【後編】
執筆中、主人公の『セリアネス』を何度も『セルネリア』と打ち間違えていたので、もしまだ出て来たらごめんなさい……。
翌日――――。
出勤の為、ライナスの執務室に向かうセリアネスは、城内の多くの侍女やメイド達に声を掛けられる。
「ま、まぁ! セリアネス様! そのお姿は……」
「素敵です! セリアネス様、素敵すぎます!!」
その殆どは夢見心地のような視線を向けながら頬を赤く染め、必要以上にセリアネスの容姿を褒めたたえてくれた。その女性陣の反応から手ごたえを感じたセリアネスは、これならばライナスもきっと気に入ってくれるはずだと確信し、自信満々の笑顔で執務室の扉をノックする。
「失礼致します。セリアネス・リアクール、只今出勤致しました!」
元気よく声を張って入室すると、大量の書類を片手に抱えたライナスが、目線をこちらに向けずに小言を零す。
「セリ、今日はやけに出勤が遅くないか?」
そう言って、やっとセリアネスに視線を向けた瞬間――――。
ライナスは手にしていた大量の書類を取り落として盛大に床にぶち撒けた。
「なっ―――っ!! はぁっ!?」
かなり驚いた様子のライナスは床に書類をまき散らしたことも忘れ、勢いよく執務机に両手を突いて立ち上がった後、そのまま石像のように固まる。
そんなライナスの失態を見たセリアネスが慌てて駆け寄り、そのまき散らした書類を急いで回収し始めた。
「何をなさっているのですか……。殿下らしくもない……」
「いや! だって! お前――っ!!」
「本日通常より出勤が遅れたのは、こちらに向かう際、普段以上に城内のご婦人方からお声がけを頂き、その対応に少々時間を取ってしまっていたからです。ですが、それでも十分前には出勤しましたので遅刻扱いにはならないはずですが?」
「そ、そんな事はどうでもいい!! そ、それより、お前! 髪……いつも頭にとぐろを巻いた蛇のように丸めてくっつけていた毛玉は、どこに落として来たんだっ!!」
実は昨日、オフェリア達とのお茶の際にセリアネスが思いついた対策案というのは、このプラチナブロンドの髪を襟足までバッサリと切り落とす事だった。
これならば年配の女性に多い髪型には見えないし、何よりもこのプラチナブロンドの髪がライナスの視界に入る範囲が軽減される。
我ながら名案だと思っているセリアネスだが……。
それとは裏腹にライナスの方は、真っ青な顔色をしたまま、完全に思考を停止させてしまっている。
そんな青白い顔色をして口をワナワナさせている第二王子にセリアネスは、サラリと言い放つ。
「切り落としました」
「切り落としたぁっ!?」
素っ頓狂な声をあげたライナスに対して、何故か得意げな表情を浮かべたセリアネスが、その理由を自信満々に語りだす。
「実は昨日、オフェリア様とシャノン様とお茶をして頂いた際、殿下が私の髪に対して不満をお持ちである事をお二人に相談させて頂きました。すると、いつも髪をまとめ上げている所為ではないかと。ご年配のご婦人は、髪を結い上げていらっしゃる方が多いので、髪型を変えてみてはと、お二人からご助言を頂きまして」
「だ、だからと言って、何故切り落とすという発想になる!?」
「お二人は初めハーフアップを勧めてくださったのですが……それでは髪が零れ落ちて業務中では支障が出てしまいますし、何よりもライナス様にとって目障りなこのプラチナブロンドの髪が余計目につきやすくなってしまいます。そこで私なりに年配の女性に見られず、尚且つこの髪が目立たない髪型として思いついたのが、この短髪でございます!」
名案だと言わんばかりのそのセリアネスの言い分を聞いたライナスは、こめかみに青筋を立てながらブルブルと震えだした。
「ふ、ふざけるなっ!! そんな短絡的思考で、お前はあの長かった髪をあっさり切り落としたのかぁ!? バカかっ!! そもそも髪は女性の命とも言われているではないかっ!! それを……そんな躊躇なく、あっさりと……」
