狩猟大会 4
「ねぇ、財務大臣。僕の周りを調べていただろう? 僕が横領していたのに気づいて。でも仕方ないんだ。金が必要だったからね。このマジックボックスがいくらすると思う?」
そう言って、彼は胸ポケットから小さな木箱を取り出した。
手のひらサイズの、装飾された木箱は紛れもなくあのマジックボックスだ。
「やはり貴方だったんですね」
そう言うと、アストローゼ公爵の顔が小馬鹿にしたように歪む。
「ティツィアーノ嬢。知ってましたって顔するなよ。知ってたら公爵や騎士団員をよそにやったりしないだろう?」
「いますよ。護衛。見えませんか?」
にこりと笑うと公爵は苛立ちを隠す事なく叫ぶ。
「バカにするな! 二人しかいないじゃないか! しかも一人は女だ」
「そうやって、舐めてると痛い目見ますよ」
「ハッ! 何が痛い目……グッ!」
リタが一瞬でアストローゼ公爵の背後に周り、彼の手からマジックボックスを奪う。
「ね? 言ったでしょう?」
そう言うと、彼は美しい顔を歪めて、苦々しい顔した。
「ティツィアーノ様、もういいわ。ありがとう。あとは彼を国に連れて帰って、彼の処分に関しては陛下におまかせするわ。もちろん諸々の損害費用や慰謝料はお支払いします」
先ほどまでじっと黙って様子を見ていたフィローラ皇女が静かに言った。
その彼女の落ち着いた様子に、アストローゼ公爵はまさかと目を見開いた。
「グルだったのか……」
「……えぇ、あの結婚式の日、フィローラ皇女を呼び出したのはあなたしかいらっしゃらないと、思いましたから。なので、狩猟大会に出ないよう進言いたしましたが、早期解決のため囮になると殿下がおっしゃられたのです」
アストローゼ公爵の顔が歪む。
「いつ……気づいたんだ」
「フィローラ殿下のお気持ちを利用したあのお手紙は、侍女の誰かか、貴方しかご存知ないのではと思っていましたから。実際、先ほどあなたもおっしゃったじゃありませんか。ここに来るまでフィローラ殿下のお気持ちを知らなかったと。そして、あの壊れたマジックボックス。なぜ急に開いたようなのに、その箱の持ち主が襲われなかったのか……。「妖精の涙」の効果ですよね。持っていますよね?」
そう言うとアストローゼ公爵は苦々しいと言った表情を浮かべた。
『妖精の涙』の効果は、癒しの力と魔物避けの効果があると聞いたことがある。
妖精に守られる国だからこそ、ウィリア帝国には魔物がほとんどいないのではないかとも言われていた。
「だからと言って僕が犯人だとは断言できないだろう? 他の侍女……」
「匂いですよ」
「は?」
「あなたの香水の匂いが、あの、マジックボックスからしたんですよ」
「そんなバカな……臭いなんて……」
「だから、あの魔物にフィローラ皇女が襲われた日、貴方に気をつけて下さいとこっそり連絡したんです。マジックボックスの持ち主は恐らく貴方だと」
「は? 何をおっしゃっているのか。そんな匂いなど……しませんよ。それだけで私を疑ってたと?」
「ええ。疑ったからこそ、貴方の身辺調査を行いました」
そう言うと、ニコラス様の綺麗な顔が歪む。
「身辺調査?」
「ええ、身辺調査です。リトリアーノとの繋がりも裏が取れています。先ほどあちらに出没させたレッドドラゴンはリトリアーノの間者でしょう?」
「女の……女の癖に! 出しゃ張るな! 何が国境警備の騎士団団長だ! 何が長子が継ぐだ! どうせ仕事も何もかも全て部下に任せているんだろう? 所詮女にできる仕事など大したものなど無い!」
その言葉に、彼の本性を見た。
「……何故フィローラ皇女を狙ったのですか? 貴方の国の誇りだとおっしゃっていたではありませんか」
「誇りなどと思うわけがないだろう! この女が! 女性の進出だの何だのとくだらないことを言うからだ! 女性は男に従うもので、前に出るべきではない! 以前のようにただ着飾って、おとなしくしていればいいものを」
怒りで顔を真っ赤にしたアストローゼ公爵は、フィローラ皇女に指を指した。
「フィローラ、いい気になるなよ。昨日いつの間にかアッシュ王子と事業提携の契約を結んだようだが、そんな事僕にもできたさ。しかも相手は五歳児。丸め込むなど簡単だったろうさ。それで貴様がウィリア帝国にもたらす利益など微々たるものよ」
