上手く行かない結婚式 3
王宮に用意された三階にある新婦控え室に戻るまで、いくつかの中庭や渡り廊下を抜けなければいけないが、人気の多いところで、式の参列者や多くの人が行き交う場所であるため、すれ違う人は私を見て驚愕の表情を隠さなかった。
誰もいない廊下を歩き始めたところでリタが声をかけた。
「……大丈夫ですか? お嬢様」
「ええ、傷は魔石で治癒してもらったし、体調も悪くはないわ」
「その、そうではなくて……」
口ごもるリタに笑顔を向けると、リタが目一杯に涙を溜めた。
「なんで貴方が泣くのよ……」
「お嬢様が泣かないからですよ!」
「泣くか、怒るかどっちかにしてよ……」
そう言いながらも、涙を堪えるのに必死だった。
「すぐに、参戦できず。申し訳ありません……」
「違うわ。貴方がいたから全員助かったのよ」
リタと共闘したら、フェンリルに勝てる見込みもあったかもしれない。
けれど、そんなことをしていたらあの侍女達は死んでいただろう。
どちらが正しかったかなんて分からないけれど、結果として誰も命を落とさなかったのだから、これで良かったのだ。
惨めだなんて思うことじゃない。
結婚式と、人の命を比べること自体が間違っている。
俯いた視線の先には、血と泥に塗れ、裂かれたドレス。
真珠のネックレスも一部が切れ、白金の飾りの部分も大きく歪んでいた。
「すべて、無駄だったわね……」
ぽつりとこぼれた言葉は誰も拾わない。
この半年、かけてきた時間も、レオンがこの日のために一つ一つ選んで用意してくれたすべてが、もう使いものにならない。
「お嬢様……」
「さっさと着替えて話し合いの場に行きましょう。休んでいる時間なんてないわ」
そう言って、部屋に戻ると、リタも私も一言も発することなく、着て来たドレスに着替えていると、使いの者が皇女殿下の待つ部屋まで案内してくれた。
関係者全員と、ウィリア帝国の使節団の中から高官、ベルモンド財務大臣にイレビ外務大臣とアストローゼ公爵の三名、そしてアッシュ殿下が揃ったところで、聞き取りが始まった。
この案件に関しては、騎士団長であるレオンが指揮を取ることとなった。
「――それで、来るように言われた場所に向かっている最中にフェンリルが現れたんです」
「その、脅迫状を見せていただいてもよろしいですか?」
「それが、先ほどの騒ぎの中でどこかに落としてしまったみたいで。でも、その前に届いた脅迫状は先ほど部屋に戻った時に取ってまいりました」
そう言って、彼女は自分の侍女にその手紙を出すように言い、レオンに手渡す。
「……。なるほど。これは尋常ではありませんね」
十数枚に及ぶ手紙は、赤い文字で殴り書きされ、とても皇女が目にするべきでないような言葉が並んでいた。
事業から手を引くこと、今回の訪問を早々に切り上げること。
内容批判に女性蔑視の言葉が書き連ねてある。
「皇女殿下! なぜ我々に話してくれなかったのです!」
恰幅のいいウィリア帝国のベルモンド財務大臣が叫んだ。
「何故って、毎日送られてくるこの手紙が誰からも分からないのに。……貴方だって、私の事業に反対している一人じゃない。どこに、誰の手があるかも分からないのに気軽に言えないわ」
そのひんやりした言い方に、財務大臣が言葉に詰まる。
「わ、我々が殿下の暗殺を企てたとでも仰るのですか⁉︎ 国のために、……貴方のわがままに振り回されているというのに。貴方の事業よりも優先すべき案件…!」
「ベルモンド財務大臣殿。お話が逸れていらっしゃいますよ」
アッシュ王子のにこりと笑って言った言葉に、財務大臣は口を噤み、ニコラス公爵は「まぁまぁ」と、彼を宥めている。
「と、とにかく。この襲撃事件の犯人をきちんと突き止めて頂きたい!」
ベルモンド大臣はそう言って、レオンに向き直る。
「万が一殿下に何かあったら、この国の責任ですからね」
「全く、陛下も開国だ何だというからこんな問題が……」
イレビ外務大臣までもが文句を言う始末で、アストローゼ公爵は無言でフィローラ皇女の背中をポンポンと優しく励ましていた。
「それよりも、ティツィアーノ嬢はなぜあそこにいらっしゃったのですか? あんな森の奥に殿下が襲われるのを式場の控え室から見えるとも思いませんし、むしろ私としては貴方が疑わしい」
「イレビ外務大臣のいう通りです。むしろ、自作自演ではありませんか? 今我々がエリデンブルクと交渉している関税に関する事を有利に運ぶために、皇女の救出という出し物を行ったのでは? 貴方は何でも前皇太子の婚約者だったそうではありませんか。そして今は国王陛下の甥が婚約者であれば、王家の為に……っ」
その時、レオンの射殺さんほどの視線に気づいたベルモンド大臣が口を閉じる。
「私の婚約者がそんなことをして何になると言うのです。ましてや自分の結婚式に」
