あの日の来訪者
みんなで会場に戻ると、広場の中心にレッドドラゴンが置かれており、その周りに人が集まっていた。
会場には各々が狩った獲物が置かれているが、もはやレッドドラゴンの添え物にしか見えない。
サンダーバードを狩ったものの、可愛らしい小鳥のように見えた。
アストローゼ公爵に大口を叩いたけれど、レオンはグリフォンを倒し、母はまだ子どもとはいえレッドドラゴンを倒しているのだから私の優勝は無かったと思わず笑ってしまう。
「義兄上、姉上、ご無事で」
「オスカー。貴方も無事なようで安心したわ。……それにしても、見事な切り口ね」
目の前にある頭部の無いドラゴンを見てため息しか出てこない。
「一撃だな」
「ええ、他に外傷はありませんし……。僕改めて母上の壁の高さを見せつけられました」
「そうね、でもきっと貴方なら超えられるわ。その才能もあると思うし、その為の努力もしているもの」
そう言うと、オスカーが嬉しそうに微笑んだ。
「お姉様〜!」
レグルス家の天幕の中からリリアン様がこちらにかけて来て、私に飛びついた。
その後ろからウォルアン様とヴィクト様、ライラ様もこちらに向かって来ている。
「ご無事で良かったです!」
「ご心配おかけしました。でも、今回は護衛も沢山連れていたので心配ないと申し上げたではありませんか」
ぎゅっと抱きついてくれるリリアン様が可愛すぎて思わず頭を撫でくりしてしまう。
「でも、お姉様は最良と判断されたらご自身で突っ込んで行かれるから、私は心配が絶えません!」
可愛らしいほっぺたをプンと膨らますリリアン様が、拳を握りしめて言う様に愛しさが込み上げる。
「レグルス嬢」
その時、オスカーがリリアン様に声をかけ。
そう呼ばれたリリアン様はハッと顔を上げ、私から離れてオスカーに向き直った。
「あ、……はい。なんでしょうか? オス……サルヴィリオ伯爵子息様」
以前のひんやりした会話ではなく、なんだか……ただ、オスカーのぎこちない様に面食らってしまう。
ふと横に視線をやると、レオンをはじめとした面々の視線もそちらに集中している。
「お怪我を……?」
オスカーは、リリアン様の服の端についた血痕を心配そう見ている。
その視線の先に気がついたのか、リリアン様がにこりと笑った。
「あぁ、これは私の血ではなく、狼の返り血ですわ。ご心配いただきありがとうございます。さっさと着替えればいいのですけれど、結果発表に間に合わなくてはお姉様の祝福を一番に出来ないので」
あぁ、リリアン様ごめんなさい。
きっと優勝は無いかと……。
そんな事を思いながらも黙って二人の様子を伺った。
リリアン様の言葉を聞いたオスカーは、ふっと表情を緩ませ「あなたがご無事でよかったです」と微笑んだ。
その表情は、本当に安心したという顔で、なぜかこちらがドキンとしてしまう。
リリアン様も驚いたのか、顔を赤くして固まっている。
な……なんだか雰囲気が……。
思わず野次馬根性丸出しの自分が恥ずかしくなるが、周囲を見渡すと、私以上のギラギラした目で、全員が野次馬根性丸出し状態と化していた。
「……。あの」
「は……はい?」
少し、戸惑ったような顔をしながら、オスカーが口を開いた。
「貴方に謝罪を」
そういってリリアン様の前にオスカーが片膝をついた。
「え?」
「貴方に失礼な態度をとったことをお詫びしたいと思いまして」
「あなたがお怒りだったのは……私がお姉様に以前の結婚式で……誤解を招くような意地悪なことを申し上げたからですよね?」
「お恥ずかしながら。僕が怒ることではないのに、感情をコントロールできなかった未熟な自分を情けなく思っています。それで貴方に不快な思いを……」
オスカーがそう言うと、リリアン様が彼の謝罪を遮るように口を開いた。
「でも、貴方がお怒りになられて当然です。私だってお兄様があんなこと言われたらきっと同じように怒っていますわ」
「……お優しいですね。でも、謝罪はさせていただきたい。申し訳ありませんでした」
