聖女、契約妻を拝命する 2
馬車の中、疲れ切っていてシルビアは、居眠りをしてしまった。
急に大きく揺れて目を覚ますと、扉が開く。
「眠っていたのか。攫われたに近いというのに、意外にも豪胆だな」
目を覚ますと、キラキラと日差しに白銀の毛を輝かせた狼頭の男が、馬車の扉を開けのぞき込んでいた。
「……狼閣下」
「狼閣下? はは。そうか、本名を名乗っていなかったな。ライナス・ローランドだ。期間限定とはいえ、俺の妻になったんだ、これからはライナスと呼ぶといい」
「ライナス様……?」
シルビアは、今まで誰かの名を呼んだことがなかった。
聖女候補という名称だけが残ったシルビアは、誰かと親しくすることを認められていなかった。
長老様は、いつもそばにいてくれたけれど、大聖女だった彼女の名は知らなかったし、その他にシルビアと関わってくれる人はいなかった。
「そうだ。それで、聖女の名は何という?」
「っ……。シルビア」
「そうか、可愛らしい名だな」
「えっ」
そして、長老様以外には名を呼ばれたこともなかった。
シルビアは、ライナスの狼の口から自分の名が紡がれたことに、驚きを隠せず顔を上げる。
それに、確かにライナスは、シルビアの名を可愛いと言った。
「……ありがとうございます」
「ん? そうだ、国境を越えてもう我がローランドに着いた。まずは、服とその足だな」
「服と足……?」
思いのほか滑らかで手触りのいい手が、シルビアの手を掴んで抱き上げる。
シルビアは、聖女の服を着ているが、二着しか与えられていなかったためボロボロだ。
そして、足は傷ついて真っ赤になっている。
「軽すぎる。だが、まずは足に塗る薬と靴が先だな」
「え……」
抱き上げられたまま訪れたのは、薬屋だった。
入店した途端に、乾かした薬草の香りが鼻腔をくすぐる。
「軟膏を……」
「いいえ」
「ん?」
「軟膏の基剤と、この薬草とこの薬草。それから乳鉢と鍋、加熱できる場所を貸して欲しいです。あと、遮光ガラスの軟膏容器も」
「……自分で作る気か? まあ、好きにすればいい。おい店主、場所を貸して貰えるか?」
長老様に習った知識を元に、よどみない手つきでシルビアは軟膏を作り上げる。
ライナスが見守る中、最後に、手の平からオレンジ色の光が瞬いて、軟膏に吸い込まれていった。
「聖女の作る薬か……。確かに、店の物より効果がありそうだ。椅子に座れ、塗ってやろう」
「いいえ。その前に」
シルビアは、茶色い遮光ガラスの軟膏容器に手を入れて、たっぷりの軟膏を取り出す。
「とりあえず、そこの椅子に座って貰えませんか?」
「――――ん? ああ」
ライナスが座ると、服の襟元に手を突っ込んだシルビア。
「お、おい?」
「動かないでください」
そのまま、背中に軟膏を塗ると、オレンジ色の光が辺りを満たした。
「――――まさか」
「毒か呪いでもうけたのですか? こんな傷があるなんて」
「治った…………?」
ライナスは、立ち上がって腕を回した。
以前背中に受けた矢傷は、呪いが込められていて、いつまでも痛みを伴い塞がらなかった。
しかし、今は完全に治癒している。
「よかったです!」
「…………いや、しかし、シルビアの分の軟膏は?」
「全部使い切ってしまいましたね。思いのほか、傷が深かったようです」
シルビアは、金色の髪を揺らし、まっすぐに紫色の瞳をライナスに向ける。
足はあいかわらず、真っ赤に腫れてしまったままだ。
「もう一度、軟膏を作るか?」
「……あ、ごめんなさい。ちょっと、魔力を込めすぎてしまったかもしれません」
ふらりと揺れた体をライナスが抱き上げる。
やはり、その体は羽のように軽い。
「……うーん。明らかに魔力を使いすぎたな。……俺のためか? しかし、借りを作ってしまったな」
ライナスは本当は、出来れば大国の姫君からの求婚を断ったら、頃合いを見てシルビアのことを自由にしようと思っていた。
悪い言い方をするなら、利用するだけして、母国に戻せばいいと……。
「……俺は、借りは返す主義なんだ」
もう一度、シルビアを馬車に乗せ、ライナスは靴と服を買いに戻る。
シルビアが目覚めたときには、その姿は可愛らしい黄色いワンピースと、歩きやすいブーツに包まれ、きちんと軟膏で手当てされていたのだった。
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