一人目の婚約者
「ティツィアーノ=サルヴィリオ、僕の婚約者披露パーティーにようこそ。」
エリデンブルク王国の王太子、アントニオ王子の婚約者の誕生日という事で、王宮にて私の為のパーティーが開かれた。
……と思っていたけれど、彼の横に立っていたのはモンテーノ男爵の娘、マリエンヌだった。
壇上には金髪に青い瞳。国内一位、二位を争う整った顔立ちの王子様然としたアントニオ王子がこちらを見下ろしている。彼は自分の外見を理解しているようで、自身以上の容姿に身分、才能を持った存在はいないと思っている。
その自信に溢れた彼は意味不明のドヤ顔でこちらを見下し、マリエンヌ嬢は今から起きる出来事に愉悦を覚えているように見える。
「……殿下の婚約者は私だと思っていたのですが、私は長年勘違いをしていたのでしょうか?」
アントニオ王子とマリエンヌはロイヤルブルーのペアルック衣装を着ていて、私はアントニオ王子から送られた赤いドレスを着ているが、この対照的な色は明らかに意図的だ。
こんな茶番の為にわざわざパーティを開いたのだろうか。
婚約者に送られたドレスを着るのが礼儀と思い、好みでも無いこのドレスで来ることを見越しての贈り物だったのだろう。
本当は今日の誕生パーティーだって来る時間は無かったのだ。
今、国境沿いにある自領、サルヴィリオ領で頻繁に出没している魔物の対応と、隣国のきな臭い動きが予断を許さない状況なのに、父上が「せっかく殿下がお前の誕生パーティを開いてくれるのだから息抜きに行っておいで。こちらは大丈夫だから。」と気を遣ってくれたから来たのだ。
しかも…、今特に魔物が頻繁に出没しているのはサルヴィリオ領に接しているモンテーノ男爵領だ。
二人を冷たい目で見ていると、アントニオ王子は得意げに私を指差して口を開いた。
「ふん、今日から俺様の婚約者はこのマリエンヌ=モンテーノだ。お前のような女らしさのかけらも無い、剣を振り回す野ザルのような女と結婚などできるか。」
ほーう。
サルヴィリオ家に生まれた人間は男女関係なく団長となって代々国境沿いの魔物や他国から領民、国民を命をかけて守ってきている。それを野ザル呼ばわりとは……。
「剣を持って戦場を駆け回る乱暴者より、可愛らしく淑やかなマリエンヌの方が王太子妃にふさわしいというものよ。」
へー。
そうですね。特に彼女のお胸のサイズは殿下のお好みど真ん中でしょうね。
「それに、モンテーノ男爵領は少ししか国境に接していない為、サルヴィリオ家に警備の幅を少し広げてモンテーノ領の一部も警備するよう命じたが、それを口実に大量の食糧や備品などを強要していると陳述書が来ている。」
ほー。
自分のところで警備できないならせめて後方支援をとお願いしたことですか?
全く後方支援がありませんけど。
そもそも国境警備を広げたのも婚約者である殿下の顔を立てるため引き受けたんですけど?
「しかもその騎士団を統率しているのはティツィアーノ、貴様が団長として指揮しているそうではないか。モンテーノ領の国境沿いの住民からもサルヴィリオの騎士が強奪等好き放題していると話も出ている。部下の統率もできとらんとは情けない。」
へー。
国境沿いの住民は重税に苦しんで、食べる物がないと言っていた。
その為騎士団から炊き出しを行うことになったのだ。
そのことは報告をあげているはずだけど……コイツ、読んでないな。報告書。
「なぜモンテーノ領にそんなひどいことができるのか理解に苦しむ。はっ……まさか、最近俺様とマリエンヌが一緒にいるのを聞いて嫉妬で狂いでもしたか?」
いや、急にどうした?
こっちが理解に苦しみますが?
