開いた扉
「それで、レグルス騎士団を派遣したのか?」
王国騎士団で何の成果も報告も上がらないまま、深夜、屋敷に帰るとティツィが私たちの部屋の間にある『例の扉』を開けて待っていた。
何でも、ミミを探そうと身体強化した時、聞こえたのがリトリアーノ語で話す男たちの会話で、内容があまりに気になったそうだ。
「はい、数名に覆面調査をお願いしました。人選も、私の方でお願いしたのですが……。本当に私がレグルス騎士団の団員の方を勝手に動かして良かったんでしょうか?」
「当然だ。その旨はレグルス騎士団にも伝えていたし、実際誰も文句は言わなかっただろう?」
「……はい」
「それで、何か報告は上がった?」
「ええ、これを見てください。王都のここにある雑貨屋に外国人が多く――……」
数枚の資料を見ながら説明をしてくれるティツィの目が生気を取り戻していた。
今朝、顔を見た時は結婚式の直後より酷いものではなかったが、それでも当然普段のティツィでは無かった。
今日も、ずっとあのビリビリに破れたウェディングドレスで立っていた時のティツィの顔が頭から離れなかった。
昨日、彼女が新婦控え室を飛び出したと聞いた瞬間言い知れない恐怖に襲われた。
狼煙の上がった森へ駆けつけ、倒れたフェンリルの側に立っていた彼女を見た瞬間、ティツィの無事に安堵すると同時に、私に気づいた彼女の表情に胸が張り裂けそうだっった。
私と目があった瞬間は、それこそ涙を堪えるティツィに、……自分を律する彼女の噛み締めた唇を解いてやりたかった。
戦いが終わったにも関わらず、手が白くなる程に剣を握りしめていた手も。
けれど、彼女の目がそれを許すことなどなく、視線すら合わなくなった。
ただ、淡々と現場の調査と今後の段取りを確認し、フィローラ皇女の聞き取りすら落ち着いて聞いていた彼女にかける言葉など無かった。
あったのは、自分への落胆だ。
もっと警備の強化をしていたならこんなことにはならなかったかもしれない。
早い段階で不審な人物を確保できていたなら、式に何の影響もなかったかもしれない。
彼女だけに戦わせた自分が情けなかった。
この半年、公爵夫人になるべく自分のできる限りを学び、努力するティツィの姿を毎日見てきた。
彼女が何のために頑張ってくれていたのか知らない訳がない。
『レオンの為にふさわしくなりたい』
彼女が屋敷に来てからの間、ずっと耳に住み着いた言葉が何度も反芻した。
ふさわしくない訳が無い。
――私の方がティツィの側に堂々と立つ為にもふさわしくなりたい。
そう思ってきたこの想いが報われ、彼女が誰のものか明言できる日だったはずなのに……。
「――……オン! レオン! 聞いてますか⁉︎」
下から覗き込むようにティツィが声をかけてきて、はっとする。
「あ、ええと? その王都の雑貨屋が何だったっけ……?」
「……その話はもう終わりましたよ。今は昨日のマジックボックスで気になる点があるって話してたんですけど……。働きすぎで疲れてるんじゃないですか? 朝早くから出て、こんな時間まで働いて……」
眉間に皺を寄せてそんな事を言うティツィが可愛くて思わず口元が緩んだ。
「レオン……私何も面白いこと言ってませんけど?」
「ごめんごめん、……ただ、いつまでここで立ったままで話するのかなって」
「ここって……」
そう言ってティツィが足元を見つめた。
ドアよりもこちら側に入る事はなく、その徹底ぶりに思わずまた笑ってしまった。
「こっちに入ってきたら?」
「いえ、……そういう訳には……」
「でも私は疲れて座りたいんだ」
困るティツィが可愛くて思わずイタズラ心が首をもたげた。
「で、では。そちらのソファで座ってて下さい。資料の内容も覚えてるから、ここで報告します」
部屋の中心にあるソファを指差したティツィの指示に従ってソファに座る。
「で、続きですが――」
「え? 何? 聞こえない」
本当は聞こえているのに態と聞こえないふりをするをしてみた。
