淑女の鑑
サロンの入り口からふわりと香る甘やかな香りと共に入って来た女性に目を奪われた。
彼女が間違いなく『フィローラ皇女』だ。
噂に違わぬ美貌に、思わず息を呑む。
いや、噂以上だ。
発光しているかと思わずにはいられない銀の髪は月の光を集めたようで、透き通る程の白い肌は毛穴ひとつ見当たらない。
薄紫の瞳はアメジストのように煌めき、うっすらと開かれた唇は目が吸い寄せられ、女性ですら見惚れることは間違い無いだろう。
そうして彼女の着ているドレスはエリデンブルクでの流行ものと異なり、胸下から切り替えられ、ゆったりと流れ落ちる生地は彼女の儚さと幻想的な美しさを引き立てていた。
まるで、女神のようだ。
「ライラ様。ご招待ありがとうございます」
その声さえも、透き通っている。
一つ一つの仕草が優雅で、その指先の動きまでも目を奪われた。
「フィローラ皇女、よく来てくださったわね。紹介するわ。ええと……レオンは面識があるわね。こちらが息子の婚約者のティツィアーノ=サルヴィリオ嬢よ」
「ご無沙汰しております。フィローラ皇女殿下」
「初めまして。ティツィアーノ=サルヴィリオと申します」
ライラ様の挨拶に始まり、レオンの挨拶に面識があったのかと少し驚いた。
「レオン様、お久しぶりですわね。お元気そうで何よりですわ。最後に会った時とお変わりないようで」
女神が微笑んだ美しさのなんたることか。
優雅な微笑み方から、首の傾け具合まで完璧な仕上がりだ。
「皇女殿下におかれましても、二年前と変わらぬお美しさで」
そう言って、レオンが微笑んだことに驚いた。
彼が、こんなふうに他の女性に微笑んだことなんて見たことがない。
いや、そもそも彼が令嬢方と話しているところすらほとんど見たことがなかった事に気づいた。
「相変わらず女性を持ち上げるのがお上手ね」
フィローラ殿下の言葉に、思わず耳を疑う。
レオンが『女性を持ち上げるのが上手』?
その言葉に感触といいしれない不安が込み上げた。
レオンはとても優しいけれど、他の女性を持ち上げるような言動はあまりしない……はずだ。
「初めまして。フィローラ=ウィリアよ。貴方がサルヴィリオ伯爵令嬢ね。この度のご結婚おめでとうございます」
にこりと向けられたその笑顔の前に向けられた視線に、一瞬で私の品定めをされた事に気づく。
「ありがとうございます」
「私、お二人の結婚祝いにご用意したものがありますの」
そう言って後ろに控えていた侍女が彼女の身の丈半分ほどの大きさに、厚みが手のひらほどの箱を私に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
「どうぞ、開けてみて」
花のように微笑んだフィローラ皇女の言葉に箱を開けると。
正方形の額縁いっぱいに広がった刺繍に目を奪われた。
外に広がるように施された繊細な紋様の刺繍。その中心にはレグルス家の家紋。
レグルス家の獅子も陰影を施された見事な刺繍にその場にいた全員が息を飲んだ。
「これはすごいな」
「貴方達の結婚と聞いて私が刺しましたの。気に入っていただけると嬉しいわ」
レオンの感嘆にさらに柔らかな表情で微笑むフィローラ皇女に、誰もが心を奪われている事だろう。
アントニオ元王子の側にいたマリエンヌのそれとは全く異なるもので、媚びるような目でもなく、自分の美しい体つきを見せつけるわけでもなく……。
そこにある雰囲気が美しい。
そのフィローラ皇女の心が誰に向いているかなんて、一目瞭然だ。
「私が先日ウィリア帝国にお邪魔した際に殿下がお茶会を催して下さった時も、お土産に素敵な刺繍のハンカチをいただきましたものね」
「まぁ、ライラ様にお褒めいただき光栄ですわ」
「これを殿下が全てお作りになられたのですか?」
「レオン様の、レグルス家の繁栄を願って。時間はかかりましたが、満足のいくものができましたわ」
そんなレオンと皇女の会話を聞きながら、急に自分の胸元にあるタッセルの存在を強く感じた。
