二通の手紙
「開けないんですか?お嬢様。」
テトの双子の妹で私の侍女のリタが言った。
私の机の上には二通の手紙が鎮座している。
「開けるわよ。開けるけど……。」
「そうだよお嬢ー。さっさと開けちゃいましょうよー。」
「なんでテトが私の部屋にいるのよ!!」
これでも伯爵令嬢だ。
レディーの部屋にそういう関係でもない男子が入るのはおかしい。いや、そういう関係でもおかしい!
「えー、お嬢と俺の仲じゃないっすかー。」
「まったく……。」
言ってもしょうがないので、ため息が出た。
そうしてもう一度二通の手紙を見つめる。
とりあえず精神的ダメージの弱そうな王家の印の押された手紙をペーパーナイフで開けた。
差出人はアントニオ王子からだった。
『愛しのティツィアーノ。』
ブッと思わず吹き出した。
「え、どうしたんですか?」
テトは私の横に立ち、手紙を覗き込んだ。
「えーと、何々……。『愛しのティツィアーノ。先日の誕生日会での婚約破棄についてはちょっとしたサプライズだったんだ。君のその美しい茶色の髪も瞳も僕としてはとても好感を持っている。剣を振り回す姿も、騎士のようでかっこいいと思う。サルヴィリオ騎士団の横暴についてもモンテーノ男爵の勘違いだったそうだ。まったく、そそっかしいのもほどほどにして欲しいよな。父上にも冗談が過ぎると注意されたので、再度婚約の手続きをしよう。君の都合のいい時に……。』……あっ!!!!何するんですか、お嬢!!」
テトが読み上げた内容に堪忍袋の緒が切れそうになり、思わず取り上げ、握り潰した。
「どうしてあんなにポンコツなのかしら……。人を野猿扱いしておいて…。第二王子が優秀なのが救いね……。そもそもなぜあんなのを誰も教育しないの……!?」
私!?私が面倒見なきゃいけなかったの!!??そこまでしなきゃいけないの!!??
「ツッコミどころ満載っすね。むしろ突っ込まないところがない!語彙は死んでるし!!こんなのが婚約者だったら俺なら恥ずかしすぎて公の場に顔出せないっすね。」
ゲラゲラと笑い転げるテトに怒りたいがまったくその通りすぎてぐうの音も出ない。
紙とペンを取り、ささっと返事を書く。
「リタ、これをアントニオ殿下宛に送っておいて。」
そう言って手紙を渡すと、リタが内容を見て固まった。
「……お嬢様。最高です。」
そうして親指をグッと力強く立てた。
その横ではまたしても私の返事を勝手に見たテトが「お嬢、猿の絵上手すぎ!」とお腹を抱えて悶絶していた。
「さて……。」
そう言ってもう一通の手紙に視線を落とす。
この手紙に押してある封蝋の印は何度も見ている。
それこそ毎日と言って良いほどだ。
見間違うはずのない獅子が描かれたレグルス公爵家の家紋。
興味津々でこちらを見つめる二人の視線が気になり、ため息をついた。
「悪いけれど一人にしてくれる?ゆっくり読みたいの。」
そう言うと、二人は明らかに不服そうな顔をして渋々出ていった。
主人に対する態度じゃないなと思いながらも、あの二人の存在がいつも私の精神的支えになっているのは真実だ。
一度深呼吸をして、震える手でペーパーナイフをとり、封を切った。
こんなに手紙を開封するのを難しいと思った事はない。
中から手紙を取り出すと、そこには綺麗な、それでいて力強い文字が並んでいた。
差出人はレオン=レグルス公爵。
『拝啓ティツィアーノ=サルヴィリオ様
突然のこのような手紙を出すことをご容赦ください。
先日、アントニオ殿下との婚約を破棄されたと伺いました。
まだ婚約破棄から日も経たぬうちにこのような結婚の申し入れの手紙を出すことをどうぞお許しください。
以前、お嬢様のご勇姿を拝見する幸運に恵まれ、私の暗く閉ざされた世界は光り輝く美しい世界となりました。
