疑い
「公爵閣下!彼女もグルではないですか!?」
背後から部下である公爵家の新米騎士の一人がそう叫んだ声に一瞬で怒りが沸点に達す。
彼女の手に紅茶がかかっていないか、カップで手を切っていないか確認し、安堵していた気持ちが、怒りに取って代わる。
「何だと?」
手を取ったままの彼女の手が硬直したのは、グルだと言われたからではないだろう。
恐らく私の怒りを感じ取ったのだろう。
高尚な彼女が毒を飲ませるなど卑怯な事はしないし、まして、リリアンのような子供を狙うような愚劣なことは絶対にしない。
絶対にだ。
睨みつけた騎士がビクリと体を硬直させる。
一瞬で血の気は引き、顔面蒼白とはまさにこの事だ。
「……はっ。その、的確に毒の種類と場所を……言い当てたのは、グルで……自作自演をし、公爵閣下の……信頼を得るためではないかと……。」
彼女の能力を知らないならそう思っても仕方が無いかもしれない。
それでも、彼女を汚す言葉は許せない。
「私の信頼?なんの為に必要なんだ?」
「……いえ。その。……それは。調べてみないと……。」
「お前は、サルヴィリオ家に何か思うところでもあるのか?」
「……え?は……。そんな事は……。」
「彼女はサルヴィリオ家の正式な紹介状を持って、花嫁の侍女として来たんだ。彼女を疑うことはサルヴィリオ家に牙を剥くことだと思え。」
本来はこの家の女主人として来るはずだった彼女を疑うなどあり得ない。
恋焦がれた彼女を、この家に迎え入れたら……誰も彼女を傷つけないように、誰も彼女の誇りを汚す事のないように……そう思っていたのに、まさか知らないとは言え、レグルス家の騎士がそんな事を言うとは思わなかった。
新米騎士は「出過ぎた真似をして申し訳ありません。アンノ殿も、大変失礼をいたしました。」と頭を下げた。
すると、彼女は、
「騎士様。貴方のおっしゃることは尤もだと思います。謝っていただく事はありません。この家の為を思ってされた事でしょう?」
そう言って柔らかく微笑んだ。
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「見たか?あの見事に取り押さえる姿を。」
執務室で副官のセルシオと、執事のアーレンドにそう同意を求めると、誰からも返事が無かった。
「聞いているのか?」
そう言って彼らを見ると、生温かい目でこちらを見ているのに気が付いた。
「閣下、確かに取り押さえるのは見事な反応でしたが、それよりも彼女の嗅覚の方が信じられません。……あの新米騎士が疑うのも分かります。」
セルシオの『疑う』発言に、またしても怒りが再燃しそうだが、睨むだけに止める。
「……彼女がそんな事をして何の得になると言うんだ。サルヴィリオ家とレグルス家は国防を担う二本柱だ。どちらかが転けても国の国防にダメージは大きい。サルヴィリオ家に国家転覆の意志があるとも思わない。…………ところで、その後のティツィアーノの両親の動きはどうだ?」
あの結婚式が執り行えなくなった時、当然の事ながら、彼女の家族も式場にいた。
ティツィアーノが去った時の話の経緯を聞くと、父親と彼女の弟は顔面蒼白、母親は顔を真っ赤にして怒髪天と言った状況だった。
『必ず責任を持って彼女を見つける。』そう約束するも、サルヴィリオ家も騎士を総動員して彼女を探している。
「まだ、ティツィアーノ様がこちらにいらっしゃることは掴めていないようです。サルヴィリオ家ももちろん彼女を見つけたいという意思は強いようですが、騎士達の必死さが尋常ではないと密偵から報告を受けています。」
「尋常じゃない?」
「はい、蟻の子一匹逃さない様子で、騎士達はもちろん、その家族、親戚に至るまでが捜索に加わっているそうです。それから式場にいた兵士から『公爵には他に思い人がいる』との話が全体に伝わったようで、騎士達個人がレグルス家に苦情の手紙を出そうとするのを、お父上と弟君が全力で阻止しているそうです。」
「……それはまた……。」
言葉が継げずにいると、
「騎士達や領民に愛された御令嬢なんですね。」
たかが、貴族の令嬢ではない。
命をかけて領地を、領民を、彼らの生活を守ろうとする姿は騎士達の心に響かないはずがない。
一兵士と扱う事はなく、駒でもなく、一人の人間として向き合う事は中々出来ることではない。
貴族に生まれただけで驕り高ぶる人間をどれだけ見てきたか。
だからこそ彼女に惹かれた。
あの、真っ直ぐな瞳に。
その中にある意思の強い光に。
それを思うたびに自分も強くあろうと思える。
いつか彼女が王太子妃として、そして王妃として立った時。
何者も彼女を傷つけることのないよう、彼女の矜持を守れる人間になりたかった。
「……それで、彼女の目的は何なのか掴めそうか?」
すると、アーノルドは首を振った。
「メイドや使用人達からそれとなく聞いていますが、これと言って何も掴めていません。ただ、騎士団の練習場を時々見ているという話はありますが、何か探っているという様子ではないようです。……というか、リリアン様と閣下といる方が長いので……。」
――――調べようがない。そうジト目で言われ、「それはしょうがない。」と後半の苦情を切り捨てた。
「それから、彼女をレディ扱いするのは程々にしたほうがよろしいかと思いますよ。お気持ちは分かりますが、あからさまにそういう態度を出すと正体を知られていると気づかれ、逃げられる可能性もありますからね。」
そうセルシオに言われ、思わず睨みつける。
「……我慢してる方だが……?」
「してません。ダダっ漏れです。あんなにとろけたような目で普段女性を見ない貴方が、彼女に向ける視線を見れば誰でも分かります。分かっていないのは屋敷に来て間もないティツィアーノ様と侍女のリタぐらいですよ。」
「…………仕方無いだろう?」
手を伸ばせば抱きしめられる距離にいるのに、それが出来ない。
本来ならずっと腕の中に閉じ込めておきたいのに。そうする権利があったはずなのに。
「逃げられてもいいなら結構ですよ。」
さらっと涼しい顔でそう言われると、反論出来ない。
こうなるとさっさと彼女の目的を見つけて対策を練るしかない。
屋敷にこれと言って目的が無いのなら……。
「領地に……街に降りてみるか……。」