「そんなの私の知ったことではありませんよ! ただ疑わしいと言っているだけです」
「言葉はお選びになられた方がいいでしょう」
「レグルス公爵殿も、万が一の時は覚悟された方がよろしいですぞ?」
「どういう意味ですか?」
「皇帝陛下はフィローラ皇女を大変可愛がっておられる。万が一にでも殿下に何かあったら戦争になるやもしれないということです。ましてや魔物の餌になったなどとお耳に入ればどんなお気持ちになられるやら」
わざとらしい演技をしながら言う財務大臣のその顔面をめり込ませたくなるほどだ。
「フィローラ皇女。ご帰国までお部屋で大人しくされていらした方がよろしいのでは? 事業の宣伝で動き回っている場合ではございませんよ」
「イレビ大臣、私に、脅しに屈しろと言うの⁉︎」
「ですが、もし殿下のおっしゃる通りこの国にご迷惑をかけたくないと言うのであれば、何もしないのが一番ですよ」
「……っ!」
その言葉にフィローラ皇女が一瞬怯み、反論の言葉を飲み込んだのが分かる。
フィローラ皇女が黙ったのに満足したのか大臣たちは、やれやれと席を立ち、他の国の要人方と約束があると言って部屋を出て行った。
「フィローラ……」
拳を握りしめる殿下にアストローゼ公爵が気遣うように声をかける。
「ところで、ウィリアのお姫様は『これ』が何か知ってる?」
そう言って、カミラ皇子が先ほど拾った、手のひらに乗るほどの壊れた木箱をフィローラ皇女に見せる。
「いいえ。知らないわ」
「さっき君がいたところに落ちていたんだけど。気づかなかった?」
「ええ、……綺麗な石がついているけれど。宝石箱?」
「ティツィアーノ。これの石が何か分かるかい?」
カミラ皇子はその木箱を私に手渡すと、私に見せる。
それを手に取った瞬間、まさかと目を見張った。
その木箱から香る匂いに、覚えのある香りと、フェンリルの匂いが入り混じっており、細工された木箱の蓋の中心には二つの真っ赤
な魔石。
「この箱……。あ、いいえ、この魔石はフェンリルの魔石?」
「ご名答」
「まさか……マジックアイテム?」
そう呟いたフィローラ皇女の言葉にカミラ皇子はクスリと笑う。
「そう、このマジックボックスに、魔物を閉じ込めていたんだよ」
私も、先日カミラ皇子に聞くまでは、そんなマジックアイテムは見たことも聞いたことも無かった。
もしも本当にそんな物ができてしまったなら。
突然、何の前触れもなく、巨大で大きな魔物が、竜種が現れたならどうなるか。何の対策もしていなければあっという間に町は死んでしまうだろう。
以前、モンテーノとカミラ皇子が手を組んでレグルス領に魔物を持ち込んだ事件があってから、荷物の中身の確認強化が徹底されている。
けれど、一人でポケットに数個のこのマジックボックスを持ち込まれようものなら、防ぎ切ることは不可能に近い。
「けれど、このマジックボックスには致命的な欠陥がある」
「欠陥ですか……?」
アストローゼ公爵が呟くと、カミラ皇子はにこりと頷いた。
「そう、閉じ込める魔物の同等以上の魔石が必要となること。だが、永久的じゃない。突然開くんだ。魔物と魔石の格差があれば長時間開かないが、格差が少なければ開くのも早い。それで、魔石をいくつも着けてみたりしたものもあるけれど、費用がかかりすぎる上に、上級魔物の確保にも人員も費用も時間もかかる。蓋を開ければ吸い込まれるなんてものじゃないからね」
「カミラ殿下はお詳しいのね」
フィローラ皇女の言葉に、カミラ皇子は満面の笑みを浮かべた。
「リトリアーノで開発した物だからね」
「本っ当に貴様の国は碌なことをせんな」
「サリエ殿、ひどいなぁ。……まぁ、いいや。で、このマジックボックスは試作品を作ったものの、どれも上手くいかず計画は頓挫していた。壊れず残っていたのが三つだけ。それをうちの第二王子が色々あって、持ち出したみたいなんだよ」
「何だ、色々って」
眉間に皺を寄せた母が不愉快そうに尋ねた。
「色々って言ったら色々だよ。……まぁどこの国にもあるお家事情だよ。僕がこの国に来たのは立太式やモンテーノのこともだけど、これの行方も追ってきたんだ」
ため息をつきながらコトンと机にマジックボックスを置いた。
「話は戻るけど、先ほどのフェンリルを閉じ込めたマジックボックスは突然開いたんだと思う。この内側から壊されたような形状は何度も見たことがあるから間違いない」
「本当に厄介なものを持ち込んでくれたな……」
「僕の調べたところによると、マジックボックスは全てこの国にあるみたいなんだ。ただ、持ち主は特定出来て居ないし今回の騒動に関して、正直予想外だ。狙われているのは僕だけだと思っていたからね」
「警備の見直しが必要だな」
レオンが深いため息と共にそう言うと、カミラ皇子は肩をすくめて「なんかゴメンねー」と全員をイラつかせた。




