私は母から『美徳』を、そして父から『悪徳』を学んだ
オーブリーは考えを巡らせる。
結構ちゃんとしている? それはどうかしら……自分ではよく分からない。
オーブリーが上流階級の教育を受けられたのは、子供時代の十歳までである。それまでは母が色々教えてくれた。臥せりがちになる前の母は、ほんわかした性格でキツく叱ったりしないわりに、躾に関しては細やかだった。
――食事中はテーブルに肘をつかないほうがいいわ、だってたったそれだけのことで、誰かが心の中であなたを減点していると思えば、それをするのは馬鹿らしいものね? とか。
――肩がほんの少し内側に入り込んでいるわ、もっと胸を張って……そう、とても綺麗よ、とか。
――カトラリーの扱い方でお育ちが分かると聞いたことがあるけれど、本当かしら? でもひとつ確かなのは、オーブリー、あなたはナイフとフォークの持ち方がとても綺麗で、教養のある素敵なご令嬢に見えるわ、とか。
オーブリーは幼い頃から物覚えが良かったので、母に言われたことはすべて、一度で記憶した。なんとなく、すごく大事なことを教えてもらっている気がしたからだ。
……母のああいうところ、好きだったな……オーブリーはふとそんなことを思った。
母は自分が習得している知識を、少しずつオーブリーに伝えてくれた。
そう――母は根っから親切な人なのだ。
オーブリーが我が子だからと、色々教え込んだわけでもないと思う。彼女は基本、他者に対しても同じスタンスで、相手が困らないよう気を回して、ちょっとしたひとことを添えるという気遣いを、当たり前のようにできる人だった。たとえば『流行店にまつわる、知っていると損をしないトリビア』だとか、『各名士別、避けるべきタブーリスト』だとかを。
たぶんそんなふうにお人好しだから、ブース婦人につけ込まれたのだろう。
母は元々芯が強く、自分をしっかりと持っている女性だったのに、日々の生活で段々と自信を失っていき、他人の顔色を窺うようになってしまった。
――思えば、オーブリーが九歳の時に、『あなたキャメロンちゃんの腕をつねった? キャメロンちゃんは、あなたより三つも下なのよ。もう少し優しくしてあげて』と言った時に、すでにその兆候は出始めていたのかもしれない。
母は父から『つまらない女』扱いされるようになってから、瞳が泳ぎ、度々口ごもるようになった。
すべてを撥ねのけて、凛としていられるほど、母は強い人ではなかったから。
……けれど、それは悪いこと? 誰が母を責められるだろう? 彼女は十分に苦しんだ。
オーブリーの顔に苦いものが滲む。その表情から窺えるのは、諦めと、悲しみ。そして達観。
オーブリーは肩をすくめてみせ、深刻にならない調子で告げる。
「私には『良い面』と『悪い面』、相反するふたつの面があるかもしれない。――私は母から『美徳』を、そして父から『悪徳』を学んだ。あなたが私を見て『結構ちゃんとしている』と感じたなら、それはすべて母のおかげね。――あなたは私に家庭教師をつけることで、その『美徳』の部分をさらに伸ばすことができる」
ナイト辺境伯が腕組みをして、感心したように呟きを漏らした。
「……君って人は、呆れるくらいに頑固だなぁ」
「はぁ? どうしてそうなるのよ」
今の話の流れで、その返しって、おかしくない?
「ハードモードで生きてきたのに、同情されるなんてまっぴらごめん、て感じだろ? それが滲み出ている」
「まぁ、それはそうかもね」
今度はオーブリーが感心する番だった。
彼の指摘はオーブリーを愉快な気持ちにさせた。――的を射ているし、色々と察しているらしいのに、あえて核心に触れないところが、彼の優しさのように感じられたからだ。
ここでもしもナイト辺境伯から『父親から虐待されて、苦労してきたんだね。学ぶ機会を長いあいだ奪われていたとは、可哀想に。なんでも言ってくれ、力になる』などと同情されていたら、オーブリーはみじめになっていただろう。
そういったストレートで分かりやすい親切が悪いわけじゃない。ありがたい、好ましいと思う人もいるはずだ。
けれどオーブリーは違う。これはたぶん相性の問題である。
……ん、待って……ということは私、ナイト辺境伯と『相性が良い』と考えているわけ?
いやいやいや……ないないない、ないから!
奇妙な気まずさを覚えて視線を彷徨わせたオーブリーは、中空を軽やかに舞う、一羽の青い鳥に目を留めた。