聡明なアッシュ王子の事だ。国のためになると判断したからこそ、他の貴族がフィローラ皇女と提携を結ぶ前に国として動いたのだろう。
「ニコラス。この事業は国の目の前の利益だけを求めたものではないわ! 父上……皇帝陛下だって理解を示している! この事業の主体は女性で……」
「黙れ黙れ黙れー‼︎」
フィローラ皇女の言葉を遮り、アストローゼ公爵は声を荒げた。
「その陛下が、この事業が上手くいけばフィローラをサポートする為に僕と貴方との結婚を進めていると言ったんだ。でも、冗談じゃない。なんで僕がサポートする側なんだ。こんな女と結婚などしなくても、貴様が死ねば、陛下に他に子がいない以上、王位継承権は僕のものだったのに」
あぁ、彼の顔が誰かにかぶると思ったら、……私の元婚約者だ。
自分の利益だけを求め、自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。
外面の良さだけが彼と公爵の違いだろう。
「では、言質も取れたことですし、ご同行頂きましょう」
「は、行くわけが無いだろう? 僕だって王家の血を引くものだ。さっきは油断したが、貴様らから逃げる隙を作るぐらいは出来るさ。ましてや今騎士団の連中もレグルス公爵もレッドドラゴンの討伐に行っている。貴様もさっさと行かないと愛しいあの男がドラゴンに食われるかもしれないぞ」
「……見えませんか?」
「は?」
「言いましたよね。護衛がいるって」
その時、ガサリと私たちの周囲をレグルス騎士団が取り囲んだ。
「いつのまに……」
「気づかない方が間抜けなんですよ。ずっと近くにいましたよ」
「お嬢様!」
その時、リタの手の中のマジックボックスが振動を始めた。
ざわりと不快なものが駆け上がり、思わず叫ぶ。
「リタ! 捨てて!」
リタが投げ捨てると同時に、マジックボックスが開き、中から耳を劈く様な奇声と共にグリフォンが出てきた。
下半身は獅子の体を持ち、大きな翼を広げた鷲の魔物。
フェンリルと同等の強さを持つ魔物は、狙いをこちらに定めてくる。
人間の三倍はあろう体格差に思わず息を呑んだ。
「はははははは! 貴様らそのまま食われてしまえ! 僕は『妖精の涙』を持っているか……ら」
アストローゼ公爵が言葉を言い終わるまでもなく、目の前でグリフォンが一瞬で凍結される。
「ティツィ。無事か」
「レオン!」
「バカな……、レッドドラゴンの討伐に行ったはずでは……」
そう呟くアストローゼ公爵を見向きもせずレオンが応える。
「サリエ殿が対処しているさ。彼女は上級エリアに行かず初めから陛下の側にいたんだよ。騒ぎを起こして騎士団を集中させるなら陛下を狙ったふりをするのが一番効果的だからな」
「……っく。嵌めたのか!」
「上手くいき過ぎて可笑しいとも思わなかったのか? 貴様は初めからティツィの手のひらの上で踊らされてたんだよ」
「そして、公爵様は息を潜めてお嬢を見守ってたってねー」
「テト、ちょっと黙ってなさい」
そうテトを嗜めると、その呑気なやりとりにイラついたのか、アストローゼ公爵はこちらを睨みつけた。
「貴様ら、レッドドラゴンだぞ! 女ひとりでどうとできるモノじゃない! 所詮貴様の母親の名声も誰かの功績だろう? 一人で黒竜を倒した? そんなの御伽話の世界だ。実話なら化け物だ」
顔を醜く歪ませ、彼が嘲った瞬間、レッドドラゴンの首がゴトっと目の前に落ちてきた。
「なっ……」
「化け物で悪かったな」
「母上」
「全員無事だな。このドラゴンは、土産だ。あちらもリトリアーノの間者を取り押さえたから、何の心配もない。大会も続行だ」
不敵に笑う母に、さすがですと微笑んだ。
「で、こいつを連行していっておしまいでいいのか? なんともあっけないものだな」
「あ、待ってください」
そう言って、背中にある弓をとって構えた。
「……なんだ? ……僕を撃つのか?」
まさかと青ざめるアストローゼ公爵の言葉を否定する。
こんな男は撃つ価値もないし、使う弓矢が勿体無い。
「いいえ。私は今日は狩しかしないとレオンと約束しましたから。誰かと……何かと戦うことはしませんよ。大会続行なら狩をしないと」