「それで貴方の気が済むのなら。私は二回も貴方に助けられましたし、お礼の言葉しかありません。……でも、今後仲良くしてくださると嬉しいです」
「ありがとうございます。……それから、私からお礼を申し上げても?」
「え?」
なぜそこでお礼が出るのかと不思議な顔をしたリリアン様の右手をスッと取る。
「先ほど、姉上のためにご令嬢方に怒ってくださった事、とても嬉しかったです。姉上はそちらでも皆様に大事にされていらっしゃるのですね。先ほどの道中でも姉を思うお話が聞けて……安心しました」
「とんでもございません。私こそいつもお姉様によくしていただいていますもの。私だって大事なお兄様にあんなことを言われたら嫌味の一つでも言いたくもなります。サルヴィリオ伯爵子息様がそう思われたのも当然の事ですわ。私が子どもだったのです」
その申し訳なさそうに言いながらも、儚げな花のように微笑むリリアン様をオスカーが優しく見つめる。
そんな二人のやりとりを見て、ライラ様が拳を握りしめている。
「いいわよ、リリアン。そのままオスカー君と婚約まで持って行っちゃいなさい!」
「ライラ……。僕の意見は……」
なんて緊張感のない前レグルス公爵夫妻の会話が聞こえてきた。
「ティツィアーノ様、レオン様、この度はありがとうございました」
母の優勝という当然の結果で授賞式が終わり、レグルス家の天幕に戻ったところにフィローラ皇女が侍女を連れて挨拶に来てくれた。
「いいえ、皇女殿下のお力添えがあったからです。私としては殿下が安全な状態でアストローゼ公爵を捕えたかったのですが、貴方が囮役を買って出ていただいたおかげで、早期解決となりました」
レオンがそう言うと、フィローラ皇女は首を横に振る。
「いいえ。私のために動いて頂くんですもの。当然だわ」
そう言って、彼女がふわりと微笑んでこちらを見た。
彼女を狙ったのは長い時間を共に過ごしてきた従兄弟だ。
そのいとこの裏切りに彼女の胸の痛みを推し量るなんて出来ない。
「ティツィアーノ様、貴方には感謝しか無いわ」
そんな私の思いを知ってか知らずかフィローラ皇女が静かに微笑んだ。
「レオン様、ティツィアーノ様、私どもからも心から御礼申し上げます」
彼女の横にいた年配の殿下の侍女長が進み出て深々とこちらに頭を下げる。
「そして何より、ティツィアーノ様。貴方様の結婚式の日に、殿下のお命も、こちらにおりますケイトとアリアの命も助けて頂いたこと、深く深く感謝申し上げます」
ケイトとアリアと呼ばれた女性はあの日、結界の外で瀕死の状況で倒れていた女性たちだ。
「……フィローラ殿下は我々女性の希望の光なんです。以前、ウィリア帝国にあるビラ鉱山という所で大きな地震が起きてそこで働いていた鉱夫たちはほとんどが亡くなってしまいました。我が国では女性の働き口などほとんどありません。残された女性たちは自分を売るしか道はなかったんです」
その話に思わず目を見開く。
「けれど、殿下はそんな女性達に仕事を与えてくれた方なんです。お給料も男性同様に頂けて、働き口が見つからない女性は皇女殿下の作ってくれた職業訓練所のおかげで手に職を持つことが出来、家族と、子供とご飯が食べられるんです。私も、この子達もその高山で家族を失った者なんです」
そう告げる侍女が殿下を見つめる瞳はとても優しい。
彼女達にとって、フィローラ皇女の存在がどれほど大きいかよく分かる。
「貴方たち……」
「正直、最初はどうしてレグルス公爵様は姫様を選ばれなかったのか……、なぜ貴方のような方なのかと大変失礼ながらそう思っておりました。ですが、さすが姫様のお目に適った男性が選ばれた方だと……誰もが憧れる公爵夫人になられる姿が目に浮かびます」
「あ、ありがとうございます」
当初、彼女たちに向けられていた冷ややかな視線は微塵も感じられない。
一人でも私がレオンに相応しいと思ってもらえることは何より嬉しかった。
「なので……姫様にも貴方様のような方が現れてくれることを心から祈っております」
……?
