聖女、契約妻を拝命する 7
そのまま、シルビアが目覚めるまで、部隊は街に留まった。
しかしその力を目にして救われた隊員たちは、予定外の滞在に誰一人として異議を唱えなかった。
「すごいですね」
「……何がだ」
少し声を出しただけで、威嚇しているように犬歯が覗く。
荒っぽいしゃべり方や、あまりの強さと武勇伝、そして狼のような見た目のせいで恐ろしい人間だと思われがちだが、ライナスは懐が広く情に厚い。
このため、彼の人柄を知る人間には、信頼され、好かれている。
しかし、今日のライナスは機嫌が悪い。
副将軍であり、軍の内部を取り仕切るディグノは、ため息をついた。
「聖女様ですよ。あっという間に、兵たちの心を掴んでしまいました」
「……」
グルル……と威嚇するようなうなり声が聞こえたのは、気のせいではないだろう。
珍しいな、とディグノは思いながら、それでも話を続ける。
「目覚めませんね」
「ああ、魔力枯渇を繰り返したんだ。この細い体には、負担が大きかったのだろう」
「聖女様なのに、ですか」
「……何が言いたい」
「怒らないでくださいよ?」
ディグノは、シルビアに近づいて服の襟元を引き、左肩をそっとあらわにする。
そこには、大輪の薔薇のような紅色の印が浮き出ている。
「確かに唯一の印を持つ聖女様なのに、こんなに魔力量が少ないこと、おかしいとは思いませんか?」
「ん? 魔力量など人それぞれではないのか」
「清浄な気とやらを嗅ぎ分けて、正確に聖女様を捜し当てたのに、そんな基本も知らないとは」
「……つまり、どういうことだ」
煽ってみたが、ライナスがそれ以上怒ることはない。代わりに金色の瞳に、冷酷な光が灯る。
「情報を分析するときの目ですね。ふぬけになっていなくてよかったです」
「……続きを話せ」
「彼の王国が、差し出そうとした偽聖女にも、同じ印が確認されています。そして、魔力量だけいえば、そちらの方がよほど聖女らしい」
「ふーん。そうか。それで、偽聖女は」
これを言ったら、さすがに怒るのだろうな、と予測しながらも、ディグノは口を開いた。
「取り逃がしました。いかようにも処分を」
「…………」
ライナスは、眉を寄せたものの、ディグノの失態を責めなかった。
いつも温厚なライナスだが、戦略上の失態については厳しいはずなのだが。
「そうか、だが必ず向こうは接触してくるだろうな。敗戦したにも関わらず、襲撃がしつこいのもそのせいか」
「そうかもしれません、ね」
世界に一つしか現れないはずの聖女の印が、公爵家令嬢にも現れたこと、シルビアが殺されずに生かされていたこと、その魔力量が聖女にしてはあまりに少ないことには、関連があるのだろう。
「……だが、俺の嫁にするのに、魔力量の多寡などたいした問題ではなかろう」
「……変わりましたね。しかし、彼女を偽物と呼ぶ人間が現れるかもしれません」
「そうか」
ライナスが、金色の瞳をふと穏やかにして、シルビアの美しい金の髪を撫でた。
「たとえ聖女ではなかったとしても守りたい、と言ったら笑うか?」
「……笑うはずがないですよ。むしろ、それこそが、閣下があの時に失ってしまったものなのでしょうから」
「……そうか」
ディグノとライナスは、幼い頃からの友人だ。
ライナスが、まだこの姿になる前からの……。
だから、これは部下ではなく、友人としての言葉なのだろう。
「では、失礼いたします」
「ああ……」
閉まる扉を目で追って、ライナスは椅子をベッドのそばに引き寄せると、再び眠るシルビアを見つめた。
* * *
そして数時間後、シルビアが目覚めたとき、すでに窓の外は真っ暗だった。
そばにはベッドの隣に椅子を置いてうたた寝するライナスがいる。
「え? 何でそんな体勢で寝ているのですか?」
「ん? ……目覚めたか」
片目を開けたライナスは、あくびを一つして立ち上がる。
「……それでは、寝るかな」
そのまま、ソファーに横になろうとしたライナス。
「え、そこで寝る気ですか?」
「他にどこで寝ろと? 不満かもしれないが、まだ敵兵が襲ってくるかもしれないのに、別の部屋というわけにいくまい」
「そうではなく、ちゃんとベッドを使ってください」
しかし、この部屋にはベッドがひとつしかない。
小さな街だ、多くの兵が寝泊まりするのに、二人だけで大きな部屋を使うことは出来なかった。
少なくとも、こういった場面で自分だけが特別扱いを受けることをライナスは好まない。
「……倒れたばかりで何を言っている。さっさともう一度寝ろ……」
次の瞬間、立ち上がったシルビアは、ライナスの手を強く引いた。
「では、一緒に寝ましょう!」
「は……?」
「お父さんとお母さんもいつも一緒に寝ていたことを思い出しました! 私たちは、期間限定でも夫婦ですものね? 一緒に寝ても、問題ないはずです」
ライナスは、唖然としてシルビアを見つめた。
その瞳は真剣で、まっすぐで、とても男女関係の機微を知っているようには思えない。
「あー。長老様、とやらには、夫婦のことを教わらなかったのか?」
「教わりましたよ? 命と魂を預け合い、共に生きるのが夫婦だと。そして、寄り添いながら仲良く暮らすと二人によく似た可愛い御子が生まれるそうです」
「……そうか」
あながち完全な間違いではないな、とライナスは思う。それだけにたちが悪い、とも。
「さ、早く! お疲れでしょう?」
グイグイ引いてくるシルビアが、諦める様子はない。
何も知らない子ども相手だ、と思いながらも、シルビアからは淡い花の香りが漂い、ライナスはソファーで寝るよりずっと寝苦しい夜を過ごしたのだった。
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