狩猟大会
今回の狩猟大会は天候にも恵まれ、王家の森の大会本部周辺には各家紋の大きな天幕が所狭しと張られていた。
今年は来賓客も多く、立太式に参加するため王都に滅多に来ない家門も多数参加していた。
「ティツィ、いるか?」
「母上! 父上にオスカーまで」
公爵領の天幕にひょっこりと顔を出したのは母と父、もちろんオスカーとテトも一緒でサルヴィリオ家の家紋をつけたハンタージャケットを着ていた。
「どうされたのですか? もうすぐ集合時間ですよね?」
「いや、一昨日懐かしい顔に会えると思っていたのだが、色々とあってまともな挨拶ができなかったからな」
「懐かしい顔……ですか?」
「ヴィクト夫妻に挨拶をな」
「父と母ならリリアンを連れて『ランジェの丘』にいますよ。そのまま会場に向かうそうです」
レオンがそういうと、母は納得したように彼女は昔からあそこが大好きだったなと呟く。
「ところで、サリエ殿、トルニア殿、例の件で進展がありましたので、丁度お伺いしようと思っていた所なんです。今少しお時間を頂いても?」
「あぁ、もちろんだ」
「レオン、私も一緒に説明をしましょうか?」
そう言うと、レオンはにこりと微笑んで私のピアスに触れる。
その仕草と、彼の瞳の柔らかさに昨日の夜のレオンを思い出させて鼓動が早くなった。
「大丈夫。ティツィは準備をして待ってて。まだ弓の確認をしていないだろう? 安全第一だからな」
「あ……はい」
そうして三人は天幕の奥に入って行った。
「お嬢様? お顔が真っ赤ですけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ! 全然平気!」
後ろからリタに声をかけられて思わず全力でそう振り返る。
「……」
「な、何? リタ?」
「何って、こちらのセリフですよ」
「これは何かありましたね」
リタの後ろから現れたセルシオさんがリタに続いた。
「何もないって言ってるじゃない」
言えない!
昨日の夜のレオンの色気がやばかったとか!
レオンの匂いが充満する部屋に入るのに腰が引けたとか!
レオンの嫉妬が嬉しかったとか!
レオンの色気にあてられて、寝付けなかったとか!
そして朝からことあるごとにピアスや指輪に触れてくるから、昨日のことを思い出さない暇がないとか!
笑って誤魔化そうとする私に、何かあったハズだと言いながら、ジリジリと迫ってくる二人の様子に、小さな笑い声の助けが入る。
「まぁまぁ、リタも姉上で遊ぶのはそれくらいにして、早く準備しよう」
「オスカー様。でも気になりません?」
「気にはなるけど、姉上のその様子を見る限り元気になられたんだからいいじゃないか。さすが義兄上だよ。……ところで姉上は今回黒竜の剣はお使いになられないのですか?」
」
「狩猟大会だからね、弓よ。公爵様が用意してくださったんだけど、素敵でしょう?」
そう言って、近くに用意していた弓の入ったケースを開いてみせた。
「……これは」
両端に繊細な細工の施された弓はあまり実用的に見えないけれど、女性的な可愛らしいデザインだ。
「公爵様も過保護が過ぎますね」
小さくため息をついたオスカーに、全員がそうなんです! と声を揃えたので笑ってしまった。
「「お姉様!」」
レオンと母の話し合いが終わり、会場に向かうとそこに響いたその声は、間違いなくリリアン様と、ライラ様の声だった。
「お姉様?」
レオンが訝しげな顔でその声の先に視線をやった。
頬を蒸気させ、笑顔でこちらにかけてくるリリアン様とライラ様がいた。
その時、「「「キャー!!」」」と、普段の令嬢たちの声とは異なる黄色い声が響いた。
「サササ、サリエ様よ!」
「あぁ、なんて素敵なお姿なの」
「昔と変わらず凛々しくていらっしゃるわ!」
「ライラ様も相変わらず大輪の薔薇のようだわ!」
「お二人が並ぶといつも素敵だったけれど、こちらも変わらず、目の保養ですわ」
遠巻きにざわめくのは御令嬢方ではなく、彼女達の母親であるご婦人達。
弾むような会話は全て聞こえてきた。
その彼女たちの視線の先に視線を合わすと、母を見上げるライラ様の満面のとろけるような笑顔があった。
「サリエお姉様!」
「あぁ、ライラ姫。いや、今は公爵夫人だったな。あまりに変わりなく可愛らしいので間違えてしまったよ。」
そう言った母にライラ様が頬を染める。
「嫌ですわ、サリエお姉様ったら。からかわないで下さいませ!」
「はは、からかってなど。リリアン嬢の可愛らしさは貴方譲りだな」
「もう、いつもご冗談ばかり! 今日はこれをお渡ししたくて、そのリリアンと作ってきましたの」
そう言ってライラ様が差し出したのは可愛らしい白い花のコサージュだった。
「貴方の無事を祈ってひと針ひと針刺しましたの。受け取っていただけますか?」
「あぁ、懐かしいな。昔も同じ花のコサージュを頂いたが、あの時もこのコサージュのお陰で勝利を手にしたんだったな」