「ええと?」
ちょっと理解し難い事を言われてしまい、思わず頭にハテナが浮かんだ。
「あぁ、なぜ貴方と姫様がもっと早く出会わなかったのか!」
なぜか突然崩れ落ちていく彼女たちに固まってしまう。
「お嬢様ってば、とうとう他国の女性まで落としちゃったんですね」
「リタさん、見てください。公爵様の顔が死んでますよ」
すると、フィローラ皇女がくすくすと笑い、「貴方たち、それくらいにしなさいな」と彼女たちを嗜めた。
「ごめんなさいね。……ではティツィアーノ様。明日、お待ちしておりますわね。最高のドレスが出来上がっていましてよ」
そう言って、女神の微笑みを残して彼女は去っていった。
「明日?」
横でずっと黙って聞いてくれていた母が、フィローラ皇女の消えた天幕の出口に視線をやりながら言った。
「ええ、実は、フェンリルに殿下が襲われた日の夜、レグルス邸に来てくださったんです」
そう、あの日の来客はルーイさん親子だけでは無かった。
深夜、レグルス邸にお忍びでフィローラ皇女が先ほどの侍女長と来たのだ。
――二日前
「フィローラ皇女! いつ狙われるとも分からないのに、王宮を抜け出すなんて! 騎士団の連中は何をしているんだ!」
「そうですよ! 早くお戻りになって下さい。アストローゼ公爵様に関して報告は行ってますか?」
レオンも私も、厳重な警備を抜け出して、レグルス邸にやって来たフィローラ皇女に驚きを隠せなかった。
アストローゼ公爵が疑わしいので注意するようにとフィローラ皇女宛に秘密裏に連絡を出したはずだ。
「ニコラスのことはもちろん聞いたわ。ここに来たのは、……貴方にきちんとお礼も、謝罪もしていなかったし、どうしても伝えたいことがあったのよ」
そう言って、応接間に案内するなり彼女は数冊のスケッチブックを取り出す。
「これは?」
「今こちらに持ってきているドレスのデザインと、生地の見本よ」
「……はぁ。私にはよくわからないのでリリアン様に……」
思わず、私に営業しにきたのかと思い、そう答えるとバンっと机に両手をついてフィローラ皇女が立ち上がった。
「貴方の! ウェディングドレスよ!」
その言葉に目を見張る。
「え? 私のですか?」
「そうよ。立太式の前に結婚式を行うんでしょう? 王宮が用意するものより、よっぽど貴方に似合うものを用意するわ」
「でも、もう日数もありませんし……、出来合のもので……」
「良い訳が無いでしょう! 私のせいでこんな事になって……。それに私のメンバーを舐めないでいただける? 三日もあればご用意いたしますわ」
そう言って皇女らしからぬ不敵な笑みを浮かべた。
「なんて頼りになるお姫様」
そう背後でリタの呟く声が聞こえる。
「貴方、ティツィアーノ様の侍女ね」
「はい」
そう言って、リタが頭を下げる。
「今日は私の侍女たちを助けてくれてありがとう。貴方にもきちんとお礼せずに、申し訳なかったわ」
「とんでも無いことでございます。あの状況でしたから、皆様がご無事で何よりでございました」
「貴方も良ければドレスを選んでちょうだい。侍女だからといって結婚式にまでメイド服で参加したりしないでしょう? 貴方が私の侍女の命を助けてくれたことに比べて、大したものではないのだけれど」
「ありがとうございます」
そう言って、いそいそとリタもデザイン帳をパラパラと捲って、私のドレスと自分のドレスをフィローラ皇女にお願いしていた。
「お嬢様は、このようなデザインが…――」
フィローラ皇女と、リタのやり取りについていけず目眩を覚えた。
「大丈夫か?」
クスリと笑うレオンが少し憎らしく、思わず「大丈夫じゃありません」と答えてしまう。
「それよりも、フィローラ皇女が私は心配です。今日あんな事があったのに、こんなことをしていて大丈夫でしょうか?」
「きっと気を紛らわしたいんじゃ無いか?」
意見を出し合うリタとフィローラ皇女はとても生き生きとしていて、とても真剣だ。
私も気を紛らわしたい時、昔から剣を無心に振っていたことがある。
フィローラ皇女が気を紛らわす方法は、ドレスやデザインの事を考える事なのかもしれない。
「少しでも気が紛れると良いですね」
「そうだな」
その翌日、午前中はアストローゼ公爵が不在である事を確認してドレスの試着のため王宮に来ていた。
