聖女、契約妻を拝命する 6
***
目覚めたとき、シルビアはまたやってしまったと密かに反省した。
もう何回目だろうか、こんな風に眠ってしまうのは。
部屋には、椅子に座って長い足を組んでこちらを眺めているライナスと、シルビアしかいない。
「あの……」
「起きたか」
「……えっと、私」
「謝るなよ?」
見上げたライナスは、狼顔なのに、少し困っているようにも見える。
そのことを不思議に思いながら、シルビアは起き上がった。
「ライナス様、ほかの人たちは?」
「ああ、残っていた敵兵が襲ってきているからな。少し苦戦しているようだ」
妙に外が騒がしい。慌てて駆け寄った窓の外では、兵たちが交戦していた。
「――――ライナス様!」
「ああ、ここまで来たか。なかなかの練度だな……」
ドンッと扉に重厚な何かが当たった。
開いた扉から、敵兵たちが流れ込んでくる。
「ライナス様!」
剣と剣がぶつかり合う、硬質な音が響き渡る。
背中越しのライナスは、信じられないくらい強い。
それなのに、何かを守るように戦う姿は、自由さを失っているようにも見える。
「着いてこい!」
「ライナス様! 私のことは置いて……」
「馬鹿言うな! 俺のことを妻を置いて逃げる卑怯者にする気か」
そんなはずないと思いながらも、シルビアには、彼の自由を奪っているものがなにか、思い当たってしまった。
思い浮かぶのは遠い昔、偽聖女だと殺されかけたとき、シルビアを守ろうとした誰かの背中だ。
懐かしい背中が、温かかったことをシルビアはなぜか知っている。
「お父さん……」
「ここに入っていろ」
外に出た途端、停車していた馬車に押し込まれる。外側から鍵が掛けられた気配がした。
「ライナス様!!」
走って行く背中を黙ってみていることが出来ず、ガラスを叩いてシルビアは、何度もその名前を呼んだ。
その時、ライナスの肩から赤い飛沫が上がる。
シルビアを守るために、ライナスが普段の実力を発揮できていないのは明らかだった。
「あ……」
シルビアの紫色の瞳が、その瞬間色を深める。
無意識に手の平に込めた光魔法、馬車の扉についた握り玉がバキリと音を立てて破壊された。
「お、お前……。どうやって開けた」
「ライナス様、私はあなたの力になれるでしょうか」
「何言って……。すぐにもどれ!」
シルビアは、その言葉が聞こえないように、戦いの中心へと歩んでいく。
彼女を傷つけようとしたはずの、魔法も、剣も、なにひとつ届かない。
中心に膝をつき、シルビアは手を組んで祈りを捧げた。
オレンジ色の光が周囲を包み込む。
「……高位、防護魔法」
「閣下! 今のうちに」
「あ、ああ……」
その後、決着はあっという間についた。
返り血と、怪我で赤く染まった体が憎らしいと、ライナスは初めて思う。
戦う武人としての姿を誇りにすら思っていたのに、今はシルビアのそばによるための障害にすら感じていた。
だが、立ち上がったシルビアがふらついているのを目にした途端、全てがどうでもよくなってしまう。
どうしてこんなに必死になっているのかも分からないまま、ライナスはシルビアを抱き上げた。
「ライナス様……」
「無茶なことをするなとあれほど!!」
「あれ? 回復魔法は、使っていませんよ? というよりも、回復魔法の使用許可をいただけますか?」
「何言っている! そういう意味で禁止したわけではないだろう! それに、この状態で許可なんて出来るはず……」
その瞬間、色を深めたままの紫の瞳がライナスの金色の瞳をまっすぐに捕らえた。
宝石のようなきらめきがあまりに美しくて、息をするのを忘れてしまったかのように、ライナスが口を開閉する。
「――――やっぱりダメですね」
「な、なにがだ……」
「なぜなんでしょう。ずっと、みんなに嫌われていたのに、ライナス様に嫌われてしまうって想像するのが、信じられないくらい苦しいんです」
ポフリと抱き上げられたまま、汚れてしまうことも構わずその肩にシルビアは顔をうずめる。
「でも、言うことを聞かないで嫌われるより、ライナス様が傷ついたままの方が、もっともっと辛いって思ってしまうから……」
ライナスには止めることができないオレンジの光が、あっという間にその傷を癒やす。
「――――シルビア」
「……ああ、よかった」
微笑んだシルビアに、ライナスは今一度言葉を失った。
そして、三度眠り込んだ彼女を強く抱きしめる。
「……そうか、困ったな。これは参った」
ライナスは、抱いているこの感情の名前に行き着いてしまったらしい。
「放っておくことが出来ない。これは……」
「閣下……」
「庇護欲。すぐ倒れるからだな」
「……たぶん俺は、違うと思います。不器用すぎますよ閣下……」
あきれたようにこぼされた副将軍ディグノのため息と言葉は、部屋に彼女を戻すために歩み始めたライナスの耳には届かなかったのだった。
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