File:04 名前の無い猫(挿絵)
顔を出したのは古風な柄の巾着袋。手の中で揉むように転がすと、口の部分が自然と上を向く。
そのまま慣れた手つきで口紐を緩め、中身が零れるように相手の方へ放り投げた。
「フゥゥゥ……ニャ?」
(やっぱり猫ですね。 物を投げられると、つい眼で追ってしまう)
威嚇の姿勢は崩さないが、決して離さなかった眼をチラリと動かしていた。
小鳥のように飛び出す物を見逃さない本能。狙っていた通りだ。
今頃あの子の視線の先では、小包から粉末が零れるのが見えていることだろう。
だがこの閉鎖的な施設で育った拙い知識では、あれが何なのか分からないはずである。
(そのまま、しっかりと眼に焼き付けてくださいよ──)
僅かに眼を輝かせて獲物を追うあの子とは逆に、ボクはしっかりと眼を閉じる。
そして気取られないようスッと左手の指鉄砲を構え、ノールックで巾着の辺りへと発砲した。
『パン、バヂヂッ!!』
「ニャ゛ッ!?」
激しく反応する火花の炸裂音と、それに驚愕した悲鳴に近い声が重なって耳へ届く。
続けて、閉じた瞼の裏からでも、痛いほどの眩い閃光が貫通してきた。
ボクでこれなのだ。直視していた方は視界を奪われているだろう。
ライター代わりに携帯しているマグネシウム紛、それに銃弾を打ち当てたのだ。
遥か昔の時代にはこれを閃光紛と呼び、カメラのストロボにしていたと聞く。
現在は写真ではなく、人間の眼を焼いてくれたということになる。
「チャンスは今ッ! 花火が消えるまでの一瞬!!」
即席の閃光弾だが、あれは長くは燃えてくれない。
ほんの一時の音と光で怯んでいる内に、あの獣のような子供の元へと駆けていく。
万が一の保険として走りながらスタンワイヤーガンも取り出した。
密着さえ出来れば、敵の無力化は電気刺激で筋肉をダメにする方が銃より早い。
それにワイヤーをわざわざ射出しなくとも、押し付ければ通常のスタンガンとしても用足せるのだ。
「ニャッ? ぬぁ……?」
「捕まえた!!」
泥棒猫を拾い上げるように、首根っこの後ろをギュッとつまむ。
猫の特性が強く出ている子だ。これで大人しくなってくれればそれでいい。
用心のためにスタンガンモードで胴へと押し当て、トリガーに指を掛けて様子を見る。だがそれは幸いなことに杞憂で終わった。
「────ニャゥ」
「いい子ですね。 大丈夫、ボクはキミを傷つけたりしませんよ」
掴んだ途端、あれだけ尖っていた目を丸くし、身体を丸めて微動だにしなくなる。
キョトンという擬音が聞こえてきそうだ。あまりの豹変ぶりにクスリと笑ってしまう。
まだ混乱しているようなので、ボクの匂いを教え込むためにギュッと胸元へ抱きしめた。
「落ち着いて……大丈夫」
何度も何度も、優しい声で呼びかける。
もういいだろうか。そう思い、トリガーにはまだ指を掛けていつでも引ける状態だが、試しに首を緩めてみた。
ゆっくりと胸の中から子供の顔を離す。だが、もう襲って来る気配は無い。
その表情から完全に毒気が抜けている。ただただ不思議そうに、ボクの顔を見上げていた。
「ぬぁ、いい匂い……誰ニャ?」
たどたどしく呂律の拙い声が耳へと入る。
一瞬出所を疑ったが、その声は目の前の小さな口から飛び出たらしい。
(────驚きました。 この子、言葉を喋れたのですね)
先程まではボクを敵と認識し、会話をする気が無かっただけなのだろう。
つまり、今はいくらか心を許してくれたということになる。
ここで信頼を失い警戒されては元も子もない。言葉を選び慎重に答えていく。
「ボクの名前はマサムです。 外の人ですよ」
「マサム……あっちから、見てる人ニャ?」
猫の耳を生やした子供は、部屋の隅にある監視カメラを指差した。
【チェック:謎の暗殺者】
カメラのことを『見張る眼』なのだと理解できている。知識が無いだけで、知能は高いようだ。
だた、生育過程のコミュニケーション不足からか、舌ったらずな喋り方は治らない。
「いいえ、もっと外ですよ。 あの人達とは別。 ボクはキミを助けに来たんです。 キミ、名前は?」
自分を教え、相手を知る。信頼関係を構築する第一歩だ。