にこりと笑う母にライラ様は頬を染めて覚えてくれていたことを喜んだ。
「母上って……」
「お嬢様そっくりですね」
いつの間にか背後にいたリタがボソリと呟く。
「え! どこが⁉︎」
「いや、天然タラシなところですよ」
「私はタラシじゃないわよ! ……お母様はそうかもしれないけど……」
母はそこにいるだけでもうなんていうかオーラが違う。
圧倒的な力の差を感じざるを得ないし、それでいてそれを鼻にかけるような真似はしない。
私は令嬢たちに『野ざる』扱いされることもあるけれど、母のことをそんな風に言う人なんていない。
目を奪われるような、魅力が母にはある。
「お姉様! 見てください! これはお姉様の勝利を祈願して作ったコサージュです!」
横からリリアン様が差し出してくれたのは、緑のビロード生地のリボンに金糸の刺繍。
そこに飾られたブローチにはライラ様が母に贈ったのと同じ白い可愛らしい花が添えられている。
ふわりとオレンジのような爽やかな香りが鼻腔をくすぐった
「この花は、ここにしかないランジェという花で、『幸運』を意味しているんです。香りは強くないと思うのですが、いかがですか?」
そう言って、いそいそと私の胸元につけてくれながらも、胸元から香る匂いがキツくないか心配してくれた。
この花は先日リリアン様が新婦控え室に持ってきてくれた花と同じだ。
あの日、彼女のくれた思いの純粋さが胸を締め付けた。
「とても……いい香りです」
ふわりと香る柑橘系の香りにそう答えると、嬉しそうにリリアン様が微笑む。
「お姉様に、幸運あれ」
目元を優しく緩めて言葉を紡ぐリリアン様が可愛くて可愛くて、思わず彼女の手をとる。
「貴方に勝利を」
そう言って手の甲にキスを落とした。
「まぁ。先日、結婚式が魔物の出没のせいで延期になったと言うのに平気な顔をしていらっしゃるわ」
その時、覚えのある令嬢の声が聞こえた。
先日『ボレイ書店』にいたミア嬢の声だ。
彼女も周りにいる友人達もハンターコートを着ているので、大会に参加するようだ。
「私だったら、心待ちにしていた結婚式が台無しになったら恥ずかしくて出てこれませんけれど」
「私、先日の結婚式の日にボロボロのドレスを着た彼女を見ましたわ。いかにも戦闘後といった……」
「なぜレグルス公爵様がティツィアーノ様をお選びになったのか全く理解できませんわ。美しい女性は選びたい放題ですのに」
「アントニオ殿下の時のように、きっと今回も国王陛下のご指示で仕方なくだったのですわ」
そんな会話が周囲から聞こえてきた。
しかも、私が聞き取れる声なのはもちろんだが、私の周囲の人にまで聞こえているのは間違いないだろう。
思わず、ぎゅっと拳を握った。
胸を張って。
そのままの私でいいとレオンは言ってくれたじゃない。
顔を上げて、恥じることなど何もないわ……!
そう自分に言い聞かすも、レオンとオスカーの舌打ちが聞こえ、母に至っては目が死んでいて、今にも剣を抜きそうだ。
「聞こえよがしになんて事を……」
「姉上を侮辱するなど……」
「レオン、オスカーいいです…気にしてませんから」
彼らが、令嬢達に何か言いたそうにするのを目線で止める。
「ティツィ、いい訳がな……!」
「ちょっと!」
その時思わぬ声が響き渡る。
「リリアン様⁉︎」
「そこの御令嬢がた、言いたいことがあるならはっきりおっしゃっていただけます?」
「レグルス公爵令嬢様……」
リリアン様の一睨みで、ギョッとしたように一歩下がる令嬢たちが一瞬怯んだのが分かる。
「お姉様がなぜお兄様に選ばれたか分からないですって? 分からないから貴方達はお兄様の目にも止まらないのよ」
「なっ……!」
令嬢達は明らかに怒りと羞恥で顔を赤くしている。
「私だって、こんなに素敵な方にお会いしたことなんて無いわ。お兄様がお姉様を好きになる理由がよくわかるもの。僻むしかできない女性は黙ってていただけるかしら」
」
「リリアン様。いいんです」
「よくありません! 私の大事な人をバカにされて黙ってるなんて出来ませんわ」
「リリアン様……。ありがとうございます」
「リリアンに先を越されたな」
そう私の後ろから、レオンが言うとリリアン様が頬を膨らます。
「お兄様、お姉様はもう家族ですもの! お姉様がいつも私を守ってくださるように、私だってお姉様に悪意を向ける人から守りたいですわ!」
「そうだな、リリアン。私もそう思う。ティツィの価値のわからない連中とは会話するにも取引するにも値しない……」
レオンはそう言いながら私の指輪に触れつつも、目の冷ややかさが増していく。
「あの……レオン?」
「セルシオ…先ほどの連中の家門を調べておけ。今後の関係を見直したいからな」
「甘いぞ、レグルスの小僧。家門ごと取り潰してしまえ」
「それも視野に入れてますよ」
母とレオンがそんな会話をしながら彼らのいた方を一睨みすると、蜘蛛の子を散らすように、彼らは去っていった。




