私と結婚して
「もう、メイクが崩れちゃうじゃない」
オーブリーは赤らんだ顔を横に向け、指先で頬を撫でた。……あとでお化粧を直さないと。
「泣くのが悪い」
そうからかうナイト辺境伯の口角は微かに上がっている。……何よ、まだ笑い足りないわけ?
「だから、泣いてないですから」
「えー、まだ言う?」
小首を傾げて下から覗き込もうとしてくるので、
「ちょっと、覗かないでくれる!」
激しく威嚇。
「ねぇ、こっち見なよ」
「なんで」
「なんかグッとくる」
……何それ。馬鹿じゃない?
オーブリーはふたたびナイト辺境伯に向き直り、怒った顔で彼を睨み据えた。
毛を逆立てた猫のように肩を怒らせ、ボソリと告げる。
「私やっぱり……逃げない」
「オーブリー?」
「あなたは慰謝料を私個人宛に支払うと言ったけれど、やっぱり契約上、莫大な違約金は全額父のほうに行くと思うの。家同士の契約だから」
「それはそうだけど、違約金とは別に、君個人にも慰謝料を払うから、それでいいだろう? 希望どおり、自由に使えるお金が手に入るじゃないか」
「いやよ」
オーブリーは声を張り上げた。
「あなたの大切な財産が父に渡るなんて、私、耐えられない!」
「…………」
「決めたわ」
「…………何かな」
「私と結婚して」
オーブリーは膝立ちになり、彼にのしかかるようにして胸倉を掴んだ。
ナイト辺境伯はびっくりした顔でオーブリーを見上げている。
これまで余裕をかましていたくせに、今の彼はなんだかあどけなく見えた。
「……いやあの、オーブリーさん……」
「元々結婚するつもりでここへ来たけれど、今、しっかり心が定まったわ」
「ん? あの」
「私を花嫁にしなさい、ナイト辺境伯」
「えー……」
「えーじゃない」
「逃げられるうちに、君は逃げるべきだよ」
「敵に背中は見せない。背中を見せないというのは、あなたも含んでいるからね」
「僕は敵なのか?」
「味方とは言いがたいでしょ。あなたのせいでややこしいことになっているんだからね! 忘れないで――私はあなたのピンチを助けてあげるのだから、あなたも私を助けるの」
「そもそも僕はピンチなのか?」
「一年後に死ぬんだから、ピンチでしょ」
「なんだろう……なんか、してもいない浮気を責められている気分だ。僕に非はないのに、ひどくないか?」
「してもいない浮気って、どんなたとえよ」
「せめて僕が実際に死にかけたタイミングで、『あなたは今ピンチね』と言ってほしい」
胸倉を掴まれたままナイト辺境伯がブツクサ言っているのだが、オーブリーは聞き入れなかった。
――だって宣託があったのだから、仕方ないでしょう。あなたはピンチなのよ。
「じゃあ、違約金の件はどう? そちらは今まさにピンチでしょう? 借金まみれの未来から、私が救ってあげる」
「だけどそうすると僕、オーガみたいな女性と結婚させられるわけだよね」
「誰がオーガよ、失礼ね!」
オーブリーが殺気を放ちながら手に力を込めると、ナイト辺境伯が手の甲をタップしてきた。
「――絞まっている、首、絞まっているから!」
「私の言うことを、聞くわよね?」
「なんて狂暴なオーガだ」
「私の言うことを、聞・く・わ・よ・ね? もっと絞めてもいいのよ」
「……分かりましたよ。話だけでも聞くから」
ナイト辺境伯が観念した様子で、両手を挙げてみせた。