しかし、アントニオ殿下と婚約されていることは存じ上げており、この気持ちを伝えることは不可能と思っておりましたが、婚約を破棄されたと伺い、急いでこのような手紙を差し上げた所です。………』
三枚に及ぶ手紙には私を褒め称え、羞恥で死ねるんじゃ無いかと言うほどの言葉を書き連ねてある。
アントニオ殿下からはもらったことのない……というか、誰にももらったことのない手紙の内容に思わず赤面してしまう。
そして最後に、
『この度の求婚は、政略結婚などではなく、お嬢様の意思決定に委ねたいと思っております。』
心落ち着くまでゆっくり考えて返事をしてほしいと書いてあった。
思わず頭を机にゴンとぶつけて、痛みで現実に戻ろうとするが、茹で上がった頭では現実に戻れそうもない。
そっ……と勝手に開けられたドアの隙間からテトが声を掛けてきた。
「お嬢ー!!初恋の人からはなんて書いてありましたー!?」
「初恋じゃない!!」
思わず近くにあった万年筆を投げつけると、腹の立つことにひょいとキャッチされた。
入室許可なんて出していないのに、頼んでもいないお茶を用意したリタとテトが入ってくる。
「え?レオン=レグルス公爵と言えば王国騎士団とレグルス騎士団の、団長を兼任するあの人ですよね?初恋の人じゃなかったですか?だって、『太陽のタッセル』を……。」
「初恋じゃなくて……、憧れの騎士よ……。」
十年前、王宮にアントニオ王子との顔合わせに行った際、たまたま騎士団の訓練場の横を通った時に彼の剣を振るう姿に心奪われた。
当時は団長ではなかったけれど、一目見た瞬間美しい太刀筋に心奪われた。
剣の鞘に刻まれた刻印でレグルス公爵の子息だとすぐに分かった。
模擬戦が行われていたようで、少年特有の体の線の細さで、体格差の大きい大人の騎士たちをものともせず、流れるように剣で薙ぎ払い、然も簡単に勝っていた。
自分もあんなふうになりたい。
そう感じた瞬間だった。
でも、その時彼の顔をはっきりと覚えていなくて、ただただ剣捌きに心を奪われていた。
その後訓練中の事故が相次ぎ、剣を使っての訓練は鎧をつけてするようになったため、騎士達は甲冑に、面をつけていたので顔は分からなかった。
それからは私の特有の能力を使って、王宮に行く度、遠目に訓練場が視界に入る廊下を通るそのほんの数秒だけ、こっそり訓練を見ていた。
仮面をつけても剣捌きで分かる。
それほどまでに彼の剣は綺麗だった。
剣が風を切る音が他と違う。
その音は耳から離れなかった。
昔から、騎士達の間では、マントを止める為のタッセルの飾りに、憧れの騎士や尊敬する騎士の家紋を刺繍し、御守りがわりに使う。
当時の私も大の苦手な刺繍を頑張って作ったものがある。
もちろんレグルス家の家紋を刺繍して。
ただ、それをつけるのは気恥ずかしくてタッセルを小さな麻袋に入れ、首元に下げて着け戦場に向かっている。
――――――三年前、王城に騎士団長就任の報告に行った際、アントニオ王子に挨拶する為彼の執務室に向かった時、ドア越しに声が聞こえた。
「我が婚約者が団長に就任した報告に来るそうなんだ。つまらん自慢話など聞きたくもない。たいした魔力もなく、力も無いくせに長子というだけで団長になっただけなのに。時々模擬戦をしてやるんだが、俺様に昔一度しか勝ったことがないんだぞ。あんなのが国境警備につくなど、不安でしかない。」
ノックしようと上げていた手を思わず下ろした。
自慢話じゃなく、どの領地も自領の騎士団長に就任したら挨拶に来るのが慣例ですけど。
模擬戦も、負けたら癇癪起こして物壊すから態とさっさと負けてあげてるんですよ。
負け方あからさまですけど分かりませんかー?
