結婚は三週間後
「……私、数日内にナイト辺境伯領に行ってみるわ!」
ひとり能天気なキャメロンが、大きなひとりごとを漏らした。
やはり彼女は大きな勘違いをしているようだ。
父と母はまだ離縁していないのだから、現状『フォックス子爵令嬢』として社会的に認められるのは、オーブリーただひとりである。
ブース婦人は同居している愛人にすぎず、その子キャメロンは赤の他人だ。
オーブリーはキャメロンを一瞥したあとで、彼女の勘違いに当然気づいているはずの父、そしてブース婦人のほうへと視線を転じた。
ブース婦人はキャメロンの気性が激しいことをよく知っているので、娘の勘違いを指摘できずにいるようだ。ここでキャメロンが大爆発を起こせば、騒がしさを嫌う父は機嫌を損ねる。ブース婦人は父を怒らせるわけにはいかない。
焦れたようにチラチラとキャメロンのほうを窺っているのだが、結局口を開くことはなかった。
そして婦人は少し腹を立てているようでもあった。父に対して、『あなたが早く私と再婚していれば、うちの娘がナイト辺境伯と結婚できたのに』と不満を抱いているのかもしれない。虐げてきたオーブリーに条件の良い縁談が舞い込んだことも、たぶん納得がいっていない。
父は澄まし顔でワインを口に含んでいる。勘違いしているキャメロンに指摘してやるつもりはなさそうだ。『勘違いするほうが悪い』と思っているのか、それとも……。
「お父様」
オーブリーは思い切って尋ねてみた。
「今後の予定を教えていただけますか? 婚約はいつ交わされるのですか」
父がキャメロンの勘違いを正さないことで、オーブリーの中に疑念が生まれた。
……もしかして、これからキャメロンが養子に入り、彼女が『フォックス子爵令嬢』としてナイト辺境伯のもとに嫁入りするという筋書きもあるのでは? と思ったのだ。婚約をだいぶ先に設定しているのなら、そのあいだに養子縁組して体裁を整えられるから、その可能性も出てくる。
しかし。
「婚約はすでに済んでいる」
「え」
そうなのか。ではやはり養子の線はない。
婚約を交わす時点で『これからキャメロンという子を養子にしますから、その子との婚約ということで、契約だけ先に進められますよね』なんてことはありえないからだ。先方から、『まず養子にしてから婚約という流れに決まっているだろう』と言われる。
「ふた月前、ナイト辺境伯の伯父上であるベン・マーズ子爵から連絡がきた。私はすぐに西部地方に向かい、事情を聞いて、了承した。その後色々法的な手続きがあって、それが先日済んだところだ」
父は西部地方に出かけ、しばらく不在にしていたのか。家庭内別居をしているオーブリーはまるで知らなかった。
「あなた、先日長期でお出かけしていたのは、西部地方に行っていたからですの?」
ブース婦人が微かに顔を顰めて父に尋ねる。……彼女に行き先も用件も言わずに出かけたのか。
「ああ、そうだ」
「もっと詳しく教えてくださればよかったのに」
「急ぎの話だったから、そんな余裕もなかった」
「急ぎ?」
「結婚は三週間後だ」
「なんですって?」
その場にいた全員の声が揃った。
三週間後? あまりに急すぎる。
一体、何が起きているの?
「……私は聖女フェイスにも会った」
父の言葉が虚ろになる。
彼の顔が陰ったのを見て、オーブリーは眉根を寄せていた。
それから父がほとんど喋らなくなったので、晩餐の席に通夜のような空気が流れた。
今回の話にまるで関係のないキャメロンが、
「三週間後だなんて困るわ。ドレスの準備とか、色々ある。ナイト辺境伯が二十代半ばなら年齢はOKだけれど、顔だって気になるし」
と時折呟いているのが、耳障りで仕方ない。
オーブリーは出てくる料理を機械的に口に運びながら、『味がまったく分からない』と考えていた。
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