揺れる想い 1
「こんにちは。レイ。」
諜報活動の拠点となる店に行くようセルシオ副官から指示を受け、昼過ぎに小さなカフェに向かった。
店内はある程度賑わっていて、それでいて落ち着いた雰囲気だった。
「こんにちは、ティツィアーノ様。」
にこやかに微笑むレイは誰かに似ている気がする。
「……ねぇ、これから一緒に行動するのに『様』はつけないで。ティツィでいいわ。敬語も無しでお願いできる?」
席に着きながらそう言うと、彼が少し驚いた顔で、
「……ティツィ……。」
と呟いた。
「これからよろしくね、レイ。」
そう言うと、彼はさっきより優しい瞳で、「よろしく、ティツィ。」と言った。
その言い方になぜか胸がドキリと跳ねた。
「ところで、例のお店にはどうやって行くか分かる?」
「陽炎亭は開店が夕方だから、時間になったら案内するよ。それまで店の見取り図を確認して段取りを話し合っておこう。」
そう言って彼が手のひらサイズのノートを取り出した。
彼の開いたページには店の見取り図が書かれており、カウンターから、入口までの距離、店の二階の間取りまで書かれていた。
周辺店舗の状況まで書かれている。
「昨日の今日で良くここまで調べられたわね。」
「僕の他にも諜報員はいるからね。」
確かに、諜報員が一名という事はないだろうし、自領だからこそできる事だろう。
小一時間段取りを話し合った後、彼が言った。
「もう少しで開店時間だな……。恋人のふりをして周辺をぶらりと確認してから店に入ろうか。」
「こ……恋人!?」
思わず声が裏返る。
「その方が不自然ではないかと。」
にこりと微笑む彼から何か不穏なものを感じるが確かにその時間帯に男女でいるならそれが一番自然だろうけど……。
「きょ、兄妹ではダメかな……。」
「夜の酒場に……?」
大衆食堂ならまだしも、酒場に兄妹で行くよりはより自然かもしれない。
「そう……確かにそうだけど。」
「では、たいした反対理由もないようだし、行こうか。」
たいした理由もないって言いよったー!!
恋人のふりと言われて素直に頷けない抵抗感があるんだよ、こっちは!と言いたかったけれど言えなかった。
そう言って彼に握られた手にまた心臓が跳ねる。
テトや騎士団の人間と触れ合うときはなんとも思わないのに……。慣れない人だからだろうか……。
店を出て、彼が陽炎亭に案内してくれた。
どの店に入るか迷うふりをしながら店舗周りを一周して、陽炎亭に入った。
店内は開店したばかりと言うのに、すでに賑わっており、空いたテーブルは二つしか無かった。
その時見覚えのある男達が視界に入った。
カウンターに座る男はあの路地裏にいた男二人だ。
レイも気づいたようだが、不用意に近づくのは避けるべきだろう。
「レイ、あの奥の席に行きましょう。」
そう言って、男達から一番離れた席に座った。
私なら離れていても彼らの会話が聞こえる。
レイはすんなりと同意し、席に着き、飲み物と食事を頼んだ。
彼はニコニコしながら、周りに聞こえない程度の声で言った。
「何か聞こえる?」
「特に会話はしていないようです。」
彼らはただ食事をしに来ただけのようで、私たちの注文したものが来る頃には店主に「また来るよ。」と言って帰って行った。
「まぁ、今日は現場の確認に来ただけだし、彼らが誰かと落ち合うのは来週と言っていたから。とりあえず食事をして帰ろうか。」
なんだか肩透かしを食らったようだが、見取り図で見る店内と、実際の間取りを確認できただけでも十分だ。
陽炎亭は思ったような酒場というより、大衆食堂のようだったので、兄妹設定でも十分だったんじゃないかと思うけど、もう修正は効かないんだろうなと諦めた。
「ティツィ、案内したいところがあるんだけど、良いかな。」
食事が終わった後、彼に連れて行かれたのは街が一望できる丘だった。
街の明かりがキラキラと輝き、どこも賑わっている。
小さな喧嘩はあるが、犯罪が横行している様子もない。
治安のいい街だ。
「綺麗ですね。案内したかったと言うのはここですか?」
「街を把握しておきたいかと思って。」
確かに、あの裏路地と陽炎亭とのおおよその距離や、大きな建物、彼らの侵入経路や逃走経路を把握しておくのは大事な事だ。
「それと別件で伝えておきたいことがあって。」
彼は言いにくそうに口を開いた。
「明日サルヴィリオ伯爵家の方々が今回の件でレグルス家に来るそうだ。使いに行った人間が貴方の事を伯爵家の方に伝えたかどうかは分からないけれど、魔物の件で情報のすり合わせに来る。」
「母も……?」
来るのだろうか?
「お父君も弟君も来るそうだ。」
みんなで来ると言うことはやっぱりテトが伝えたのだろうか?
会いたくない。
惨めに逃げた自分を母はなんと言うだろうか。
自分の役割を投げ出した私をどんな目で見るだろうか。
「……ティツィ?」
思わず自分を守るように両腕を抱きしめた私を不思議に思ったのか、心配そうな声で彼が聞いた。
「母には会いたく無くて……。」
「……母君があなたに公爵との結婚を強要した?」
心配というよりも、もしそうなら意外だという顔で聞いた。
「いえ。……言葉で強要した訳ではないけれど……。母をがっかりさせたくなくて……。期待に応えたくて。……誰かに必要とされたくて……。」
思わず涙が溢れる。
言い訳だ。
母の期待に応えたかった。
それ以前に誰かに認めて欲しかった。
必要として欲しかった。
それが憧れの騎士だった事に自分を舞い上がらせた。
勝手に期待して、勝手に逃げた。
もう自分がどうしたいのかも分からない。
勝手に公爵に期待した。
そうして、勝手に見切りをつけた。
面と向かって会うことを恐れ、一人で終わらせた。
こうして私は辛いことから逃げてばかりだ。
「私は、母を落胆させてばかりだから。」
「……母君がそう仰った?」
「口にはしないけど、表情や態度で分かるわ。小さな頃からずっとそうだもの。……あぁ、でも王子との婚約破棄の時は『初めから期待していない』と言われたかな……。」
あれが初めて言葉にされたものだと思う。
いつもはガッカリした目線と溜息だった。
「それは、アントニオ王子に期待していないと言う意味では……。」
いつかも聞いたセリフだ。
「みんなそうやって慰めてくれるけど、自分が一番分かってるわ。私では期待に応えられないのよ。意見を言う事さえままならないの。」
「母君に向き合ってみては?何がきっかけで変わるか分からないよ。でも動かないと何も変わらない。」
ここには自分を変えにきた。
自分の心にあった母との向き合い方を置いてきぼりにしたまま。
このまま見た目が変わっても私自身は何一つ変わらない。
拒絶が怖くて、向き合うことから、自分の意見を言うことから逃げてきた。
レイは優しくこちらを見つめたまま、穏やかに言った。
「自分を変えられるのは自分だけだよ。」
あぁ……この言葉が自分に返ってくる日が来るなんて。




