ナイト辺境伯と会い、帰って来たキャメロン
――現在(結婚式当日)より、一週間前。フォックス子爵家の屋根裏部屋。
「吉と出るか、凶と出るか」
先がまだ読めない。周囲の状況は目まぐるしく変化していくけれど、オーブリーの底辺生活はいまだ継続している。
オーブリーは色あせた窓台に頬杖を突き、外の景色を眺めていた。
ここからはちょうど玄関前のスペースが見おろせる。そこに一台の馬車が横づけされた。
――西部地方に出かけていたキャメロンが戻ったのだ。
彼女が颯爽と馬車を降りるのが見えた。キャメロンは走るような速度で急ぎ屋敷の玄関口に向かっている。
その後ろでは使用人たちが荷下ろしに大忙しだが、キャメロンはそちらには一瞥もくれない。
数分とたたずに背後がバタバタと騒がしくなった。――どうやら直接ここへやって来るらしい。
オーブリーが窓の外から視線を外し、後ろを振り返ると、バン! と乱暴に扉が開いた。
ここは屋根裏部屋だが、下階からの移動手段は跳ね上げ式の梯子ではなく、西側に螺旋階段が作られていた。階段部分は独立していて、居室とのあいだには壁とドアが設けてある。その扉が開かれたのだ。
「――私、彼に会ったわ!」
開口一番、キャメロンがそう叫ぶ。彼女の頬は興奮のためか紅潮していた。
たった今会ったわけもないから、このテンションはおかしい。オーブリーに話を聞いてほしくて、気分が高揚しているのだろうか。
「ほら、オーブリー、これを」
キャメロンが歩み寄って来ながら、オレンジをひとつ投げて寄越した。
オーブリーは目を丸くし、咄嗟に手を動かしてそれを受け止める。
――ナイスキャッチ!
自分の天才的な反射神経を褒めてあげたい。
「これ、どうしたの?」
尋ねると、
「あなたにお土産よ」
という驚愕の答えが返ってきた。
――キャメロンが私にお土産をくれるなんて! オーブリーは恐怖にも似た衝撃を受けた。拳によるパンチ以外で、彼女から何かをもらったのは初めてのことである。
キャメロンがまくし立てるように話し始めた。
「私、とっても機嫌がいいの! だってナイト辺境伯、めちゃくちゃ格好良かったんだもの~! ドキドキしちゃったわ!」
「本当に会ったの?」
「会ったし、話した! 彼、絶対に私を気に入ったわ!」
――ナイト辺境伯領まで、行って、帰って、半月の旅程。
オーブリーは顛末に興味を引かれた。
縁談が持ち上がってからずっと、オーブリーにとってナイト辺境伯という青年は、なんだか現実味がない夢まぼろしのような存在だった。
圧倒的に向こうのほうが社会的地位は上だけれど、「玉の輿だわ、やった!」という気分にもならない。彼が背負っているものはとてつもなく重いから、共に歩んでいくのは大変だろうと思う。
とはいえ、「結婚したくないわ」と我儘を言える立場でもなかった。父の命令には従うしかない。
西部地方に移住すると、病気の母がいる療養所から遠く離れてしまうので、それだけが気がかりだった。けれど考えてみれば、このまま家にいても、母のことは護れそうにない。それならばナイト辺境伯の妻となることで、母にもっと良い治療を受けさせることができるかもしれない。
そんな訳で、初めは混乱していたものの、ゆっくりと考えを整理し、オーブリーは結婚する未来を受け入れ始めていた。
ところが。
帰宅したキャメロンから『相手と実際に会った』という話を聞かされると、心が揺れた。
政略結婚だから当然、先方は『フォックス子爵令嬢』を求めているわけで、つまりそれはオーブリーのはずである。法的な手続きもすでに済んでいると父は言っていた。
――けれど、先方が強くキャメロンのほうを望んだら? この先、どう展開するの?
実際に対面したことで、ナイト辺境伯がキャメロンを気に入った可能性は大いにある。
キャメロンはくっきりと眉の濃い、癖のある顔立ちだが、そのぶん印象には残りやすい。オーブリーはキャメロンの人間性については嫌悪感を抱いていたが、彼女の少し厚めの唇や、健康的な肌に浮かんだいくつかのソバカスは、キュートでなんともいえぬ魅力があると思っていた。
とにかく、だ。結局のところ、最後はナイト辺境伯の意向が優先されるのではないだろうか。彼が強く望むのなら、現状を変えるしかない。
――オーブリーとの婚約を破棄し、キャメロンを当家の養子にして、『フォックス子爵令嬢』という肩書をつけてから、先方に嫁入りさせる。
オーブリーは寒気を覚えた。
……大丈夫なのかしら? 『キャメロンを父の養子に』という話になれば、当然ブース婦人はこう主張する――『ならばさっさと離縁して、私と再婚して』――『娘だけを養子に出す気はないわよ』そんなふうに迫られたら、父はおそらく受け入れる。ナイト辺境伯を敵には回せないから。
ゾッとした。
キャメロンが嫁に行けば、この家には当主である父、そしてブース婦人改め新しいフォックス夫人、オーブリーの三人が残される。療養所の母はどうなるの? そして私も……冗談抜きで、殺されるかもしれない。