テトに『ギリ四本足の何か』と言われたタッセルの刺繍は、元々人前に出すのも嫌ではあったけれども、今はどこか別の遠い場所に隠してしまいたいほどの衝動に駆られる。
そもそも、タッセルを胸元に仕舞っていたのは、『レオンに憧れている』と思われるのが気恥ずかしかったからだ。
今は、自分の不器用さがただただ恥ずかしくて、誰も私に『刺繍』について触れないでと怯えるように願う。
「フィローラ、僕はいつ紹介してもらえるんだい?」
「ニコラス」
不意にフィローラ皇女の後ろから、困ったように微笑みながら男性が声をかけた。
皇女の横に並んだ男性は、フィローラ皇女と同じ銀髪に紫の瞳。
整いすぎた顔立ちと醸し出す雰囲気は血縁者に間違いない。
「君の力作で盛り上がっているところ悪いんだけど、僕もご挨拶したくてうずうずしてるんだ」
「あら、ごめんなさい。貴方を放っておいたつもりは無かったんだけれど。皆様、私の連れを紹介させてくださいませ。彼はニコラス=フォン=アストローゼ。今回使節団の一員として一緒に参りました、私の従兄弟です」
『フォン』は王家に連なる者うを意味し、アストローゼ家と言えば、ウィリア帝国の筆頭公爵家だ。
「ニコラスは昔から竜や魔物の出てくる冒険物語が大好きで、エリデンブルクに来るのを楽しみにしていたの。我がウィリア帝国に魔物はあまりいないから。皆さん仲良くしてくれると嬉しいわ」
今回は他に同行している外交官や、財務大臣など数人いるそうだが、今日は個人的な事なので、アストローゼ公爵と、数人の侍女だけ連れて来たそうだ。
人好きのする笑顔で自己紹介をしたアストローゼ公爵はきっとエリデンブルクの女性が熱狂することは間違いないだろう。
「初めまして、アストローゼ公爵様。ティツィアーノ=サルヴィリオです。是非エリデンブルクを楽しんで行ってください」
「ありがとうございます。……貴方があの有名なサリエ=サルヴィリオ殿の御息女ですね。お噂は予々。あの魔の森に隣接する国境警備の騎士団団長をされていらっしゃると聞いて、屈強な女性を想像しておりましたが……、こんなに可愛らしい方だなんて想像もしませんでした。お会いできるのを楽しみにしていたんですよ」
柔らかな表情で他人からの『可愛らしい』という慣れない言葉に一瞬躊躇う。
こんな綺麗な顔立ちの人に、眩しい顔面をお持ちの人達が揃っているこの場で言われても萎縮しかできない。
「とんでもございません。ところで、アストローゼ公爵様は魔物にご関心があるとの事ですが……」
「ええ! 少年時代に読んだ『竜と勇者』という冒険譚がありまして、毎日母や乳母に寝物語として読んでもらったものです! あの
ハラハラドキドキの戦いに、最後に出て来る白龍との邂逅。勇者と心惹かれ合う王女との恋愛模様から、勇者の厳しい生い立ちと、描かれる全て、一言一句暗唱できるほどです!」
「まさかあの『竜と勇者』ですか? エリデンブルクにもありますが、同じものでしょうか? 私も幼い頃よく読んでいました!」
「ええ、恐らく、エリデンブルクの本を翻訳したものだと思います。勇者の名前は『アレクサンダー』ですよね。僕は九歳で初めて読んだのですが、あの時の感動が忘れられません」
「当時私は七つだったと思うのですが、ボロボロになるまで何度も読んでいました」
話題を変えようと思って切り出したのだが、懐かしい共通の話題に思わず下がっていたテンションも上がった。
本が発売されたのが、丁度アントニオ王子との婚約前だったのを覚えている。
出てくる勇者というのが、黒髪で、クールな印象を持つ彼に何度レオンを重ねたか分からない。
思いがけない『愛読書』に、自然と会話も盛り上がる。
「ところでティツィアーノ嬢は魔物討伐にも行かれると伺いましたが、あの本に出てくる『ブラックボア』の料理は実際召し上がるものなのですか? 美味しいですか?」
「ええ、実際捕えた場合は魔石を取り出した後に食材にすることは多々あります。栄養価も高いですし、携帯食や保存食を少しでも持たせるためにも。実際騎士団員はブラックボアを見ると、みんな率先して狩に行こうとしますから」
