偉大なる母
「レグルス公爵からの手紙は読んだか?」
サルヴィリオ第二騎士団の副団長と、その副官が彼女の脇を固めた状態で母が言った。
私の後ろにはテトが控えている。
母と会う時は必ず父や騎士など誰かがいて、二人きりで会うことなど無く、親子らしさを感じられない。
「はい、先程読みました。」
目の前に座る母は、ドレスではなくサルヴィリオ騎士団の騎士服を着ている。
本来は母がサルヴィリオの第一騎士団団長であったが、その職務を私に譲り、母は第二騎士団の団長へと降りた。
とは言っても、この騎士団最強と謳われるのは母であり、その次席は第一騎士団の副団長であるルキシオンだ。
母が、普通騎士団一個隊で仕留めるのがやっとと言われる黒竜を、一人で倒したというのはあまりにも有名な話だ。
腕一本で荒れ狂う大蛇を仕留めたという彼女は生ける伝説となっている。
私では母にもルキシオンにも到底及ばない。
魔力も、力もまだまだ未熟だ。
「返事は早めに出すように。結婚式も早々執り行うようにしておく。公爵は今南の海岸に発生している魔物の対応で来れないそうで、二週間で目処がつくと言っていたから、そちらが片付いたらこちらに挨拶に来たいと言っている。」
「はい。」
やはり決定事項なのだ。
「……あの……。母上。」
間違いなく知っているだろうけれど、自分の口からきちんと言わなくてはと勇気を振り絞る。
「なんだ?」
「この度の、アントニオ殿下との婚約破棄ですが、申し訳ありませんでした。」
そう言うと、母は眉間に皺を刻み、この上なく不機嫌な顔をした。
「初めから期待していない。」
その言葉に体が竦む。
母の両隣に控えている騎士すらギョッとした顔をするが、母は眉間に皺を寄せたままで視線を逸らした。
初めから期待されていないなら、この十年はなんだったのだろうか……。
「話は以上か?オスカーの訓練に行ってくる。」
オスカーとは私の弟で、先月八歳になったばかりだ。サラサラの金髪に青い瞳はお父様によく似ている。
オスカーは生まれた時から魔力も強く、私の苦手な身体強化の魔法もすぐに使いこなす様になった。
……私は母に稽古をつけてもらったことがない。オスカーは毎日のように母と稽古をしていて羨ましいと思う一方、素直に私を慕ってくれている弟をとても可愛いと思う複雑な感情がいつもせめぎ合っている。
可愛いと思うのに、妬ましいと思う自分が嫌でしょうがない。
そんな思いを抱えながら、席を立つ母に「行ってらっしゃいませ。」と言うしかなかった。
「……お嬢様、大丈夫ですか?」
母が去った後、サロンにクリームのたっぷり載ったフルーツケーキをリタが用意してくれながら言った。
「元気が無いようですけど……。」
「……大丈夫。母上と公爵様との結婚の話をしただけだから。」
「……お嬢。念のため言っときますけど、サリエ様が期待していないって言ったのはアントニオ殿下にだと思いますよ?」
テトが私のケーキに載っているイチゴを盗み食いしようとしながら、フォローを入れてくれた。
盗まれそうなイチゴを守りながら、
「良いのよ。気にしてない。」
と吐き捨てた。
母はいつも私と会う時眉間に皺を寄せ、何かを堪える様にこちらを見ている。
気に入らないところがあるならはっきり言って欲しいが、それを聞けない自分が嫌だ。
父は「サリエはいつもティツィをとても大事に思っているよ。」と言ってくれるが、抱きしめられた記憶すらない私は父なりの気遣いと分かっている。
嘘でも母に愛されていると……。
どうしたら母が笑ってくれるのか、どうしたら褒めて、抱きしめてくれるのか……。
勉強しても、訓練しても、叶えることができなかった。
「気分転換に街でも行きますか?」
黙り込んでいる私を心配してくれたのか、リタの誘いに「そうね。」と三人で出かけることにした。
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街は賑わっていて、国境での魔物騒ぎが嘘のようだ。