さらにはリリアン様もルーイさんも一緒で、殿下や裁縫チームの人たちと対等に真珠のデザインについて議論をしている。
「こちらかこちらのドレスはいかがかしら。……これもいいわね。見本として持ってきたものだけど。少し調整すれば着られるわ」
皇女の滞在の為に用意してある離宮の最上階に連行……案内された部屋には、見たことも、もちろん着たことも無い様なキラキラしたドレスが所狭しと置いてある。
「本当に、こんな素敵なドレスをお借りしてもよろしいのですか……」
そんな中からフィローラ皇女は自らいくつかのドレスを私の前に並べた。
「やめて頂戴。差し上げるのよ。貸すなんて半端なことはしないわ」
そう不敵な笑みを浮かべたフィローラ皇女は、侍女たちに白のドレス以外片付けるようにと指示を出し、私に合う白のドレス生地を顔に当てて見ていく。
「……ティツィアーノ様…私は、ずっと……、守ってくれる人も、必要としてくれる人もいないと思ってたわ。皇帝陛下である父も、私を道具としか見ていないし、でも、……二年前、レグルス公爵様がお見合いという形で我が国を訪れた時、唯一自分のしたことを誉めてくれた人なの」
生地を私に当てながら、ポツリ、ポツリと話し始めた彼女の言葉に耳を傾ける…。
「自分の事業の話なんて興味を持って聞いてくれる男性なんていないと思ってた。きっとこの人も私のしたことなんてどうでもいいと思っているだろうって。でも、『生きるための術を持つのは大事な事で、その環境を与えてあげた貴方は素晴らしい。誰かの為に何かをすると言うのは簡単なことじゃない』って。たったそれだけの言葉だったけれど、恋をしていたのね。……私も彼に愛されたかった。レグルス公爵は噂とは違う優しい表情でおっしゃっていて、きっとお見合いは上手く行くと思ってた」
懐かしむように言うその瞳や儚さに目を奪われる。
「あの時、きっと私を通して貴方を想っていたのかしらね」
そう微笑んだ彼女の言葉に胸を締め付けられた。
なんと言っていいのか言葉に出来ない。
そんな私の表情を見て、フィローラ殿下は「昔話よ」と、微笑む。
「さぁ! ティツィアーノ様。時間は有限です。サクサク参りましょうか」
先ほどと打って変わったように、パンパンと手を鳴らし、そう言った彼女の言葉にごくりと喉を鳴らすも、すぐ横でリリアン様も昨日のリタのように「頼もしいお姫様ですね!」と、グッと親指を立ててきた。
「お嬢様、こちらなんて素敵かと思いますけど!」
リタが興奮気味で持ってきたのは、胸下から切り替えが入っており、スカートの部分はふわりとした柔らかな生地が幾重にも重なっている。
空気を含んだかのような柔らかな生地は、触るだけでもここち良い。
よく見ると、スカートのひだには刺繍がしてあり、見る角度や光の当たり具合で浮き彫りになり、とても美しいと思う。
「綺麗……」
「気に入ってくれて嬉しいわ。私のイチオシなのよ」
「でも、ちょっとこれは、私にはハードルが高いかと……」
まるで御伽話に出てくる女神様のようだと思いながらもっと私の身の丈にあったものはないかと他のドレスに視線を移す。
「似合わないなんてことは無いわ。肌の露出が多いのが気になるなら、レースをこうして……、こんな感じかしら」
ささっと、紙に何かを書いたものを『縫製スタッフ』とやらが覗き込んで「「「承知致しました!」」」と早速制作にかかっていた。
昼頃にはアストローゼ公爵が戻ってくるとの知らせを受けていたので、レグルス邸に戻る準備を始めた。
「では、式までにドレスは完璧にしておくから。心置きなく狩猟大会に参加してくださいませ。私も、ニコラスにバレないように完璧に演じますわ。色々とね」
そう不敵に笑ったフィローラ皇女の紫水晶の瞳には、初めて会った時私に向けた冷ややかな色は無かった。
「――とまぁ、こんなことがありまして」
熱弁するリタにほほうと母が感嘆の声を漏らした。
「なるほど。それはまた、頼もしい女性だな、リタ」
「そうなんです! サリエ様もお嬢様のドレス姿楽しみにしていて下さいね! 前回も素敵でしたが、今回のドレスもとても素敵ですから」
満面の笑みで言ったリタに、それは楽しみだと母が笑った。