みんなと討伐したあの頃を思い出し、ふふ、と自然と笑みが溢れる。
「ここにいる、騎士も一人で一頭平げたこともあるんですよ。私の侍女も遠征時は同行していたので、『ボア料理』は好きでしたよ」
そう言ってテトをリタを紹介すると二人が挨拶をする。
「お嬢様はお料理がとてもお上手なんです」
「え?」
何? 急に。
にこりと言ったリタの言葉に思わず驚く。
「あぁ、遠征でお嬢に作ってもらった『ブラックボアの煮込み』は最高でしたね」
「本当に美味しかったわねぇ」
しみじみという二人に、変な回想話を出さないでと言いたくなる。
「たまたま魔の森で採れた食材があったから作っただけよ。そもそもあの食材……」
「ティツィアーノ嬢が自らお料理をなさるのですか? 騎士達でなく?」
「アストローゼ公爵様、料理と呼べるようなものではありませんよ。本当にぶつ切りにして煮込んだだけなので」
「ぶつ切り……」
小さく呟いたフィローラ皇女の呟きを拾い、ちらりと彼女に視線をやると、信じられないものを見ているかのような冷ややかな視線が送られていた。
「一度サルヴィリオ伯爵令嬢の手料理を頂きたいですものですね」
「私も是非頂きたいわ」
アストローゼ公爵の言葉に同意してフィローラ皇女が笑顔で言うが、目が全く笑っていない。
絶対食べたいなんて思ってませんよね⁉︎
「お二方、食べる価値はありますよ! あの時お嬢は僕ら騎士団員のために一生懸命ブラックボアの煮込みに使う食材を探してくれたんです」
「テト!」
「部下のためにそんなことまでされるなんて素晴らしいですね」
「そうなんです。お嬢は煮込みのクオリティを格段に上げるモリュ…んぐ」
それ以上余計な事を言わせないために、思わずテトの口を塞いだ。
「あはは、とても公爵様や皇女殿下がお口にされるようなものではありません」
「料理上手な女性はいいですよね」
煮込み料理に必要な、地中に埋まっているモリュフというキノコを探すために、地面をクンクン嗅いでいたなんて知られたくなく、令嬢らしからぬ滑稽なシーンを思い出し思わず赤面してしまった。
ニコリと笑うアストローゼ公爵様の言葉に「た、たまたまい良い食材が手に入ったんです」と苦笑いするしか無い。
フィローラ皇女は美しすぎる刺繍のタペストリー。
かたや私は王太子妃教育を受けていたにも関わらず、出てきた話題は魔物駆除で捕えた猪の魔物のぶつ切り煮込み。
同じ会話の中に入れるのも烏滸がましいほどで、羞恥に顔が赤くなる。
「私はお料理ができないから羨ましいわ。刺繍するぐらいしか趣味がないというのは恥ずかしいものね。是非こちらにお邪魔している間にいただきたいものだわ」
「機会があれば、是非……」
適当に会話を濁そうとすると、後ろから小さな囁きを拾った。
「ティツィの……手料理……?」
ひんやりとしたレオンの声色に思わず振り向く。
この話を切りたいのに、変なところに食いつかないでと叫びたくなる。
「テト、貴様は何度食べたんだ?」
「え? な、何すか? お嬢の料理? 言っときますけど食べたの俺だけじゃないっすよ? そんなに睨まないで下さいよ!」
レオンがテトを凄んでいると、軽やかな笑みが聞こえた。
「ふふ。レオン様、お話中申し訳ないのですけど、私今から商談がありますので、ここで失礼いたしますわね」
「フィローラ皇女。商談とは、以前お話しされていたあれですか?」
テトに向けていた謎の威圧が消え、少し驚いたようにレオンが言った。
「ええ、以前レオン様にご相談に乗っていただいた件のアレです。最近ようやく軌道に乗って参りましたので、エリデンブルクでも少しずつ始めようかと思いまして」
「そうですか! 何かお困りの事がありましたら是非ご相談ください。私の母も力になると思いますし」
「ええ、ありがとうございます。お言葉に甘えて、その時は是非ご相談させていただきますわ」
そういって、フィローラ皇女は私に眩い笑顔を向ける。
「では、ティツィアーノ嬢。ご機嫌よう」
彼女は甘やかな香りを公爵邸に残し、去っていた




