揺れる想い 2
「自分が変わりたいと思わなければ変われない。他人が言っても。」
人に言った言葉は自分に返ってくる。
あの日、アントニオ王子に言った言葉だ。
母と向き合わなくては、ずっと母という偉大な存在の影を追う事になるだろう。
「……私、ここに自分を変えたくて来たの。」
「え?」
彼の目が大きく見開かれる。
何事にも動じそうのない彼を驚かせたようで気分が良くなる。
「前の婚約者……アントニオ王子に『野猿のよう』だとか、『色気のかけらもない、乱暴者』ってよく言われていたの。でもそれを気にしたことは無くて、自分を女として磨くことなんてしてなかったから、そう言われても当然だと思っていたの。」
「……ティツィは綺麗だ。」
レイは、イラっとしたような不機嫌な目をして言った。
あまりの真剣さに笑ってはいけないと思っても、乾いた笑いは止められない
「ふふ……。ありがとう。でも自分が一番よく分かっている。化粧もしないし、美容なんて気にしたこともない。目だって、どちらかというと吊り目だと思うし。できるのは必要最低限のマナーぐらいかな。貴族令嬢として求められる女らしさのボーダーラインを割っているのよ。可愛いや綺麗なんて無縁だわ。」
レイは何か言いたそうに……でも黙って話を聞いてくれている。
「……それでいいと思ってたのよ。頑張って、勉強して、剣術を磨いて、魔法の練習をして、国を守れたらって……。いつか母や……あの人に認めてもらえるような人間になりたいと思っていたから。」
「あの人……?」
ピクリと反応したかと思うとレイの雰囲気が変わった。
「そう、太陽のタッセルの人よ。」
レイが所属するレグルス騎士団の公爵様だなんて言えない。
「アントニオ王子と婚約破棄した時、自分の好きな事をしようと思ったの。もう王太子妃という言葉に振り回されることなく、自由に生きようって。どうせ殿下に婚約破棄された私に結婚は無理だから、憧れの彼のいるところで騎士として生きていくのが良いんじゃないかって。」
彼は先ほどよりイライラした雰囲気で、話を聞いている。
「でも、王都から帰ったら求婚の手紙が来ていて……。」
「母君の意思のまま結婚を承諾したと。」
そう冷ややかに言った彼の言葉に思わずまた乾いた笑いがこぼれた。
そうだけどそうじゃない。
最終的に自分の意思で彼に承諾の手紙を送った。
断れない結婚だという思いはもちろんあったけど、憧れの人からの求婚に舞い上がった。
彼の元で騎士として近くにいるよりも、女性として側にいたいと思った。
憧れがいつ恋に変わったかなんて分からない。
いつも王城で彼を目で追っていたのが当然になった。
好きな人に好きになってもらいたい。
でも女らしさのカケラもないことなんて自分が一番分かってる。
思いを伝えることから逃げた。
ただ、手紙には結婚の承諾だけを記した。
『君はシルヴィア一筋だと思っていたよ。』
あの日、その言葉を聞いて感じたことは、『あぁ、やっぱりね。』だ。
綺麗になりたい。
こちらを向いて欲しい。
少しでも、貴方の心のどこかに引っかかっていたい。
そう思いながら妻になっても、誰か他の女性といるところを見るのが辛い。
それがアントニオ王子ならきっとなんとも思わない。
言い訳に言い訳を重ね、向き合うこともなく逃げた。
それでも何か彼との繋がりが欲しかったのだと思う。
だからここに来た。
急に黙った私を心配したのか、彼の雰囲気が変わった。
「ティツィ……。母君に向き合ってみてはどうかな。それでダメなら君が母親に見切りをつければ良い。君が努力する価値のない相手だと。君は自分を追い詰めすぎだ。囚われすぎてはいけないよ。」
母に見切りをつける――?
彼の言葉に思わず目を見開いた。
母に対してそんな事、考えたことも無かった。
――――――ティツィに、母親に逆らえず結婚を承諾したのかと聞くと彼女は押し黙った。
あのうんざり王子から解放され、太陽のタッセルの騎士のもとに行こうとした矢先、絶対的な母親に勧められた結婚を断れなかった彼女の心痛は如何程だろうか。
いつもキラキラと輝いている彼女の目は今、不安げに揺れている。
サリエ殿について話す時の彼女のなんと頼りないことか。
自分の知るサリエ=サルヴィリオ伯爵夫人は期待に応えられないからと言って部下を蔑んだりするような人物ではない。
本人の努力や、本質を評価する人間だと思っている。
何より娘と確執があるとの報告も無い。むしろ……
「そうね……。向き合ってみるわ。今向き合わなければきっと一生向き合う勇気なんて持てない。……ありがとう。レイ。」
そう言った彼女の瞳は先ほどと程遠い、意志の強さが秘められた美しい目だった。
その瞳と、彼女の言葉に胸が大きく跳ねる。
「君の努力は尊敬すべきだ。魔力が低いことに甘んじる事なく、今の地位も実力も自分の手で掴んだんだ。もっと誇るべきだよ。」
そう言うと、彼女の瞳が大きく揺らいだ。
見開かれた瞳は滲むものを必死に堪えようとしている。
「ありがとう……。レイは……『あの人』に似ている……。」
そう言って、彼女は胸元の小さな袋を握りしめた。
「太陽の……タッセルの……?」
「そう。全体的な雰囲気とか、話し方とか……。今の言葉も……。」
「へぇ……。」
今彼女が見ている人間は茶色の髪に青い瞳。
サルヴィリオ騎士団の副官、ルキシオンと同じ髪色に瞳の色。
年齢も三十代ぐらいだ。
「彼には昔からずっと好きな人がいて……。その人はとても綺麗で魅力的な人だから自分では相手にならないの。そんな女性になりたくて……。」
「だからなりたい自分になりたくて、レグルス領へ?」
副団長の思い人がどんな女性か知らないが、ティツィほど魅力的な人間はいない。
「そんな男に見切りをつけて、他に君を見てくれる人にしたら?」
声に嫉妬が滲み、冷たい言い方に聞こえたかもしれないが、しようがないと思う。
タッセルを握りしめる彼女はうっすらと頬を染め、優しい思い出に浸っているようで、腑の底から不快なものが込み上げるのを制御できなかった。
副団長に思い人がいたのが救いだろう。そうでなければ、人知れず彼を消していたかも知れない。
すると彼女は「当たって砕けてみるのも有りよね。」とふっと笑った。
その言葉と、澄み切った表情に思わず驚くも、「砕けたら拾ってね。」と一粒流れた涙から目が離せなかった。
明日、伯爵家と共に副団長の『彼』も来るのだろうか……。