初恋の人はアイドルを目指している
私が焦がれたものは──
僕が好きな人は、アイドルになりたいらしい。
絵本を読んでいた僕にそう伝え、歌を歌ってくれた。
上手下手はわからなかった。
でも話しかけられたので、会話をすることにした。
帰り道、僕の手を繋ぐ父に向かいその子のことを話した。
その子を見た父親は、珍しい髪色だと言った。
何色?と僕は聞く、
そうしたら金色だよと、言われた。
金が何かは知っている。
あの、キラキラしていて、高価なものだよね。
振り返ると、あの子はまだ私に手を振っている。
振り返しながら、髪の毛をよく見ると、確かにキラキラしていた。
穂が揺れる。それは綺麗だ、
青空と金色が互いを引き立たせ、白い雲が二つを分断し、確固たる個として独立させる。
村は実りに感謝して、稲を刈る。
その中で、人の営みの中に、あなたがいればいいのに。
俺の好きな子は、アイドルになりたいらしい。
いつもそのための努力を、俺の目の前でしている。
ステップを私の前で踏んで、手を伸ばす。
これがダンスなのだと、疎い自分に毎回彼女は言う。
「どう?何か変なところはなかった?」
特に、と答えた後。見本の動画と違った点を指摘する。
「あるじゃないの」
詳しく教えてと、私のスマホを覗き込む彼女の、結んだ金髪のせいで見えた、うなじがあった。
綺麗。
美しいほど、壊してしまいたいと思うほど、それは儚かった。
「私のダンスは綺麗かもしれないけど、こういうのは完璧じゃなきゃいけないの!」
俺の言った点を、再度やる彼女は、輝いていた。
綺麗なものがアイドルらしいなら、彼女は絶対なれると、俺は思った。
同じ時期、よくクラスメイトから、二人は付き合っているのかと、冷やかしで言われた。
俺は特に答えずに無視したが、彼女はいつも。
「友達だけど」
と言った。
その言葉を聞いた日はいつも、母が怒る。
俺の茶を作る手先が乱れているからだと、そう言いながら。
一丁前に恋をして、それを伝える気は、俺にはなかった。
私から見て、君はどう映るのだろうと考える。
けれどわからない。
解けない恋のコーティングは、全てを惑わせる。
私の好きな人はアイドルを目指している。
ツインテールの金髪を揺らしながら、いつも私に練習の手伝いをさせる。
「ねえ、進路はどうするの?」
この時期は、皆浮き足立っていて、それは彼女も例外ではなかった。
私はこの、弓道部がある高校に行くつもりだと言うと、彼女は少し考えた後、こう言う。
「ねえ、私も行っていい?」
その言葉の意味を考える。
愛の告白なら、どれぐらい嬉しいか。
が、アイドルたらんとする者は恋愛は御法度。つまりこの線はない。
「ねえ、聞いてる?」
いや、だが、これは思い上がりではない。
彼女は、友達が、私しかいない。
中学という、グループが作られるようになる環境で、アイドルを目指す金髪というのは浮きやすく、彼女本来の気質も相まって、そうなる。
いいよ。私はそう言う。
「……ありがとう」
歌のイントロが響く。
そこに彼女の歌が乗る。
好きらしいアイドルの、好きな曲を歌う彼女は、いつもより輝いていた。
綺麗。
目が離せないほど、呼吸が出来ぬほど、それだけを体感するために、体は動く。
「もう何回も聞いたけど」
呆れるように、彼女は言った。
帰り道の最中、沈む夕日を反射して、彼女は言う。
「アイドルに、なれるのかな」
なれるよ。
君はずっと、初めて会った時から綺麗で、ずっと努力していて、今日だって私を魅了してた。
「いつも思うけど、恥ずかしくないの?そう言うことを言うの」
別に、思ったことを言っているだけだから。
「そう、ありがと」
だが、愛の気持ちを伝えるのは、無理なのだろう。
太陽をバックにしても、君は眩しい。
なんでここまで綺麗なのだろう。
