐くのだった。
(まあ、10割本気なんだけどな。そもそも先輩は殺されかけてたわけだし。やっぱり先輩は優しすぎる)
アシェルは、王宮の中庭の椅子に腰かけながら、テーブルに積み上がったものを見つめる。
「ところで、なんですか、これ」
「お忍びで街のパン屋さんに行くのは駄目って言われたから、作ったんだけど……」
「作ったんですか!? パンを!? 王妃が!?」
「そ、そんな驚くことかな……」
リリアナが抱えたバスケットの中には、なぜか紫色に着色されたパンが入っている。アシェルは、少々げんなりしながらつぶやく。
「その変な味のパンに対する執着はなんなんだ……」
「だって、アシェルが変な味のパン好きだから」
「別に好きじゃないですよ!」
「えっ、そうなの!?」
その驚き方に、アシェルは思う。
もしかして、アシェルが彼女とはじめて会った日に告げた「美味しい」という言葉を信じて、ここまで変なパンを食べさせてきたのだろうか。
(それ、おばあちゃんが孫にするやつじゃないか……)
アシェルは頭を抱えた。
「お忍びが駄目って言われたから、作ったのに……」
「そもそも、お忍びが駄目だって言ったのは、貴方が国民から愛され過ぎて、すぐ気付かれるからです! 王妃になってから、まだ数か月だというのに、各地から引っ張りだこなのは何――――」
「わーっ、ごめんって!」
(リリアナが王妃として受け入れられるのが、あまりに早すぎたのは誤算だったな……)
そもそも、結婚式当日の処刑をよく思わない国民の方が多かったらしい。そのため、リリアナが処刑されず王妃となると発表した日は、王都はちょっとしたお祭り状態となった。
(極めつけは、国民との距離の近さだ……遠慮なく話しかけるのは彼女のいいところだが……)
フレンドリーなリリアナは、国民の反発を食らうどころか、いい意味で王族っぽくない振る舞いが好感を持たれたようで、今や王都の人気者である。
しかし、アシェルとしては、自分と過ごす時間が減るようで面白くない。
「拗ねないでよ、アシェル」
「拗ねてないですけ――――」
アシェルの口にパンが押し込まれる。口の中に広がるのは妙な甘い味だ。
「なんですか、いきなり……」
アシェルは、文句を言おうとした口を噤んだ。
リリアナが懐かしそうな目で、青空を見上げていたからだ。雲一つない晴れ渡った空は、確かにハッとするほど綺麗ではある。
「見てよ、アシェル。私たちが初めて会った日もこんな空だったよ」
「……よく覚えてますね」
アシェルは、そう言いながらリリアナを見つめた。彼女の銀色の髪がさらりと風に流れていく。
(孤独だった僕を引っ張りあげてくれた、僕の神さまみたいな人)
馬鹿みたいに真っ直ぐで、でもいつもどこか寂しそうで。
他人のことばかり考えて、自分のことは後回し。
アシェルは、リリアナといた時の空模様なんて一つも覚えていない。
なぜなら、アシェルはリリアナのことしか見ていなかったからである。
(だから、貴方のその景色を気にする余裕が少し悔し――――)
「アシェルにとっては、ただの空でも――――私にとって、アシェルと見上げた空は、いつだって特別な景色だったから」
「……!」
アシェルは、思わず息を飲んだ。
やっぱり自分の『普通の幸せ』に必要なのは彼女なのだと確信する。
リリアナのためであれば、人を殺すことはおろか、一国を滅ぼすことも厭わないかもしれない。一国どころか世界も神すらも敵に回したって構わない。
(本当に、彼女がくれる言葉のひとつひとつが宝石のようだ。ずっと、彼女と一緒にいたい。そのためならば、なんだってする)
だから、アシェルは残虐な選択肢を捨てない。
リリアナを守り、手に入れるためならば、どんな汚い手段を使ってもいいし、彼女自身から恨まれることも受け入れよう。
(そう。貴方は、何も知らないまま笑っていてくれれば、それでいいので)
その愛情は少しだけ歪んでいる。その自覚はある。
(殺さないという選択肢も、これはこれでーーーー)
アシェルは、袖元の血痕を隠しながら、リリアナに聞こえないように呟くのだ。
「あーあ。僕に愛されるなんて、なんて可哀想な王妃様」
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
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別の連載中作品もありますので、よろしければ覗いて見てください。
【ただの結婚詐欺師なのに、極悪王太子に「一緒に悪役になろう」と脅されています】
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