一緒にいたことすら小耳にも届いてませんよ。
「ただでさえ魔力が少なく軍神と名高い母親のように戦えんのだから、最低限の部下の統率ぐらいしてはどうだ。さっきからダンマリじゃないか!その野猿のような脳みそでは言い訳も思いつかんか!?ハハハハハ!!」
野猿は少なくともあんたよりよっぽど賢いし、ダンマリではなく、空いた口が塞がらないだけだ。
もはやキョトンの世界。
クズの境地。
そう冷え切った目でアントニオ王子を見ても、彼は意味不明の愉悦に浸り、周囲のドン引きの視線に気づいていない。
彼が自分で言った『軍神と名高い母親』であるサルヴィリオ家を侮辱しているのだ。
この国の英雄とも言える存在を。
二人を見ていると、一体今まで私のしてきたことは何だったのかと遣る瀬無い思いが押し寄せてくる。
いつもそうだ。
いつも……彼は私をぞんざいに扱った。
公式の場でも、違う女性を連れているのはいつものことで、あんな女は好みではないと公言していた。
それでも、婚約破棄にならなかったのは、私が彼の対応を王家に文句をつけなかったからだ。
母の『軍神』という名高い人気と、貴族たちからも信頼の厚いサルヴィリオ家に縁談を持ってきたのは王家だというのに。
小さい頃は、彼に女性として見てもらえなくても、いつかお互い国を支えるパートナーとして立てたらと……。
十年前に婚約が決まった時から、彼の王子としての資質に疑問を感じていたけれど、王子は彼しかいなかった。
彼を支えて国を、民の生活を豊かに……。このエリデンブルグ王国を誇りに思える国にしたかった。
でも、彼ではダメだ。
自分のことしか頭にない……、王子というプライドしかない男では国は滅んでいく。
でも彼には五年前に弟が生まれ、優秀で、聡明と評判だ。
先日も第二王子のアッシュ王子と話す機会があったけれど、話した内容はとても五才とは思えない内容で、国を想い、民を想う方だった。
きっとあの方なら民はついてくれるだろう。
もう辞めよう。
こんな男、こっちから願い下げだ。
これ以上こんな男に時間を割くなど愚の骨頂。
彼と私のベクトルの方向は決して交わることはない。
彼も大人になれば立派な王にと思っていたけれど、本人にその意思がなければどうにもならない。
「――――――アントニオ殿下。貴方のおっしゃる通りです。私では殿下にふさわしくない。テト、アレを出しなさい。」
いつか、……いつかと思い、持ち歩いていた書類を後ろに控えてた従者のテトから渡された。
「こちらの婚約破棄の書類にサインをいただけますか?二部ありますので双方で保管いたしましょう。」
「なんだ?随分と用意がいいじゃないか。貴様も俺様に相応しくないと分かっていたんだな。」
後ろにひっくり返るんじゃないかと想うくらい踏ん反り返り、大声で笑う彼の振る舞いに王族らしさのかけらもない。
「殿下、陛下はもちろんこの婚約破棄についてはご存知ですよね?」
壇上まで書類を持っていき、彼に記入させながら聞いた。
「父上に婚約破棄を伝えた際にダメだと言われたが、俺様はもう父親の言うがままになる男ではない。自分の婚約者は自分で決める。」
彼に聞こえない程度で思わず鼻で笑ってしまった。
なぜ、自分が王太子の座にいられたのか全く分かっていない。
サルヴィリオ家が彼の後ろにいたからだ。
「そうですか。とてもご立派ですね。」
さようなら。
愛も恋も無かったけれど、それでも彼のそばに立てるよう努力したつもりだ。
婚約破棄しなかったのは母の期待に応えたかったからだ。それと――――。
二枚ともにお互いの署名があるのを確認して、一枚を彼の元に残し、壇上を降りた。
そうして貴族令嬢として退室のための礼をとった。
「では、殿下。これで私は失礼いたします。」
「あぁ、これからも国境警備に力を尽くすように。」
ご満悦な彼はマリエンヌの肩を抱き、勝ち誇ったように言った。
「はい、これからサルヴィリオ領の警備に尽力いたします。モンテーノ領にいた我が騎士達も自身の領地に戻れることを喜ぶことでしょう。」
そう言うと、二人は真っ青になった。
「待て待て!モンテーノ領は今後も引き続き警備しろ!これは命令だ!」
「なぜですか?私は婚約者である殿下の顔を立てるために善意で引き受けただけです。もう婚約者でもございませんし、引き受ける理由はございません。」
「ダメだ!これは命令だと言っているだろう!そもそも貴様も分かっているだろう?モンテーノ領は不作続きで国境警備に人員が回せないのだ!!隣人が困っているのに助けないとは何事か!?」
顔を真っ赤にして私を責めているけれど、問答するにも値しない。
本当に不作だけが原因なら考える余地があるが、そうではなく、モンテーノ家の浪費の為の重税だと分かっている。
もはや何から突っ込んでいいのか分からない。
マジで言ってたら相当ヤバいやつだと言うことしか分からない。いや、ヤバいやつだった。
「今回の件は、殿下と私の口頭での個人的な話し合いのみのもので、正式な王命を下されたわけではありません。命令とおっしゃるなら正式に母に……陛下からサルヴィリオ家を通して下さい。そんな回りくどいことをされなくても……殿下が婚約者の方の領地を助けて差し上げたらいいではありませんか。殿下の婚約者には、国から大きな予算が割り当てられていたと思いますし。私はそこにはほとんど手を付けておりませんから。殿下の資産と合わせて援助なさってはいかがですか?」
彼が私に割り当てられたはずの予算を使い込んでいたのはずっと前から知っていた。
それを知った上で言うと、彼は真っ青になって震えている。
まずいという顔が出ていますよと突っ込みたかったけれど、これ以上ここの空気を吸っていたくなくて早々に出口へと向かった。
「殿下、いい加減変わりましょう。貴方が守る民のためにも。周りがなんとかしてくれる。ではなく、ご自身が変わる努力をしなければ。周りがどんなに言葉にしても、ご自身が変わろうと思わなければ変われませんよ。」
彼は怒りで顔を赤くし、ワナワナと震えている。
美しく整った顔もああなると醜いなと思いながら、足を進めた。
周囲の人間は微動だにすることもなく、爛々と目を輝かせ、王家の醜聞に釘付けになっている。
ぴたりと出口で足を止め、殿下をもう一度見た。
「そうそう、前からお伝えしたかったのですが……。」
「…………な、なんだ?」
「一人称を『俺様』と言うのは周囲の人間が恥ずかしいのでやめた方がよろしいかと。」
「なっ……!!なんと無礼な!!」
「でも、私。ずっと恥ずかしかったものですから…。」
慣れないしなを作りながら、そう吐き捨てて退室した。
陛下から『アントニオの教育を頼む。君にしかできない。』と言われていたけれど……。
――――――結局私は誰の期待にも応えられなかった。