ダンスの練習を私に見せる時も、ボイストレーニングの成果を私に披露する時も、いや、君の全ては、なぜ美しいのだろう。
虫が光に引き寄せられるように、私は君に歩いていく。
金のように価値ある君は、宝石よりも高価なはずだ。
だからきっと、アイドルとかにもなれるよ。
中学最後の大会で、私は弓を持つ。
そんな場面でも、私の脳は君のことを考えている。
アイドルの真似事──らしい──をしている君が、やけに記憶から消えない。
うるさいカラオケで、上手ではないらしい声で、体をリズムに乗らせている君は、なぜか今の私を落ち着かせる。
丁寧に、一つ一つ動作を積み上げる。
静がある。静かさだけしかない。
父と母が、遠くから私の構えを見ている。
何故だろう、この場には合っていない気がするのに、私は君のことを考えている。
考えていると、脳はまるで揺れる弦のようだった。
この問いが一つの結論に達した時、私の手から糸が離れる。
歓声が響いた後、彼女の方を見た。
この恋に、その感情の原始に、答えはある気がした。
私は、何も知らない。
閉じた世界に私はいた。
ただ唯一、君だけは私を連れ出してくれる。
何もかもを無視して、いつの間にか解決して。
その彼女は、私を手を掴んでいる。
残った片方は、彼女の星を。
私の片手は、私の道を。
私の好きな人はアイドルになった、らしい。
「売れないけどね」
そうなんだ。といつもの調子で言う。
愛も変わらず、そして相変わらず彼女は綺麗で、いやむしろもっと美しさに磨きがかかっていた。
好きだよ。
「ありがと。でも、愛される才能を持っていても、まず見てもらわなくちゃ」
歌も、声も、美貌も、歩き方も。
隣に立つものとしては、文句がないのだろう。
耳を塞げば眩しさに目を焼かれ、目を閉じれば声に溶かされる。
「大学とかって、行くの?」
いいや。首を横に振り答える。
「やっぱり、家を継ぐの?」
うん。
「じゃあ、別れちゃうね」
そうだね。
「君はいいよね、テレビに映る私を見れるんだから」
そうだね。その頃には、私のことなんて忘れてるか。
「なわけないでしょ。恩はちゃんと覚えているわよ。……ずっと、感謝しているんだから」
感謝される筋合いはないと言うのに、まめな女だ。
高校生になってから、以前よりこうして会う機会は減った。
私は習い事や家のことで忙しいし、彼女は彼女でやることがあるからだ。
だから会う度に別人かと見間違えて、この恋心が膨れ上がる。
昔と変わらず、自分の努力を一番最初に見せてくれる。
変わっていない、変わっていない関係なのに、なんでこんなに煌めきに溢れているんだ。
生けた花は永遠の美しさを持つが、君は変わり続ける美しさを持っている。
庭にある木々は例年通り色を変えるが、君はいつも何色かわからない。
売れてきたらしく、学校を休む。
テレビや雑誌にも載り始めたらしい。
「嫌だよ。もっと、売れたら。アナタに見せられるアイドルになったら、教えてあげる」
いつもそう言って、アイドルの姿を私に見せてくれない。
綺麗なのに、もう十分綺麗だろ。
「嫌のものは嫌よ」
アイドルというのは、そんなに難しいのだろうか。
母にそう聞くと、長ったるしい説明をされた。
翌日聞いたことを伝えると、彼女は呆れていた。
「それ、イケメンの!私が目指しているのはかわいいアイドルなの!」
男と女の色は、違うらしい。
お茶を飲むと、彼女はいつも笑う。
だからつい、見てしまう。
散る桜の儚さを纏う、私よりも白い肌の君を。
さわやかに、強い明暗の中で、木々の影の合間で、確固たる君を。
散り行く木の葉に寂しさを唄う、カラカラとした空気を味方にする貴方を。
冬の贈り物が好きで、私からのを大事にしてくれる君を。
私の好きな場所を、貴方も好きだといいな。
