街へ 1
「お姉様。今日はわたくしの服を選んでくださる?」
そう綺麗に舗装された道を走る馬車の中でリリアン様ににこやかにそう言われた。
今日は公爵家三兄弟の買い物ということで街に来ている。
「ドレスを見に行かれるのですか?」
こんなにかわいいリリアン様なら何を着ても似合うだろう。
実際彼女はお洒落で、いつもセンスのいいドレスを着ている。
ふわふわの柔らかそうな豊かな髪も色々とアレンジが出来そうだ。
と言っても、私は侍女のふりをしているだけで、細かい作業が苦手なのでそういった事は全部リタに任せている。
「ドレスとか色々見たいと思っているけれど、お店のこともあるから情報収集したいの。」
「お店?」
「はい。『レアリゼ』という美容の専門店を趣味でやっているんです。最初は仲間内のご令嬢たちに美容のアドバイスをしていた事から始まったんですが、なんだか噂になっちゃって。こぢんまりだけど、意外に繁盛しているんです。」
ここにおったかー!!!
目的の店の経営者がリリアン様だなんて思いもしなかったけど、彼女の趣味から始まっていたとは……。
道理でリリアン様は綺麗だと思った!
今まで会ったことのある御令嬢たちと比べ、一際可愛いと思っていたけど……。
まさかの十歳児……。
「お姉様も良かったらぜひお店で遊びましょう。」
そうにこやかに言うリリアン様の言葉にリタが、「これは、シルヴィア嬢とやらに会ったとしても、公爵家から離れられませんね。」と私にだけ聞こえる声で言った。
「そうだわ、時間もたっぷりあるからお姉様も寄りたいところがあったら仰ってね。リタも何処か寄りたいとこはある?」
「え、私は美味しいスイー……ツっぐ……。」
そう真顔で言うリタの脇腹をついて黙らせる。
一介の侍女は仕える人間に寄りたい所とかリクエストしませんよと思いながら、笑顔で返す。
リタも私の目的の『レアリゼ』が見つかって余裕が出たのか、上機嫌に見える。
「いいのよ、リタは本当に美味しい食べ物に目がないのね。」
うふふと笑うリリアン様に、仕える人間にそんなことするのはウチのリタとテトぐらいじゃないかと乾いた笑いが溢れた。
その時、街を走る馬車の窓から一瞬見えた姿に驚く。
――テト!!
考えていたから見間違えたとかではなくテトだった。
リタも見えたようで、お互いアイコンタクトを取る。
テトは何をしに来たのだろうか?
ここにいることがバレた?
まだ何も出来ていないこの段階では帰れないし、そもそも帰るつもりもない。
そうこう考えているうちに、馬車が目的地に着いたようで、ゆっくりと停まった。
とりあえず店内にいる間は見つかることはないだろうから一安心だけど、街を歩く時は気を付けなくては…。
馬車から先に男性陣が降りて、リリアン様が降り、その後に続こうとすると、「お手をどうぞ。」と、スッと手が差し伸べられた。
差し伸べられた小さな手に思わず固まってしまう。
「ウ……ウォルアン様。私は侍女ですので、そのような気遣いは不要かと……。」
見下ろす先には金髪のサラサラの髪を輝かせ、あどけない笑顔で手を差し伸べる天使がいる。
「そんな事を言わないで下さい。リリアンの大事な方は僕にとっても大事な方です。」
ねえ、おかしいよ?
一介の侍女にそんな事普通しないよ?
そう思いながらも純真無垢な満面の笑みで差し出された手を取らないことがあるだろうか。
いや、無い。
その手を取って降りた瞬間、絶対零度の寒気を背後から感じ、さらにはドゴッという硬いものが壊れる音がした。
音のした方を振り向いた瞬間、笑顔なのに、誰も動くことの出来ない程の冷気を纏った公爵様が立っていた。
足元にはレンガで舗装されたはずの綺麗な地面が、不自然に凹んでいる。
「あぁ、ここの舗装は甘かったようだな。セルシオ、業者に連絡しておけ。」
「は……はい。」
横には顔を真っ青にして、ちょと引いた顔のセルシオさんがいた。
恐らく、侍女の分際でウォルアン様にエスコートさせたのに怒っているのだろう。
「あの、公爵様、申し訳ありま……。」
「さぁ、お姉様!入りましょう!!!」
謝罪する隙を与えてもらえず、リリアン様に店内に引っ張り込まれた。
待って!!待ってえええ!!
