正体を知る 2
「ちょっと!レオン様!そこの壁に拳をめり込ませないでくださいよ!」
横でセルシオが慌てた声で言ってきた。
彼女が母親と話せるように、外出に見せかけて部屋を出て、中庭の渡り廊下が見える屋敷の二階から様子を見ていた。
馬鹿従兄弟が出てきたのは予想外だったが、私が飛び出す前にサリエ=サルヴィリオが怒り狂って部屋から飛び出してきた。
サリエ殿にアントニオが一撃をもらい、連れて行かれた後、彼女たちは執務室に戻り、それからしばらくして出てきた。
部屋の中の会話は聞こえなかったが、出てきた時の彼女はとても晴れやかな表情だった。
彼女の囚われていた影は払えたのだろう。
昨日、母親の話をした時の彼女の憂えた雰囲気は遠目からでも感じることはなかった。
そんな彼女を見て、気付かぬうちに緊張していた体がほっと緩み、安堵のため息が漏れた。
が、
が、しかし。
彼女は廊下を歩きながら副団長のルキシオンに話しかけたかと思うと、あの男は彼女に顔を近づけ、愛くるしい耳元で何かを囁いた。
「あの男……。彼女が赤面するほどの何を言ったと言うんだ……。」
「ちょちょちょちょっ!!壁壁!!レオン様、壁壊れてますから!!落ち着いて!落ち着いてください。」
「これが落ち着いていられるか?見ろ!!今度はじゃれあい始めたぞ。」
「もう、本当にストーキングやめません?あんた本当に逃げられますよ?僕なら逃げます。」
段々とぞんざいな物言いになるセルシオの言動も気にかけてはいられない。やはり彼女の思い人はルキシオンで間違いなさそうだ。
あんなに幸せそうに、優しく微笑む彼女の笑顔に心が濁っていく。
その笑顔をこちらに向けてほしい。
綺麗になりたい?
それを他の男が見るのは許せない。
彼女が母親と向き合うのが怖かったのが理解できる。
必ず彼女を手に入れると思ってたが、あの笑顔を向けてくれるだろうか。
他の男に思いを寄せる彼女に、心が欲しいと乞うて、拒絶されたら正気でいられるだろうか。
一度は手に入れられたと思っていた彼女を。
この手からすり抜けていくのを黙って見ていられるだろうか……。
いっその事……。
「……っは……。狂気の沙汰だな……。」
荒れ狂う感情とドス黒い想像が頭を掠める。
乾いた笑いと共に溢れた言葉をセルシオが拾うことは無かった。
――――――「レイ、ありがとう。」
彼女は約束通り『陽炎亭』に来た。
サリエ殿が実家から持ってきたという黒龍の剣を抱きしめながら、これ以上ない眩しい笑顔で。
「母と話が出来て本当に良かった。貴方が向き合えって言ってくれたから……勇気を出して良かった。」
素直に母親との話の内容を教えてくれたが、まさか産まれた瞬間、サリエ殿の怪力によって彼女が死にかけた話だとは思わなかった。
それでも曇りのない、信頼だけを湛えた甘いチョコレート色の瞳でこちらを見つめる彼女に理性を失いかけ、思わず抱きしめてしまいそうな両腕に力を込め、制御する。
昼間の彼女とルキシオンとのやりとりを見た後のこの感情のまま彼女を抱きしめたら、それだけでは終わらない。
短い髪から少し覗いた可愛らしい耳に吸い込まれる。
あの耳元であの男は何を囁いたのか……。
「そう、それは……本当に良かった。貴方が幸せなことに何か出来たことが嬉しい。」
顔を近づけ耳元でそう囁くと彼女の顔に熱が集中したのが分かる。
「ちょ、……蝶をね……。」
「は?」
突然蝶の話を始めた彼女は赤くなった顔を背け、視線を手元のコップに移した。
「私、昔から蝶を触れないの。」
「……?。……うん。」
「小さい時、ひらひら飛んでいく綺麗な模様の蝶を捕まえようと思って羽を掴んだら……ちぎれてしまって。優しく掴もうと思ったけど上手くいかなくて一枚の羽だけを掴んでしまったみたい。そうしたら羽がダメになっちゃって……一枚の羽を失った蝶はその場で動けなくなったの。慌てて回復魔法が使えるリタを呼びに行ったわ。蝶は持って走ったらもっと羽がちぎれちゃうとか怖い考えが頭をよぎって、花の上に置いて戻ったの。」
先程の赤い顔はすっかり青白くなっている。
「それで、リタを連れて戻ったら……。もう他の虫が蝶を……。」
弱った獲物を捕食するのは自然の摂理だ。
「…………私が殺した。だから二度と蝶を触ろうだなんて思えなかった。だから、……極端だけど、母の触れるのが怖かったと言うのが分かる。どうやって触って良いのか分からない。」
「そうですね。僕も大事な人への触れ方が分からない。」
そう言うと彼女は弾かれたように顔を上げた。
「え?」
「僕も大事な人へどうしたら良いのか分からない。誇り高く、それでも繊細な彼女へどこまで踏み込んで良いのか分からない。どこまでなら許してくれるのか。でも、一度触れたら最後。自制なんて利かない。理性なんてどこかに行ってしまう……。」
そう言って彼女を見つめると、キョトンとした表情の中には何の警戒心の色も無い。
あぁ、そんな隙だらけでは、手を出さない男などいない。
もし、ティツィが触れることを許してくれたなら、私にだけその権利があるのなら。
小さな体を抱きしめたら柔らかなキャラメル色の髪に顔を埋め、なめらかな頬には誰も触れることを許さない。
甘い甘いチョコレートの瞳には他の男を映すことなど許さない。
薄桃色の柔らかな唇から他の男の名前を呼ぶことは許さない。
どこか静かなところに彼女のためだけの屋敷を建てて、誰の目にも触れることなく、私だけが彼女の唯一に……。
「レイ……?」
彼女がそう言った瞬間、ハッと彼女を纏う空気が変わった。戦闘を予感させる空気だ。
「ティ……?」
「声が聞こえる……。」
「声?」
「例の男たちの声が。魔物の匂いも……。」
「場所は?」
「店の裏だと思う。」
先程の隙だらけな彼女はいない。
そこには、怒りを湛えて戦いに臨む一人の騎士がいた。
「レイ、行きましょう。」
彼女はきっと守らせてはくれない。
彼女が守りたいものを自分で守るのだ。
それが彼女の生き方で、自分が心惹かれた彼女だ。
眩しいほどに生きることに輝いている彼女を閉じ込めることなど不可能だ。
「行こう。」
そう言って二人で店を出た。
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