ナイト辺境伯との縁談
「ある貴族から、当家に縁談が持ち込まれた」
縁談……まるで想定していなかった展開だ。
ずっと『いないもの』として扱われてきたので、貴族令嬢として何かを求められる日が来るとは思ってもみなかった。
それなりの名家に嫁入りさせる気があったのなら、なぜあんなふうに娘をひどく扱ったのだろう? 彼は娘をもっときちんと育てるべきだった。
貴族の子供は家族で同じ食卓を囲むことで、会話の仕方や食事のマナーなどを学ぶ。つまりそれが社交の入口でもあるのだ。親がその時間を取れないのであれば、家庭教師をつけてしっかり学ばせる必要がある。
十歳以降、オーブリーはその機会を奪われた。結婚後、オーブリーが嫁入り先で社交を上手くこなせなければ、本人が恥をかくだけではなく、その親だって笑われるというのに。
……どういうつもりなの?
信じがたい気持ちで父を見つめる。オーブリーが口を開こうとした瞬間、
「縁談?」
驚きの声を発したのは、左隣に腰かけているキャメロンだった。
オーブリーは訝しげにキャメロンを一瞥したあとで、ふたたび父のほうに視線を戻した。
「……お相手は?」
「西部地方を治めるナイト辺境伯だ」
ナイト辺境伯ですって? なぜそんなに立派な方が? オーブリーの戸惑いは深まるばかりだ。
色々と確認したいことがあるのに、ここでまたキャメロンが口を挟む。
「え、西部……? ランク的にどうなのかしら……結婚相手は東部の殿方でなくては」
キャメロンには『東部が花形』という思い込みがあるらしい。しかしそもそも当家が『南部の田舎者』と言われているのに、よくぞほかを見下せたものだ。
それに西部地方を治めるナイト辺境伯は守護の要であり、かなりの重要人物である。これは大昔、オーブリーがまだ子供の頃に聞いた情報なので、当主はすでに代替わりしている可能性もあったが、どのみち次代はすべてを引き継いでいるはずだから、ナイト辺境伯の重要性は変わらない。
……どうしてキャメロンは黙っていられないのだろう? 彼女にはまったく関係のない話なのに。
縁談にケチをつけたくて仕方ないようだが、これはさすがに無礼すぎる。オーブリーに対するからかいを超えて、むしろそれを決めた当主を侮辱することになると思うのだが。
オーブリーが呆れ果てて横目で眺めると、キャメロンはひとりの世界に入り浸っていて、考えごとに余念がない様子だ。
「でもまぁ、顔によるかしら……? とにかく一度お会いしてみないとね……意外と『あり』かもしれないし」
キャメロンが漏らしたこの呟きは、オーブリーにとてつもない衝撃を与えた。
……この子ったら、まさか。
「ねぇ、あなた」
ここでブース婦人が口を挟んだ。手を伸ばし、媚びるように父の手に触れる。微かに眉根が寄っているので、焦っているのかもしれない。
「ナ、ナイト辺境伯って、あの有名な?」
「そうだ」
父はブース婦人の問いに頷いてみせたものの、口調はずいぶん素っ気なかった。追及されるのを嫌がっているのだろうか。
ブース婦人が焦れたように身を乗り出す。
「あなたとナイト辺境伯は、元々お付き合いがあったのかしら? でもあちらは二十代半ばで、年齢がだいぶ離れているわ」
「いいや、付き合いはない」
「ではなぜ」
「なぜかはどうでもいい。この話は必ず成立させる必要がある。――『ナイト辺境伯』と『フォックス子爵令嬢』の結婚話なのだから」
父のきっぱりした口調。
ブース婦人は黙り込んでしまった。普段にこやかな彼女が完全に笑みを消すと、紅のテカリやアイメイクの濃さばかりが目立って、なんだか急に年を取ったように感じられた。
……それにしても。
今のふたりのやり取り、温度感、そしてキャメロンが漏らした呟き――どれもこれもが非常に興味深い。
父とブース婦人の関係について、オーブリーはたった今多くのことを学んだ。
思っていたより、父はブース婦人に対してドライである。
父、フォックス子爵は母とまだ離縁していない。なぜ離縁しないのだろうと、これまでずっと不思議に感じていたのだが、愛人に対する今の態度を見て、なんとなく合点がいった。
――結局、父は現状のままが心地良いのだ。
飽きがきた妻は療養所に押し込んでしまったから顔を見ないで済む。そして肉感的な愛人がそばにいて自分を慰めてくれる。愛欲を満たしてくれて、チヤホヤしてくれるのだから、ブース婦人と籍を入れる必要性を感じていない。
むしろブース婦人の希望を完全には叶えてやらないことで、上下関係を保てる。婦人は『入籍前に彼に飽きられたらまずい』と、日々のサービスで手を抜けないだろう。