私が美味しいと思うものを、貴方も好きだといいな。
私の好きな人は、アイドルだ。
高校生になってから、時の流れが遅く感じる。
目まぐるしさは上がっているのに、不安は赤裸々に出来ないのに、1日は早く過ぎるのに、そう感じた。
その理由が、彼女と会う機会が少なくなってきているからだと、わかった。
皮肉なのだろうか。
毎日のように会っていた時間は、あっという間に過ぎていったのに。
こうしてたまに会う時間は、流れてほしくないと願ってしまう。
現実のものとして浮かんでくる別れが、私を困らせる。
一回一回が、大切になる。
恋の病は止めどなく、私のうちを溢れてくれる。
「こうして会うのも、そろそろ最後になるのかな」
それは嫌だな、と私は言う。
「私もよ。ねえ、コレ」
渡される、一枚の紙。
それは、別れのチケットであった。
「その、まだ、なんだけど、アナタに見せられるかは……不安なんだけど」
そんなことないと、思った。
このチケットに書かれているのは、充分であるはずだ。
「見て、くれるかな」
弓を射つ。
それは最後に、私を殺す。
歓声は私に降り注がれず、両親の目はわずかばかり泣いていた。
横にいる彼の金色を見る。
小さい頃から追い求めていた、金色だった。
うるさい。
けれど、不快ではなかった。
何人いるのだろう、この場所には。
人の期待が溢れ出ている。熱が人を惑わす。
焦がれた声が、やがて待望の声に変わり、私の目の前は眩しく光る。
何人もの女の子が、私の前に出てきた。
同じような格好で、何人も。
そこに、彼女はいた。
私と彼女の間には何も、誰もおらず、それははっきりと見えた。
フリフリが沢山、リボンだってあるし、眩しいぐらいライトを浴びている。
化粧だって、まるで別人ではないか。
その髪色も、変わらぬ価値を示している。
だというのに。
「あ」
生まれてはじめて、声が出た。
熱気が、熱狂が、絶え間なく続く歌が、私をすり抜ける。
頭の中は静かだった。
変わんなかった日常が、走馬灯のように駆け巡って、熱いものが頬を伝う。
彼女は今も、コレからもアイドルなのだろう。
そう思うと、私の胸は冷めていった。
焦がれていたのは、なんだったのだろう。
私が飾り立てた花束を見て、人は感嘆の声をあげる。
君にそれを送ると、一番の笑みで泣いてくれたね。
けれど私は、庭にある、風に運ばれた花が好きだ。
ああ、別にいいのに。
余計なものとして処分されるそれは、私にとっての彼女だった。
どうせならと、それをもらい栞を作った。
私が好きだった人は、アイドルらしい。
もう何年も前のことだから、覚えてはいなかった。
今でも変わらずやり取りはあるが、大して深い仲でもない。
家のことに集中していると、昔のことなどあっという間に忘れてしまった。
見合いをするようにもなれば、そのうちの一人と結婚するかしないかと言う話になった。
私は、全力で断った。
あまり普段の口数が少ないものだから、相手は面食らっていた。
理由を説明するのには、大変苦労した。
最初は黙って、次にぼかして答えて。
詰め寄られれば、できるだけ鮮明に。
けれども芯の芯まで答えられず、途中で相手はもういいと言った。
「気持ち悪いって、言うのかしらね」
私をそう、彼女は評価した。
惹かれた、その輝きに。
目の前にある光でなくて、もっとこう、原始的な、そう、魂に。
アナタはそこにあるのに、いない。
私の知っているアナタが、欲しい。
ああ、これが恋か。
ステージの上で踏むステップは、みんな同じだ。
タイミングも、勢いも、かける熱も。
けれど過程は違った。
そう、その足を作り出すまでの努力、そこに惹かれてしまった。
アイドルなんてくだらないものでなくて、この世界に立って演じる、──という名前に。
だから、ああ、だから、私の胸は。