「私は聞こえます!」
「そりゃ君はね」
「……っ!」
思わず声を張り上げようとした彼女に見えるよう、自分の口元にそっと指を立てる。
「しっ……。上にいるミミと、ネロが起きちゃうよ?」
「ど、どうしろって言うんですか!」
その真面目な彼女の様子が可愛くて、可愛くて、王家の森の調査から得られなかった事も、アストローゼ公爵以外ウィリア帝国の連中が非協力的だったことに苛立ちを覚えた事もどこかに飛んで行く。
。
「私が君の部屋に行ってもいんだが、君の香に満ちた部屋では理性が持たないから、ティツィがこちらにきてくれると嬉しいんだけど」
そう言うと、ティツィが息を呑むのが分かる。
もう一度、彼女の立っているドアのまで行き、入り口にもたれるように立った。
「あ、元気ならここ……」
「元気じゃない」
食い気味に言うと、ティツィが困ったように眉間に皺を寄せながらも赤く染まる。
「もうここは開けてしまったんだし、良いんじゃないか?……何も取って食おうとはしないから」
「……」
「ティツィ?」
ティツィは、しばらく思案した後、一度私の背中越しに部屋の様子をチラリと見てから、意を決したように小さく呟いた。
「で、では……、お邪魔します」
初めて戦場に向かう騎士のような力の入りように笑いが込み上げる。
「はは、どうぞ」
と言ってソファを促した。
彼女が腰掛けた姿にこちらが一瞬怯んだ。
「レオン?」
「いや、何でも……」
彼女が自分の部屋にいるという現実に、自分が思っていた以上の衝撃を受ける。
『取って食おうとはしない』と言った手前、これは話に集中しないと嘘つきになってしまいそうだと思いながら、意を決して資料を手にとった。
「――よくここまで調べられたな」
リトリアーノの手の者が忍び込んでいるというのはわかっていても、すでに場所の特定をしているとは思わなかった。
「ありがとうございます。優秀な騎士団の方が揃っていて、頼もしかったです」
「いや、君の人選と人の使い方が、すごいよ」
「あ、ありがとうございます。それで、お願いがあるのですが、この店の作りだときっと抜け道がありそうな感じがするんです。なので人を変えて調査するのと、それを想定した突入の際の訓練をお願いしたくて」
「……それは、君に任せても良いかな?」
「え?」
「ティツィ。君は今まで培ったものをレグルス騎士団に残す気はない?」
ぴたりと固まったティツィの目がゆっくりこちらに向けられる。
「どういう意味ですか?」
「君がこの半年公爵夫人として頑張ろうとしてくれてたのは知っている。それは心から純粋にとても嬉しかった」
「……はい」
「でも、君がサリエ殿に認められる為にと頑張ってきたモノを全て捨てて欲しい訳じゃない。十数年に及ぶ長い努力も、経験も、今の君を作って来たものだ」
そう言って見開かれたチョコレート色の目を覗き込む。
「騎士団には魔力が弱いからと悩む連中も多い中、君が魔力の高い騎士達を倒してきたのは彼らにとって希望の光だ。……正直私では魔力の弱いものの練習相手になることはできても、上手い使い方と言うのはうまく伝えられないと思っている。強い連中だって君の存在が訓練のいい刺激になっている」
「ええと……。つまり、どう言う事でしょうか?」
「私の不在時だけ関わるのではなく、『教官』や『指導役』という立場で軍に所属するのはどうだろうか?」
「そんな……大事な所に関わってもいいんですか?」
「むしろ、関わってほしい。君の持っているものが、育ててきたものが、レグルス家にとって、何より私にとって支えに、力になるから。おとなしい公爵夫人なんてほしいと思った事はない。ティツィらしい、公爵夫人になってほしい」
そう言って、彼女の体を抱きしめると、ティツィは私の背中に手を回し、ぎゅっとシャツを握りしめた。
「でも、君を前線には出さない。……これは、私のわがままだ」
そう言って、彼女を抱きしめる腕に力を込める。
「ありがとう……ございます」
