裏切りを知る
「レオン、お前はシルヴィア一筋だと思っていたよ。」
何度も耳にした、……聞き間違えることのない国王陛下の声が聞こえた。
「陛下、彼女と私の関係は結婚しても変わりません。彼女もティツィと上手くやってくれますよ。」
「シルヴィアのあの魅力的な体つきはいつ見てもため息が溢れるな……。女王の風格を持った存在も中々いない。そこにいるだけで余ですら圧倒され、心奪われる。余にもシルヴィアのような存在がいれば……と度々思うよ。」
「彼女は僕のですから。譲りませんよ。」
「分かっておる。お前達の間に割って入れる者などおらんよ。先の魔物退治でも活躍していたそうじゃないか。」
「ええ。その戦いでシルヴィアは疲れが出たようで、今は療養中です。彼女が私の支えです。」
ざわりざわりと、足元から不快なものが込み上げてくる。
「羨ましい限りよのう。アントニオもそう思わんか。」
「そうですね。それより僕は公爵がティツィアーノを落としてくれたおかげで、一安心しているところですよ。公爵、僕が渡してやった彼女の情報は役に立っただろう?彼女の好みから趣味まで、僕と彼女の長い婚約時代で集められた情報だからね。従兄弟である君が国境を守る辺境伯と婚姻を結べば王家も国も安泰だよ。」
二週間前に私に婚約破棄を叩きつけてきたクズ王子が弾むようなドヤ声で何か言っている。
元婚約者が口にした吐き気のする内容に、立ち尽くすしかなかった。
「……そうですね。全てアントニオ王子、貴方のおかげです。彼女と結婚することで、国も安泰に繋がると思っていますよ。」
低い、バリトンの……甘い声が、私の心を叩き潰した。
これほどまでに自分の能力を後悔したことはない。
なぜこのタイミングで感覚強化をしてしまったのか。
視力、聴力、嗅覚を何倍にもしてしまう私特有の感覚強化魔法を。
……最初からおかしいと思っていたのだ。
彼のような地位も、名誉も、容姿も、騎士としての実力も兼ね備えた人が、会ったこともない私に求婚してくるなんて……。
彼を知ってからこの十年、意識をしなくても、彼の噂話は耳に入ってくる。
どこどこで魔獣を退治したとか、軍の改革、五十年前に奪われた南部の奪還、他国の皇女と結婚話が持ち上がっているとか……。
そんな話を耳にしながら、いつかアントニオ王子の横に立つ時、彼に立派な王太子妃と認めてもらえるよう、誇ってもらえるように……国を、彼らを守れる人間になると決めた。
結局はアントニオ王子との婚約は破綻したけれど……。婚約破棄を突きつけられた時、こんなのと結婚しなくて済んで良かったという思いと、母を落胆させたという後悔、そして彼の目に留まることなく無駄な十年を過ごしたという思いだった。
だからこそ、公爵に求婚された時、信じられないという思いと、嬉しいという複雑な思いで舞い上がった。
……彼は恋人がいながらも国の為に私に結婚を申し込んだのだ。
貴族で政略結婚は当たり前だ。それなら初めからそう言ってくれれば良いのに。
『政略的なものではなく、貴方の意思決定に任せたい――。』
そんな言葉はいらない。
甘い言葉も、手紙も、贈り物も、初めからいらない。
初めから期待なんかしないのに。
鏡に映る自分を見て乾いた笑いが溢れた。
所詮野猿が着飾ったところでと笑いものになる前で良かった。
何を調子に乗っていたんだろうか。
彼のプレゼントも、手紙も、気配りも所詮国の為でしかなかったのだ。
母にも認めてもらえず、婚約者から女らしさもない野ザルと言われ、新しい婚約者にはすでに心を占める人がいる。
私の人生は何なのか、新しい生活もこんな気持ちで過ごしていかなければ行けないのか。
まだ、アントニオ王子との結婚には自分にできる目標があった。
伯爵家では騎士団長としてやるべきことがあった。
でも、このまま結婚したら?
戦場でも、私生活でも彼を支える『シルヴィア』がいるのに、私の居場所はどこにも無い。
夫にすら顧みてもらえない妻として、ただ子供を産んで生きていくの?
そもそも子供を産める関係になれるのかすら疑問だ。
彼の気持ちが私にないならいっそ……――――。
「――――――……アーノ嬢?ティツィアーノ嬢?」
ウォルアン様の声でハッと我に返る。
「あの、妹が大変失礼なことを言い、申し訳ありません。」
慌てるように頭を下げるウォルアン様だが、きっとシルヴィアという兄の恋人の事は知っているのだろう。
リリアン様は、腕を組み、「本当のことを言って何が悪いの。」と頬を膨らましている。
彼女はシルヴィアという人を慕っているのかもしれない。
美しく、女王然とした女性に比べ、婚約者にすら魅力が無いと言われた私では不満も当然だろう。
リリアン様には感謝すべきだ。
今後の自分の身の振り方は決まった。
そうして、リリアン様の前に片膝を突き、騎士の礼を執った。
ギョッとした彼女は一歩後退った。
「な、……何よ!?」
「リリアン様。ご助言ありがとうございます。仰る通り、私には過ぎた方です。どうぞ、レオン=レグルス公爵閣下に『愛する方とお幸せになって下さい。私も、……(いつか)愛する人の為に人生を歩みます。』とお伝えください。」
「え!!??」
――あ、『いつか』をつけ忘れたけど、まぁ結果は同じだしどうでもいいか……。
そう思いながら驚くリリアン様の手を取り、
「貴方の勇気あるご助言に感謝いたします。」
そう言って手の甲にキスをした。
その時、リタが戻ってきて、
「お嬢様。何をなさってるんですか?」
と声を掛けてきた。
「結婚は取りやめよ、リタ!!出るわよ。」
そう言って窓を全開に開ける。
「はい!!??何をおっしゃっているんですか!!??」
そこで初めて慌てたリタを見た気がした。
「ティツィアーノ嬢!?」
ウォルアン様が驚愕の声を上げる。
「ウォルアン様、公爵様に、『お互い幸せになりましょう。』とお伝えください。」
そう言って慌てて追いかけてきたリタと二階の窓から飛び降りた。