待遇 2
「ティツィアーノ様が失踪ですか……。」
執務室の机の前にメイド服を着て並んだ二人が、動じる事なく今私が言ったことを復唱した。
「そうだ。君たちは式場に来ていないから知らないと思うが、式の直前にリリアンが焼き餅を焼いて彼女の誤解を招くような事をしてしまったそうなんだ。それで、今捜索隊で彼女の救出に全力を注いでいる。」
可愛らしい彼女が、ポカンと開けた潤んだ唇を食べてしまいたいと思いながら嘘を並べ立てた。
本来ならもう既に彼女は私の腕の中にいたはずなのにと思いながら……。
彼女達の目的はこの屋敷か……もしくは領地にあったことは間違いない。
「そうなんです。わたくしお兄様は私の事も大事にしてるって言いたかっただけなんです。でも、悪意のある言い方をしてしまって……。」
リリアンが潤んだ瞳でティツィアーノを見ながら言った。
どう出るかと思いながら二人を見ていると、二人とも先ほどと表情を変える事なく話を聞いている。
「なので、彼女を見つけ次第誤解を解こうと思っている。君たちにはこのままレグルス家にいてもらうが、どうだろう。」
「……畏まりました。」
アンノと名乗ったティツィアーノがそう言い頭を下げると、彼女の横にいたリタという侍女も彼女のそれに倣った。
リリアンの説明を聞いて信じられないと思ったのか、それともそんなことは関係なく、ここで何か別の目的があると言うことなのだろうか。
「それで、君たちの部屋なんだが、花嫁の部屋になるはずだった部屋をアンノが使って、その隣の部屋をリタが使ってくれ。」
「「え!?」」
それはその反応だろうなと思いながらも、
「彼女との結婚が決まって急いで用意させた部屋だから、君たちの主人の好みに合わせて整えてくれると助かる。彼女が戻ってきた時、過ごしやすい部屋にしておいてほしい。」
ちょっと…… いや、かなり無理があるなと思いながらも、自分の部屋の隣の為警備も監視もしやすいというのが本音だ。いや本音は彼女を近くに置いておきたいというのが本音だ……。
それから……。
「君たちには、ティツィアーノ嬢が見つかるまでリリアンの護衛、兼侍女をしてもらいたい。」
「来たばかりの私たちがですか?」
流石にそれはどうかという顔でティツィアーノが言ったが、先ほどのリリアンの件はこのためのものだ。
――――――数刻前。
「いいか、リリアン。今からあの木に登って枝の上でティツィアーノを待つんだ。」
そう指差した先の枝の高さに目を見開いたリリアンの碧い瞳は今にもこぼれ落ちそうだ。
白い肌は更に白くなり、唇は真っ青だ。
「…………この木の上で……。」
プルプルと震え、生贄にされた羊のようにふわふわの金髪が揺れている。
「大丈夫だ。必ずティツィアーノが助けに来てくれるさ。万が一彼女が来る前に落ちても下に魔法騎士団がいるから、怪我をすることは無いよ。」
本当は暗い部屋に閉じ込められたふりをするとか、襲われるふりをするとか考えたが、暗いところも怖くない、襲われることも慣れているリリアンでは真実味が出せるとは思えない。
高いところが苦手なリリアンには木に登って待たせるのが一番だ。
使用人何人かと、ティツィアーノの正体を伝えた数人の騎士を木の下に待機させておけばそれらしく見えるはずだ。
「でも、こんなところに助けに来てくれるかしら……。」
ティツィアーノの性格から考えてまず泣く少女を放っておくことは無いだろう。
彼女の実力をメイド達に見せれば、彼女の正体を知らないとしてもリリアンに付けたところで文句を言う使用人もいないはずだ。
案の定彼女は来た。
ほんのひとっ飛びで木の上に飛び上がり、リリアンを優しく下に下ろし……、堕とした。
彼女は簡単な身体強化と言ったが、あの高さまで跳べる身体強化ともなれば、王国騎士団で使える者など片手で数える程しかいない。
相当な訓練を積んだのは間違い無いだろう。
そんな彼女を真っ赤になったリリアンは瞳を潤ませ恋する乙女のように見つめていた。
あれが噂に聞いていた、ティツィアーノの天然人たらしの一角だろう。
彼女の人たらしに関しては、情報収集の際にこれでもかと報告を受けた。
屋敷の使用人や騎士団の人間のみならず、町娘からも想いを告げられる事が多々あると言った報告内容だ。
先程は膝に座らせるようにリリアンを座らせ、背中を優しくさすり、緩んだ瞳で声をかける。二人のやり取りを見ていたメイド達ですらうっすらと頬を染めていた。
――――――「公爵様。」
強い意志を感じる彼女の声にハッと意識が引き戻される。
「何かな?アンノ。」
「もちろんリリアン様の護衛兼侍女としてお勤めさせていただくことは有り難いですが、一つ確認しておきたいことが……。」
「なんでも聞いてもらって構わないよ。」
「…………人払いをお願いできますか?」
躊躇うように副官や執事をチラリと見て彼女が言った。
「ここには私の信用する人間しかいない。」
彼女と部屋に二人きりなどとんでもない。
私の理性が試されているとしか思えない苦行になるだろう。
あの柔らかそうな髪に顔を埋めたらどんな香りがするだろうか。
キャラメルのような優しい色の髪からは甘い香りがするだろうか。
間違いなく社交界で寄ってくる女性達のようなキツイ香水の香りはしないだろう。
あのチョコレートのような瞳を正面から見つめたら、……とろけるような瞳で見つめ返されたら、唇に触れずにはいられないだろう。
そんな妄想をしていると、また副官の咳払いが聞こえ、ハッと我に返る。
「アンノ、ここの人間は信用できるよ。安心して話してくれ。」
彼女に警戒させないよう言うと、恐る恐る口を開いた。
「では……。ここの屋敷の方達は……リリアン様に対してどのように……接していらっしゃいますか?」
言葉を選ぶように彼女はゆっくりと言った。
「……どのように……とは?」
リリアンも彼女が何を言っているのかと不安そうに見ている。
「先ほどの木ですが、とてもリリアン様が遊びで登れるようなものとは思えませんし、近くにあった梯子は明らかに刃物で切り込みを入れた上で壊された形跡がありました。悪戯で許されるようなことではありません。お命が狙われていると考えてもおかしくないです。」
あの距離で壊しておくよう命じた梯子の状態が見えるとは思わなかった。
本当に彼女のずば抜けた視力に驚かされる。
「つまり、何が言いたいのかな?」
「リリアン様は嫌がらせや虐待を受けていますか?」
ギョッとしたリリアンが口を開いた。
「いいえ、木に登ったのは可愛い小鳥がいたのを見たくてワガママを言ったの。梯子が壊れるなんて思わなくて……。」
事前の打ち合わせ通りリリアンが言った。
「嫌がらせや虐待の報告はないが、最近リリアンの誘拐未遂や不審者情報も報告を受けている。目下捜索中だからこそ、君たちのような実力のある女性がリリアンのそばにいてくれると心強い。」
そんな不審者や事件もないが、そう言っておけば彼女はリリアンを守るためにしばらくここにいる事は間違いないだろう。
「…………そうでしたか。かしこまりました。リリアン様は必ずやお守りするとお約束いたします。」
そう言って頭を下げるティツィにリリアンはまたしてもポッと頬を染める。
「ありがとう。」
本来なら私が君を守りたいのに。
その役目を行使する権利を得るはずだったのに……。