ただし、誠実である必要はない。ほんの少しのウソはある。助けたのはボクの気まぐれでしかない。
ところが問いの答えは俯いた沈黙で返って来た。
悩んでいるというよりも、名前を持っていないので困っているという感じがする。
実験体であることは明白であり、番号以外で呼称されたことはないのかもしれない。
酷なことを聞いてしまった。
「分かりました。 なら、帰ったらお姉ちゃんと一緒に考えましょう」
「名前ニャ?」
「ええ。 それじゃ、行きましょうか」
いつまでも話を続けている場合では無い。いつ侵入を気付かれるか分かったものではないのだ。
少し強引にでも話を打ち切り、子供を回収して撤退することに。
子供の方は、首根っこを掴んだ時に身体を丸めたままだった。
ならばと抱きかかえていこうかと試みたが、その重たさに驚愕する。
【チェック:謎の暗殺者】
見た目は6~7歳の背丈の児童。これくらいならば通常30kgを切る体重のはず。
しかし明らかに倍かそれ以上あり、まるで大人を持ち上げているような負荷を感じる。
(重い、これはどういう……? そういえば、この子は隠し武器を内蔵していましたね。 けれど、これだけの重量増加となると、まさか全身に……?)
嫌な予感が脳裏をよぎる。
身体に不釣り合いな義体は、装着した者への負担が大きい。
ボクの左手脚の装甲義体でも入れすぎなレベルなのである。
それを全身となると、この子は明らかに過積載だ。
おまけに動物の耳や尻尾の生命義体だって規格品とは思えない怪しい代物。
もしかすれば、せっかく助けてもこの子は長くないのかもしれない。その結論に至り、思わず表情がこわばる。
「────ッ」
「ぬぁ……? ニャにか、変?」
「いえ……そうだ、歩けますか? ボクの後ろを着いて来てください」
「ニャゥ──? わかったニャ」
猫耳の子は一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべながらもコクリと首を振った。
子供は敏感だ。ボクの顔色から何か察した可能性がある。
少なくとも今は素直に指示通り動いてくれるようだ。
この子なりに、助かる術はボクしかないと理解しているのかもしれない。
あるいは、ただ愛情に飢えているだけなのか。
「そうだ、これだけは残すわけにもいかないですね」
部屋を立ち去る前に、焦げ付いた巾着袋を拾い上げる。
銃弾や死体は誤魔化してもらえるが、あまりに特徴的な証拠はマズイ。
「ぶニャ……それ、イヤな臭いニャ」
【チェック:謎の暗殺者】
硝煙から逃げるように鼻を塞いでいる。遺伝子操作により嗅覚が発達していると予想される。
怖い臭いと表現しない辺り、銃で脅されたことはないのだろう。発汗や動悸もなく、トラウマが無いのは楽で良い。
「火薬は攻撃的な臭いですから。 ですが、身を護る臭いでもあります。 ボクも嫌いですが、そのうち慣れますよ」
「ニャゥゥ……」
励ましてあげると、しぶしぶとだが納得した様子を見せる。
猫の耳はヘタレて機嫌が悪そうだが、この物分かりの良さは使えそうだ。結構な拾い物をしたかもしれない。
「外へ出たら、良い香りを嗅がせてあげるので我慢してくださいね」
「ニャ! さっきの匂い!」
ご褒美をチラつけると、すぐに元気を取り戻した。
実際には固形お香なのだが、気を引ければなんでもいい。
「今は脱出だけを考えます。 あっちの匂いがそろそろ消える頃合いですから。 ワイロも長くは続きません、じきに通報されるでしょう」
警備は外注だ、たらしこむのは簡単だった。
しかし何人も買うわけにはいかない。そんなことをすれば大赤字である。
交代される前に出て行かねばならない。
なにより、超巨大企業の飼いならすニンジャに飛んで来られたら、まず勝ち目が無い。
ウェアの性能は金の力がモノを言う。庶民が出会えば確実に死あるのみだ。
「こんな仕事で死ぬのは割りに合いません。 しっかりと生き残りますよ」
「生きる……うニャ! 生きるニャ!」
『生きる』という言葉がよほど気に入ったらしい。子供は目を輝かせて復唱していた。