「ティツィアーノ様、美味しいお肉ありますよー!食べて行きませんか?」
メイン通りを歩いていると、肉屋のメトおばさんが美味しそうなタレに漬けて焼いたお肉を差し出しながら声を掛けてくれた。
「わぁ!食べます〜!テト、リタ、買っていこう。」
美味しそうな匂いに誘われてお店にいくと、一人ずつ串に刺して渡してくれた。
「あれ!おばさん!お嬢の串の肉大きくないっすか?」
「やだねテト君、お嬢様にはこないだうちの娘がお世話になったからね。サービスだよ、サービス。」
そういえば、この店の看板娘であるシャロンさんが、先日タチの悪い観光客にナンパされて困っていたところに助け船を出したのを思い出す。
「シャロンさんは綺麗だから大変ですね。」
物腰も柔らかく、綺麗な顔立ちの彼女に声を掛けたくなる男性の気持ちは理解できる。
「シャロンは周りにティツィアーノ様以上の男がいないからお嬢様のとこにお嫁に行くって言ってたよ。」
そう豪快に笑いながらおばさんが言うので、
「え、じゃぁお嫁に来てもらっちゃおうかな。」
と冗談で言うと、
「あんた何人嫁取る気ですか。」
とテトが突っ込んできた。
「そうですよ、お嬢様。先日は八百屋のリオンさんに、カフェのミリエさん、魚屋のマーガレットちゃんもお嫁に来るって言ってたじゃないですか。」
真面目な顔して言ってくる二人に、「え、みんな冗談で言ってくれるだけじゃん。」と言うと呆れたように盛大なため息を漏らされた。
それからも街を歩けば色んな人が声を掛けてくれた。
本当にこの町が好きだなぁと思いながら会話やウィンドウショッピングを楽しんだ。
店のショーケースに並ぶ可愛いぬいぐるみや、お気に入りのショップで密かに気になるパステルカラーのドレスを横目に、リタの気になるというシンプルな可愛いアクセサリーを見たりした。
そうしてふと思い出す。
アントニオ王子は誕生日にはいつも豪華だけれど色の濃いドレスや、大ぶりの宝石を送ってきていた。
メッセージカードさえついていないそれは、きっと誰かに適当に贈らせたものだろう。
王宮に行く時着て行っても何も言わなかったし、興味も無さそうだった。私も大して趣味でもないものを褒められても嬉しくもないけれど……。
一通りウィンドウショッピングを楽しんだ後、リタのおすすめのカフェに入り、一息ついた。
「お嬢様、新作のケーキが出たみたいですよ。召し上がります?」
リタが嬉しそうに差し出したメニュー表を覗き込むと、春のベリータルトの絵が美味しそうに描かれていた。
リタは本当に美味しいものに目がない。
普段無表情で完璧に仕事をこなすが、食べ物のことになると人が変わる。
いつもどこからか、美味しいお店情報を入手しては、連れて行ってくれる。
彼女のチョイスにハズレはない。
「ちょっと、……これ、ベリーもクリームも載せ過ぎじゃ無いっすか?」
嫌そうな顔をしながらテトが言ったので、
「何言ってるの、それが美味しいんじゃない。さっき私のイチゴ取ろうとしたくせに何言ってるの。私これにするわ。」
そう言って店員にそれぞれ注文をし、店員が去った後、テトが言った。
「……気付いてます?」
「そうね。……一軒目からずっと尾けられてるわね。」
リタも気づいていたようで動じていない。
本来はリタも騎士団に配属されていたが、戦場にもついてこられる私の侍女として配置換えがされた。
リタも不満はないようで、訓練も私と一緒にできるし、何よりずっと私と一緒にいられるのが良いと言っていた。そして、「お嬢様の側だと美味しいものも食べられるし。」と。
「……どうされますか?お嬢様に危害を加える気配はなさそうですが……。」
「いいわ。放っておきましょう。特に今日は査察でもないし、悪意も感じない。遊びに来ているだけだから騒ぎは起こしたくないもの。」
「「承知しました。」」
二人が揃って返事をした。
その後、カフェを出て街を離れると、ついていた尾行の気配は消え、三人とも何だったんだろうと首を捻った。
そして日の沈む前にサルヴィリオ邸に帰ると、レグルス家からの来客と告げられた。