「はっ。戦わないんじゃなくて戦えないんだろう? 所詮お飾りの騎士団長だったんだろう? 大体そんなおもちゃみたいな弓矢で何をしようと言うんだ。うさぎを仕留めるのが精一杯だろうよ」
こんな状況でも口の減らない公爵に、ある意味尊敬の念すら抱いてしまう。
「……気づいていますか?」
「何を?」
「さっきからサンダーバードがこの森の上を縦横無尽に飛び回っているのを」
指を一本立てて上空を指差すと、彼は訝しげな顔をした。
「……?」
飛んでいることにすら気づいていないその愚鈍さに笑いが溢れた。
「サンダーバードの好物はレッドボアなんです」
そう言ってレッドボアを上空に向かって高く投げた。
「何を……」
「私、剣より弓が昔から得意なんですよ。まぁ、どうでもいいでしょうけど」
そう言って、背中に据えてある弓を構えた。
『弓』に魔力を通す。
「まさ……」
ドォンと、公爵が何かをいう前に彼の頭上からサンダーバードが落ちてきた。
「あああああああ」
彼は逃げる間もなくサンダーバードの下敷きになる。
妖精の涙を持っているから、瞬時に回復することは分かっていたが、自分の体の二倍ほどもあるサンダーバードの下から簡単に抜け出すことは出来ない。
「この弓、両端の装飾に嵌めてある石、魔石なんですよ。優勝狙っているのに、ウサギや狐しか狩れないようなものを持ってくるわけがないでしょう?」
そう言って、しゃがみ込んで彼に弓を見せた。
「今回の大会は、私の優勝ですかね」
「ふ、ふざけるな……! 早くこの鳥を退けろ!」
「……これは私の復讐です。前回結婚式を台無しにされたね。本当は、ボッコボコにしたいんです。ボッコボコですよ? でも、ささやかなものでしょう?」
そう言って、彼に微笑んだ。
「っ……。いい気になるなよ」
王国騎士団にサンダーバードの下から引き出され、連行される間際にアストローゼ公爵が言った。
「何ですって?」
懲りない男だと思いながら聞き返すと、憎々しげに私たちを見た。
「所詮女じゃないか。何の役にも立たないさ。今回はたまたま上手く行っただけで、最後に勝つのは男なんだよ。お前らなんて、所詮子どもを産むためだけのものなんだよ!」
その言葉に思わず彼の頬を引っ叩いた。
「所詮子どもを産むための道具⁉︎ それがどれだけ大変で、どれだけの思いで子どもを……育ててると思ってるの⁉︎」
脳裏に浮かぶのはあの日の、ルーイさん。
どんな思いでルーイさんがたった一人でネロ君を産んだか、私には想像しか出来ない。
ミミとほんの数時間街に出かけただけでどれだけ大変だったか。
目が離せない子供がいて、自分の生活を支えながら、子供を育てていくのがどんなに大変か。それはやっている本人にしか分からないことだ。
『大変で、思い通りに行かないことばかりだけれど、それでもこの子達がくれる笑顔で救われる』
そう言った彼女の言葉は愛に溢れていた。
道具だなんて言わせない。
「女の分際で僕を叩くなど……」
顔を真っ赤にしたアストローゼ公爵は、怒りに震えている。
「どれだけ長い間、赤ん坊がお腹にいると思うんです。……大事に、大事に抱えて、お腹の子に会える日をどんなに待っていると思うんです。生まれたら一秒だって目を離せない! 大切に、大切に……子どもを見守って」
思わず握りしめた拳に力が籠る。
「だからなんだ。それがお前達女の仕事だろう」
「女性がいないと命は生まれません。国は女性なしには成り立たない。そんなことすら分からない貴方が万が一にも王になったら国はすぐに滅ぶでしょうね」
「この僕を馬鹿に……っ!」
「だって馬鹿ですから。貴方は一人で生まれたんですか? 産んでくださったお母様がいらっしゃるでしょう? 貴方だって……」
沸々と湧いてくる怒りが止められない。
その怒りが右手に力が籠るのを加速させていく。
「貴方だって、ママにお乳飲ませてもらってデカくなったんだろーー‼︎」
そう言って、彼の顔面をグーで殴ってしまった。
気を失った彼には聞こえないかもしれないけれど、言わずにはいられない。
「所詮女と罵った人間がどれだけのものか、暗い牢屋で指でも咥えて一生見てなさい」
そう吐き捨てると、後ろの方で、「俺、将来奥さんには絶対逆らわないようにする」「当たり前よ。幸せな結婚生活が送りたいのならね」と言うテトとリタの会話を聞き逃すことは無かった。