公爵様の不興を買って屋敷を追い出されるわけにはいかない!!
そう思いながらも、そのままリリアン様にVIP室に連れ込まれた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
彼女の好みを知るためにリリアン達とブティックに来た。
宝石店に、雑貨屋、食器や小物の好みを知りたい。
後は彼女の目的が何なのか、リリアンに行きたい所も聞き出すよう言ったが市内にはこれと言った目的地は無さそうだ。
『アンノ、リタ。まだ、ティツィアーノ嬢は見つからないが、彼女の部屋に置くものや服や宝石を選んでほしい。』
屋敷を出る前に彼女たちにそう伝えると、リタは躊躇いもせず、「畏まりました。」と返事をしたが、アンノはリタに倣い、頭を下げるにとどめただけだった。
きっと、公爵邸に残るつもりは無いんだろう。
しかし、そうはいかない。
絶対にここから出すつもりはない。
その為にもセルシオがバランスを考えろと言うから彼女のエスコートを我慢したと言うのに何故か弟が彼女を馬車から降ろすエスコートをしていた。
完全に彼女を義姉として見ているようだから仕方ない…………が、それでも、それでも彼女のエスコートをああも易々と……。
自分の狭量さに呆れため息をつく。
そう思いながら心に黒い澱が溜まっていくのが分かる。
弟相手にこんな感情になるのに、他人であったならどこまで我慢出来るか……。
『彼女の愛する人間』とは誰なのか。
その男にだけ、彼女に触れる権利があるのか。
あのあどけない瞳に映される資格を得た男が、彼女の柔らかな頬に手を添え……あの唇に……。
「最悪だ!!」
そのシーンが頭に浮かんだ瞬間、叩きつけた拳と共にバキッという破壊音がし、目の前の机が半分に割れていた。
ハッと顔を上げると、目の前にはフィッティングルームから丁度出てきたティツィアーノが立っていた。
先ほどまで着ていた外出用の綿のドレスでは無く、シルクの夜会用のドレスで、彼女の雰囲気に合った澄んだ水色に、すらっとした体型を引き立たせるシンプルなAラインの作りになっていた。
形はシンプルだが、ハイネックになっている部分は繊細なレースで真珠があしらわれている。
最近のドレスは胸元を大きく開いたデザインになっているが、透けたレースに隠されたデコルテが想像を掻き立てる。
あまりの美しさに固まっていると、
「……ですよね。」
目の前の青くなった彼女がそう呟いたが、一瞬何を言っているのか分からなかった。
「お兄様……最低。お姉様がティツィアーノ様とほぼ同じ体型だと言うからわざわざ着てもらったのに。」
そう言ってリリアンが絶対零度の視線を投げつけてきた。
リリアンは本当にティツィアーノに心酔しているようで、今まで自分に向けられたことの無い目をしている。
周りの視線もそれと同じくらい……いや、リタに至っては射殺さんばかりの殺気だった。
「はっ……、い、いや、最悪なのはアンノではなく……。ちょっと仕事の事を考えていたからで……。」
思わずしどろもどろになってしまう。
「男の人ってすぐ言い訳に仕事仕事って。お姉様、女性だけで衣装を決めましょう。」
リリアンがそう言うと、女性陣は別室に出て行った。
「――――――何してるんですか。」
セルシオが左斜め後ろから言った。
「うるさい。…………先ほどのドレスと、色違いで白も注文しておけ。」
「了解しました。……フォローに行かないんですか?」
「今行ったら、リタから暗器が飛んでくるだろうよ。」
「あぁ、彼女結構仕込んでますよね。」
「…………どうしたら良いと思う?」
「……女性をぞんざいに扱ってきたツケをここにきて払わされていますね。」
自分でなんとかしろと言いたいのは分かる。
普通の令嬢ならフォローする気もないが、……ティツィアーノを傷つけた。
他の誰でもない私が傷つけた。
彼女に好きだと、愛してると伝えられたらこんなことに悩まないのに。
引き寄せて、抱きしめて、綺麗だと伝えたい。
出来ないもどかしさに胸がざわつき、吐き出せない澱が溜まっていく。
その澱がさらに重く、暗く、それが増えていく。
思い通りに出来ない心が軋み、更に思考は悪い方へ誘われる。
「もういっそのこと、屋敷の奥にずっと閉じ込めておきたい……。」
天井を仰ぎ、ため息と共にそう溢した。