分かりませんよねー。ポンコツだから。
そう内心暴言を吐きながら、コイツは挨拶する価値も無いなと思い踵を返した瞬間。
「実力で王国騎士団の団長になった君とは大違いだよ。レグルス公爵。」
数人の笑い声が聞こえた中、その名前に足が止まる。
まるで足が氷で固められたようだ。
誰に笑われても構わない。
特に、程度の低い婚約者に言われたところで傷つきもしない。
それでも、その名前を聞いた途端なぜか恥ずかしくなった。
泣きたくなった。
確かにサルヴィリオ家は長子が団長を務める。
母に劣っているのは自分で分かっている。
足りない魔力も、技も母の足元にも及ばない。
それでも――…………。
「殿下。魔力も力もないのなら貴方の婚約者様は相当な努力をされたのでしょう。国境の警備を担う重要な団長の座を任されているのです。それを親の七光りだと笑う者が愚かです。私は魔力も多いですが、生まれ持った物です。それを無くして団長になった彼女を尊敬こそすれど、嗤うなどありえない。」
その言葉に部屋から聞こえた笑い声が止んだ。
その言葉に固まっていた体の緊張がふっと緩んだ。
緩んだ体は涙腺さえ緩ませた。
「公爵、何を言っているんだ。あの女は野猿だぞ?才能のかけらもないくせに剣を振るのが好きなだけだ。才能が無いなら女らしく少しでも飾り立てればいいものを。そうだ、公爵。今ここにいる彼らは王国騎士団に入りたいそうなんだが君の口利きでなんとかならないかな?家柄も確かだし魔力も強い者ばかりだ。」
「あの誇り高いサリエ=サルヴィリオ殿が、団長を譲ったんです。彼女がその資格があると認めたからこそ大事なポジションを任せたんでしょう。サリエ殿は自分の子供だからと言って妥協するような人ではありませんよ。少なくとも、毎日ここで魔力の強さに胡座をかき、何もせず人を見下して笑っている人間を私は相手にする気もない。」
母は私に団長を譲ると言った時もいつもと同じ、眉間に皺を寄せ不満そうにしていた。
その後、隊で行われた団長就任式には黒龍の討伐のため不在だった。
仕事と分かっていても、あの時の寂しさは言葉に出来ない。
母の真意がどうかは分からないけれど、母を知り、私を知らない人が私の努力を認めてくれた。
それが尊敬している人なら心が震えてもしようがないだろう。
胸にある太陽のタッセルを握りしめた。
震える手で、強く、強く握りしめた。
「では、私は書類を届けに来ただけですのでこれで失礼します。」
公爵様がそう言うと、足音がドアの方に近づいてきたので思わずその場を離れた。
あの時、跳ねた鼓動も、濡れた顔も誰にも見られたくなかった。
「――――……で、婚約は決定事項ですか。」
テトの言葉にハッと現実に戻された。
「そうね、手紙には私の意思決定に任せたいと書いてあったけど……そもそもこれ……本当にレグルス公爵様が書かれたのかしら……。」
「「はい??」」
テトとリタが声を揃えて聞き返してきた。
「テトは公爵様の噂というか……話は聞いたことある?」
「勿論ですよ。戦場でも常に冷静で、敵や魔物に怯む事なく氷のような目で容赦なく切り伏せていく『氷の公爵』ですよね。社交界でも大して女性に関心を示さず、群がる女性を冷たくあしらうと聞いています。ただ、財力、血筋、騎士としての実力、そして何より美し過ぎる容姿に群がる女性が後を絶たないとか。確か二五歳になっても結婚どころか婚約すらしない事にご両親が泣いていると聞きます。……でも、お嬢は夢見る少女だから冷たい旦那は嫌っすよね。」
「夢見る少女じゃない!!」
思わず近くにあったペーパーナイフを投げつけるとヒョイと避けられた。
「でもお嬢様、ヘボ王子より良いと思いますよ。」
容赦ないリタが言った。
「いや、そうじゃなくて、この手紙の内容が『氷の公爵』様が書いたとは思えない内容なのよ……。」
「え!え!何て書いてあるんすか!?」
ここぞとばかりに覗き込もうとしたテトから手紙を隠すように慌てて裏返して机に置いた。
「見せないわよ。ただ、私も公爵様の為人は話でしか聞いたことないから分からないってことよ。」
私が知っているのは彼の剣の腕前だけだ。顔を合わせたことも、話をしたこともない。人物像は噂話でしか分からない。
そう、顔を合わせたことがないのだ……。
書いてある内容も、噂から聞く彼らしさを感じないのも不自然だ。
「……何にしても、お母様が賛成なら断れないわ。」
「えー、嫌なら嫌って言えば良いじゃないですか。嫌じゃなくても悩んでいるならそのまま言えば良いんすよ。サリエ様なら聞いてくれますよ。」
「……どうかしら……。」
私としては両手を挙げて喜びたいアントニオ王子との婚約破棄だが、母からすれば婚約者に乱暴者と捨てられた娘をどう思っただろうか。
あんなに王太子妃になるべくカリキュラムを詰め込み、時間も費用もかけた娘が……。
今度落胆させたら……。
その時、ノック音がし、執事のトマスの声がした。
「お嬢様、お休みのところ失礼致します。サリエ様がお戻りになりました。お嬢様にお話があるそうで、サロンでお待ちです。」
噂をすれば……とはこのことかと思い、小さくため息をついた。
「すぐ伺いますとお伝えして。」
「畏まりました。」
そうして重い足取りで母の待つサロンへと向かった。