彼女の伸びてきた柔らかな髪を弄びながら、頭にキスを落とす。
「だから、あの本はもう捨ててしまえばいい」
「え⁉︎」
バッと顔を上げた彼女に思わず意地悪な笑みを浮かべてしまう。
「ほら、『愛される女になる秘訣十五選』……?いや違うな『男を虜にする十五の技』だったかな?」
「ど、どっちも違いますよ!」
「でも、これ以上君に僕の心を虜にされると日常生活に支障が……いや、もう手遅れかな」
「何言ってるんですか‼︎ いつもそうやって余裕な……!」
「余裕? そんなもの君に会ってから感じたことなんてないと言っただろう……。ベッドサイドの横に置いてある本が何か分かるかい?」
「本……?」
そう呟いた彼女がベッドの横に置いてあるサイドテーブルを見やすいように腕を緩め、体を後ろにずらした。
「あ!」
目を見開いた彼女が、私の腕からするりと抜け、サイドテーブルに近づいて本を手に取った。
「『竜と英雄』……。レオンも読んでたんですか⁉︎」
「いや、その本が発売された時いくつだったと思う? 冒険譚を読むような歳じゃなかったからね」
ティツィの背後から手にあった本を取り、パラパラとページを捲る。
「ここだね。君とアストローゼ公爵が話していたブラックボアの料理は、それからここと、ここと、ここも君たちの盛り上がっていたところだね……」
「レオン?」
「あの時、私がどんな気持ちだったかなんて分からないだろう?」
そう言うとティツィはこちらを見上げてきょとんとした。
「私の知らない共通の話題で、楽しそうに会話する二人を見てどんな気持ちだったか。『ボレイ書店』でいの一番に探したよ」
「……まさか、ヤキモチ妬いていたんですか……」
「今後、君とこの本で盛り上がる男が出ないよう全て回収して燃やしてしまおうかと思うくらいにはね」
『あれだけの事で?』と呟いた、彼女の頬を撫でる。
あの、美しい銀の髪に人懐っこい性格。
整った顔立ちに穏やかな雰囲気のアストローゼ公爵は今国中の令嬢の憧れの的だ。
そんな男が彼女の側にいて、私の知らない話題で、彼女を楽しませる様を見せつけられて不愉快でないわけが無い。
『男を虜にする技十五選』だか『愛される女になる秘訣』だか何だか知らないが、これ以上他の男が寄ってくるのは我慢ならない。
彼女にそんな物は必要ないし、彼女の魅力を知っているのは私だけでいい。
「しかも、あのフェンリルから君を助けたのはカミラ皇子だって言うじゃないか。……感謝するべきなんだが不快だった」
「え⁉︎ カミラ皇子ですよ⁉︎」
「ヤツはいつだって君を連れて帰ろうと虎視眈々と狙っているからな」
そう言うと、ティツィはポカンと口を開けて固まった。
そのあまりに無防備な姿に、愛しさと、葛藤、憎らしさすら込み上げてくる。
「君に足りないのは、公爵夫人としての自覚じゃなくて、自分の魅力を知らないところだな」
そう言って、彼女の耳にあるダークブルーのピアスにキスを落とす。
「レ、レオン……」
そのまま、頬から唇にキスを落としていく。
「君が……君の心が誰のものなのか、早く見せつけてやりたいよ」
このまま目の前にあるベッドに彼女を押し倒したくなる衝動が込み上げてくるも、何とか抑える。
彼女の香りに包まれて眠れたらどんなに幸せだろうか。
ひょいとティツィの体を横抱きに持ち上げると、「わっ!」と小さく悲鳴が上がり、彼女は視線をベッド注いだかと思うと硬直した。
固まった状態の彼女を開いたままの扉に連れて行き、『向こう側』に下ろす。
「あ、あの?」
「これ以上は、私の理性が焼き切れそうだから……。おやすみ、ティツィ」
「おやすみ……なさい」
そう顔を真っ赤にするティツィの額にキスを落としす。
「……明日の狩猟大会は、無理をしないでくれよ?」
「も、ちろんです。中級エリアで楽しんできます」
俯いた彼女にまだ触れていたいと思いながらも、もう一度『おやすみ』と言って扉を閉め、深いため息をついた。




