神殿と聖女 3
神殿内部に入った途端に、流れ込んでくる神託。
この感覚は、六歳になるまではシルビアの日常だった。
けれど、聖女としての力を奪われてからは、その力はなくなった。
「慣れないですね……」
まるで、二重の景色を見ているような膨大な情報。
シルビアは、珍しく眉間に軽く皺を寄せて目を閉じた。
「シルビア様……大丈夫ですか?」
「ええ。少しだけここで」
神託は、全てを教えてくれるわけではない。
時にそれは、絵画のように静止し、時にその場所に立っているような臨場感を感じさせる。
「――――ライナス様」
その中で、一番登場頻度が高いのはライナスだ。
だが、きっとそれは、シルビアがライナスのことばかり考えているせいではないのだろう。
「長老様は、精霊が創りあげた物語には、中心になる人物がいるんだよ、と仰いました」
間違いなく、ライナスはその物語の中心人物だ。
そして、それが幸せな物語なのか、あるいは悲劇なのかは、まだ確定していない。
だって、時にライナスは暖かい場所で笑い、時に目を背けたくなるような戦いの世界にいる。
「ライナス様は、精霊に愛されているのですね」
――――いい意味でも、悪い意味でも。
その言葉を口にすることはしないが、シルビアは思う。
もしも、精霊に愛されていなければ、ライナスはもっと平穏に、暖かい場所で笑っていられたのではないかと。
精霊とは、いったい何なのか、とシルビアは長老様に尋ねたことがある。
長老様の答えは、「分からない」というものだった。
シルビアは、精霊を実際に見たことがない。
ただ、起きている事象から、実際にいるのだと信じるしかないだけで……。
ようやく落ち着いてきた映像の波。
顔を上げると、珍しく無表情であることが多いアンが、心配そうな表情をありありと浮かべていた。
そういえば、ライナスが笑っている場所には、いつもディグノとアンがいる。
一人で戦うライナスのそばに、二人はいない。
聖女は全てを知っているわけではない。
一つの時間に同時にいない、唯一の存在である聖女。
それでも、長い歴史の中、たくさんの聖女が生まれては消えていった。
その中で名を残したのは、与えられた神託を正しく分析した聖女だけだ。
それが、長老様にシルビアが教わったことの一つ。
「分析……」
顔を上げて、周囲を見渡してみる。
周囲を警戒しているアンと、こちらを真剣に見つめている神官。
「あなた……。名を教えてください」
「え!?」
そんなにも驚くことなのだろうか。腰を抜かしそうなほどに肩を揺らした神官は、しばしの沈黙の後に、恐る恐る口を開く。
「ラージ・ベルロンドと申します」
「ベルロンドさん……」
「えっ、聖女様。ラージとお呼びください」
「…………それは、ダメです」
なぜか分からないが、シルビアの脳裏に、とても不機嫌な狼頭のライナスが浮かぶ。
たぶん、それは神託ではなくて、シルビアの想像でしかない。
けれど、名前で呼ぶのはダメな気がするのだ。
「ベルロンドさん、あなた、私と一緒に来る気はありますか?」
「え?」
「私と来て、ライナス・ローランド様に仕えてください」
「…………聖女様の御心のままに」
ラージが返事をした途端、朧気でつかみ取れなかった神託が明瞭になる。
シルビアは、直感で彼に案内を頼んだ。
けれど、神殿の中に入れば、それすら必然であったと分かる。
彼は、類い希なる治癒魔法の力を持っている。
まだ、今は開花していないだけだ。
「彼をお屋敷に連れて帰りたいです。アンさん、どうすればいいですか?」
「お気に召されたのですか? ……ライナス様がなんと仰るか」
「気に入ったというか……。必要なのです」
必要なのだ。アンとディグノのために。そして、ライナスのために。
認識した途端に、ハッキリ見えてきた未来。
シルビアはその日、一人の神官を連れて屋敷に戻る。
表向きには、ローランド軍少将アン・ルティルトがその才能を見いだした、ラージ・ベルロンド。
神職から軍の上層部へ登る彼の数奇な運命は、ここに始まったのだった。
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