オスカーとリリアン
「オスカー様、助けていただきありがとうございました」
目的のカフェに着くと、テトやセルシオさん、騎士団員に抑え込まれた数人の男たちが放せと喚いており、その横で剣を抜いたオスカーにリリアン様が礼を言った。
「いいえ、……ご令嬢。あの場で当然の事をしたまでです」
見たこともない、少し強張った顔と、ひんやりとした言い方をしたオスカーに思わずギョッとする。
あの可愛らしいオスカーが……しかも名前を知っているはずのリリアン様を御令嬢と呼ぶなんて。
「お嬢」
「テト、何があったの?」
押さえ込んでいた男たちを騎士団員に任せ、テトがこちらに走ってくる。
それと同時に、レオンは、ウォルアン様達の無事を確認しに行ってくると、セルシオさんのところに行った。
「それが、貴族を見て金目の物を狙ったのか、リリアン様達に急に襲いかかってきた集団がいて。一般人みたいなんで、誰も怪我せず簡単に抑え込めたんすけど……」
そう言ってテトは気まずそうに、チラリとリリアン様とオスカーの方に視線をやる。
何があったのだろうか。
「オスカーがリリアン様を守ったの?」
「あ、そうっすね。オスカー様も戦われました。まぁ、戦うと表現するほどの物ではないのですが、オスカー様は剣を使うこともなくさらっと倒しちゃったんで」
「あの子も、成長したのね……で、オスカーは、恥ずかしがってるのかしら」
リリアン様とオスカーの異様な雰囲気に割って入る事などできず、思わず遠目に見守ってしまう。
「いや……、何ていうか。そうじゃないと思うんすけど……」
来客されるご婦人、ご令嬢に対していつも柔らかい対応をしているオスカーを見ていたので、ちょっと予想外過ぎてびっくりしてしまった。
先程レオンに対しての様子とはかけ離れ、ひんやりとした空気を漂わせている。
「……あの! 馬車に乗った時から私の事を避けていらっしゃるようですが、わたくし何か貴方を御不快にさせる事をしましたか⁉︎」
リリアン様が意を決したようにキュッとオスカーを見て言った。
「いいえ、『僕』には何も」
オスカーが言った一言にリリアン様がビクリと体をすくませる。
「オスカー、どうかした?」
そのやり取りが少し心配になって声をかけると、オスカーは少し傷ついた顔をしてこちらを振り向いた。
「いいえ、何でもありません、姉上。……馬車の用意をさせてきます」
そう言って周囲に挨拶をすると、オスカーは騎士団員たちの方に去って行った。
「何があったのかしら……」
「まぁ、多分あれっすよ。お嬢に言った事、許せてないんじゃ無いっすかね」
「何? 私に言った事って」
「ほら、前の結婚式の時、リリアン様がお嬢の控室に来て言った一言ですよ。俺、あの時初めてオスカー様が怒り狂ってるの見ましたからね」
「えぇ? そんな昔の事? リリアン様が悪いわけじゃないのに。私……オスカーと話をしてくるわ」
「やめた方がいいっすよ。オスカー様だってきっと分かってるんすから」
そう言ったテトの言葉に、結局声をかけられなかった。
「あ、そういえば母上はどこにいらっしゃるのかしら。最近はここの海の魔物の討伐に度々足を運んでいると仰っていたけれど」
「呼んだか?」
背後から覗き込まれるように、私と同じ茶色の髪の毛が視界を塞ぐ。
「母上! ……気づきませんでした」
「はは、ティツィに気づかれないようにするのも訓練になるな」
柔らかく微笑む母にかつてあった眉間の皺はない。
「サリエ殿、お久しぶりです」
戻ってきたレオンが、母に挨拶すると、母もレオンに挨拶を返した。
「母上は今日も海に討伐に来られたのですか?」
「いや、今日はお前が来ると聞いて、渡したいものがあったんだ」
そう言って母が麻袋を取り出した。
「これは?」
「お前が以前公爵に貰った『クラーケンの魔石』だ」
「クラーケンの魔石……ですか? でもこれはサルヴィリオ騎士団にと残して行ったものなのですが」
「お前が貰ったものだろう? ティツィの気持ちは嬉しいが、騎士団に在庫はあるし、この海域にも出没していたようで、最近数匹狩ったから心配ない」
渡された大きな袋を受け取ると、水晶のように、澄んだ良質の魔石が入っていた。
「……ほとんど減っていないな」
横から覗き込んだレオンが意外そうな声を上げる。
「そりゃそうですよ。公爵様に頂いた魔石を無駄に消費しないように、いつも以上にお嬢は入念な事前調査と、団員の対魔物の模擬戦に力を入れていましたからね。おかげで怪我人の数は激減し、騎士団員もより効率的な戦い方ができるようになって……」
「テト!」
「そうか。使ってもらおうと贈ったが……思わぬ効果が出てたんだな」
「大事に使いたかったので……」
テトが余計な事を言うから、正直に白状すると、レオンが嬉しそうに頬を緩めた。
その表情があまりに甘すぎて、当時のレオンから届いた贈り物と手紙を思い出す。
婚約前に贈られてきた沢山の手紙は、赤面するほどの愛を綴られた言葉に本人が書いたものだなんて信じられなかったけれど、今ならわかる。
レオンが私といる時に、折に触れて紡ぐ言葉も、優しい触れ方も、向けられる柔らかな瞳でさえも、彼の愛を感じない訳が無い。
けれど、いつだって受け取るばかりで、何一つ返せていないからこそ、これからは少しでもレオンの支えになれるように、『公爵夫人』として頑張ると決めたのだ。
「あぁ、そうだ。テト。私は一旦国境警備の件で領地の屋敷に戻るが、お前はティツィ達と王都に行っておいてくれ」
「王都のサルヴィリオ邸って事っすか?」
「そうだ。結婚式の後の『狩猟大会』に久々に私も出ようと思うから、準備だけしておいてくれ」
「承知しました」
私たちの結婚式の後はイベントが目白押しで、一ヶ月後の結婚式の後に毎年恒例の王家が主催する『狩猟大会』がある。
更にその後には、アッシュ殿下の立太式が予定されているのだ。
「母上が参加なさるのですか?」
「そうだ。ここ何年も国境警備で参加していなかったからな。なんでも今年の優勝賞品が豪華らしいから、腕が鳴るよ。ティツィは出ないのか?」
「私は式の前ですし、それに今後は公爵夫人としての仕事や立場も考えてそういったことは控えようかと……」
本当は出たいのだけれど、今はそんなことをしている時期ではない。
ただでさえアントニオ王子のせいで『野猿』とまで堕ちた評判を、これ以上堕としてレオンに恥をかかす訳には行かない。
「出ればいいんじゃないか?」
そう言ったレオンの言葉に目を見張った。
「え?」
「今後控えようと思っているのなら、結婚記念に出ればいいよ」
「で、でも」
「そもそも、初級者向けから上級者向けまで区画が分かれていて、年若い令嬢達も参加する催しだからな。私の母上も昔はよく参加されていたぞ?」
「前公爵夫人もですか?」
その時、私の後ろに控えていたリタが私にだけ聞こえる声で囁いた。
「お嬢様、参加しましょう。『アレ』のためにも」
そうだ、『アレ』はどこかで調達するつもりだったけれど、格好のチャンスだ。
「では、お言葉に甘えて、参加させていただきます!」
そう言って、初めての狩猟大会に胸を躍らせたせいか、思った以上の声の大きさで参加表明をしてしまった。




