太陽のタッセル 1
彼は私がティツィアーノ=サルヴィリオとまだ公爵家に伝えていないのだろうか。
それとももう……?
思わず足が一歩後ろに下がる。
彼がはっとした様に手を伸ばして腕を掴んだ。
「誰にも言いません。貴方の事を!」
掴まれた腕は振り払えない強さではない。
「何か目的があったのでしょう?理由を無理に聞こうとは思いません。貴方の思うようにしてください。」
彼の声は本当にそう思っているように聞こえる。
「私が公爵家に何かするとは思わないの?」
「思いませんよ。もし何かしようと思うなら毒物を持ち込んだメイドのことも放っておいたでしょう。私は貴方を信じています。……忠誠を誓ったあの日から。」
そう言って向けられた目はどこまでも優しく、私の心を落ち着かせるものだった。
「……あれから何年も会っていないけど、……。」
他に忠誠を誓える人がいなかったのかと訊くのはとても傲慢な気がする。
忠誠を誓ってくれた人を軽く扱っているようで、その先を続けられなかった。
「ティツィアーノ様。私は貴方に忠誠を誓ったにも関わらず貴方の前から姿を消しました。信じていただけないかも知れませんが、あの時の思いは色褪せる事なく、私の心にあります。貴方の存在が自分をもっと強く、……貴方に追いつけるよう、研鑽する原動力となっているのです。」
自分を高めるための……存在。
胸元にあるタッセルを入れた袋を握りしめる。
「研鑽する原動力……私にもそう思える方がいるので、わかります。」
「……それは……?」
握りしめた私の手元を見つめた彼が言った。
「『太陽のタッセル』……です。」
そう言った瞬間彼から発せられる雰囲気が一気に変わった。
忠誠を誓った対象が流行りに乗って『太陽のタッセル』を持っているなど、浮ついていると思ったのだろうか。
「これは私が七つの時に作ったもので…。」
そう言って袋から取り出そうとして…――――――
…………止めた。
「え!!?」
「え?」
思わぬ彼の反応に驚く。
「いや、今見せてくれる雰囲気でしたよね!?」
「え、あ〜……。刺繍が苦手なのでお見せするほどのものでは……。」
ははは……と乾いた笑いが溢れるが、このタッセルはレグルス公爵家の刺繍がしてあり、一目で公爵様を想って作ったタッセルだと分かる。
それをレグルス騎士団の諜報員にバレるのはなんとも恥ずかしい。
それに、当時刺繍した際に、家紋の獅子を一目見たテトが、『ギリ4本足の何かです。』と笑っていたのは深いトラウマになっている。
もう、ただただ恥ずかしいの一言に尽きる。
「貴方の刺繍ならどんなものでも見たいです。」
そういう彼の圧は半端なく重く、…………怖い。
いや、そんなカツアゲしている雰囲気で言われても。
今にも、『オラオラ、出せよ。持ってんだろ?』って声が聞こえそうだ。
「そんな事より、早く戻って公爵様に報告しましょう!!」
「いえ、そのタッセルは『そんな事』ではありませんよ。」
「些事です!!」
「大事です!!」
ええええーーーーー!!??
どうでも良くない?
さっき『ここにいる意味は言わなくてもいい。』って言った人とは思えないくらい、圧が重いんですけど!!
ジリジリと間合いを詰めてくる彼に困惑が止まらない。
明らかに私よりも強いし、簡単に逃げられると思わない。
「アンノ!!」
「お姉様!!」
その時後方から天の助けが来た。
振り向いた先に……あぁ、二人が天使に見える。
いや、本当に二人とも普段から美少女なんだけど、今は後光が差している。
「リリアン様!リタ!!」
これでタッセル問題から解放されると思い、彼の方を振り向いた。
――――――けれど、目の前に彼の姿は無かった。
「アンノ、一人で無茶をしてはダメじゃないですか!テトから聞いて慌てましたよ!」
「そうですわ、お姉様。私もお店の外に出たら怪しい人物を一人で追いかけたと聞いて、とても心配しました!」
リリアン様は真っ赤な目をして、瞳が潤んでいる。
本当に心配してくれたんだと心が温かくなった。
「申し訳ありません。あのような事に関わる人間を放置などできなくて……。ご心配おかけしました。」
そうリリアン様に謝り、リタの方を向いた。
「……で、リタ?どうしてこんなところにリリアン様を連れてきたの?」
不審者追っかけてきた先に、守るべき彼女を連れてくるってどういうこと?
普段のリタらしくない状況判断に、眉を顰めて聞いた。
「私は危ないから、みなさんと一緒にいて下さいと言ったんです。……でも。」
「今後の食事を私たちと同じメニューにすると言ったら二つ返事で連れてきてくれたんです。」
――買収されよったー!!!
リリアン様の横でしれっと真面目な顔をしているが、周りにお花が飛んで、浮かれているのが分かる。
普段優秀なのに、食べ物が絡むとそちらを優先してしまうその癖をなんとかしてほしい。
そして、リタの取り扱い方法を数日で把握したリリアン様が怖い!
「リリアン様は実質アンノの側にいる方が安全だと判断しましたから。」
――その方がお嬢様は無茶をしないでしょう?
そんな声が聞こえた。
はぁ、とため息をつくしかなかった、
「とりあえず公爵様の元に報告しに戻りましょう。」
「それが、……お嬢様が不審者を追った後、公爵様は公爵邸に戻って調査をすると言って後の事をセルシオ副官に任せて戻られたので、ーーー我々も戻りましょう。」
何故だかリタが考え込むように言った。何か思うところがあるようだ。
「そう……では帰ってからね。」
そう二人を促しながら、先程彼が消えた裏路地を振り返った。
――――――また会うことがあるかな…。