「確かに髪は女性の命と称されるご令嬢は多いですが……私は令嬢であると同時に騎士でもあります。その為、容姿を磨く事よりも、まず如何に自身の任務を遂行しやすい身なりを心掛けるかを重視しなければなりません」
「ならば今後、俺と公の場に出る際に大きな支障が出るとは考えなかったのか!? そんな短髪でドレスを着た女をエスコートしなければならない俺の立場をお前は、考慮しなかったのかっ!?」
「その点に関しては、すでに対策済です。切り落とした髪は東国出身の腕の良いカツラ職人に依頼し、精巧なつけ毛として加工致しましたので、夜会等に参加する際はそちらで対応可能です」
「普段からその短髪を見慣れている者達は、お前のその髪が偽りの物だと、すぐに気づくだろうがっ!! お前は偽物の髪であるつけ毛を着けた状態で、第二王子の俺にエスコートをさせる気かっ!!」
「でしたら……以前ご提案頂いたように私は夜会等には、この騎士服で参加いたします。それならばライナス殿下がエスコートをなさる必要はございませんので……。そもそも殿下が夜会に参加される理由は、経済情勢などの情報を他国の王族や有力貴族の方々から得る為の交流目的がメインであって、王太子ご夫妻や三大侯爵家に婿入りされるルーレンス殿下方のように婚約者とのダンス披露等のアピールは、免除されておりますよね? ならば私のエスコートをなさらなくても何も問題はないかと……」
「問題、大有りだぁぁぁぁぁぁぁー!!」
淡々と答えるセリアネスについにライナスの怒りゲージが振り切れた。
そもそも何故セリアネスが髪を切り落としたのか、その辺りの説明が一切ない。その事に苛立ちを募らせたライナスが、ついに核心を問いただす。
「大体! 何故それがお前の髪を切り落とす事に繋がったのか意味が分からんっ!!」
「何故とおっしゃっても……。一番の理由は、殿下が私のこの髪色に不快感を抱かれているようでしたので、このままでは補佐である私が側にいる間は、ご公務に集中出来ないのではと判断し、切り落としたまででございます。上司に快適な職場環境を提供致すのも部下である私の役目ですので!」
キリッとした表情で、さも良い動きをしたと自画自賛しかねないセリアネスの言い分にライナスが真っ青な顔色をしながら、ワナワナと震え出す。
そして、ゆっくりとセリアネスに近づいて来た。
「お前……本当にそんな理由で……髪をバッサリ切ったのか……?」
「そんな理由? 上司に対して快適な職場環境を提供する為には些細な事かと……」
茫然自失といった状態でフラフラしながらセリアネスの目の前までやって来たライナスは、両手でガシッとセリアネスの両肩に手を掛けた。
女性にしては長身であるセリアネスだが、ライナスはそこから更に頭一つ分ほど背が高い。
そんな自分よりも目線が上にある上司の顔をセリアネスが、不思議そうに首を傾げながら見上げた。
「殿下?」
すると、ライナスがいきなりセリアネスを抱き込むように自分の方に強引に抱き寄せた。そしてそのまま背を丸めるようにして、セリアネスの襟足が短くなってしまった首の後ろ辺りに顔を埋める。
「今まで……お前の容姿を無駄に貶してしまった事は、全面的に謝罪する……」
今にも泣き出しそうな声でライナスが耳元で囁いた言葉にセリアネスが慌てだす。
「そ、そのように王族の方が、簡単に下の者に頭を下げてはなりません!! そもそも私のこの容姿が殿下を不快にさせていた事は事実で……」
「不快だと感じた事は一度もない……」
「は……い?」
「お前の絹のようなあの触り心地の良いプラチナブロンドの髪も、折れそうな程の華奢で抱き寄せやすい腰回りも、剣ダコだらけでも長く美しい指をした温かい手も……。不快どころか全部俺が好ましく思っている部分だ……」
そう囁かれたセリアネスは大きく目を見開き、ライナスから体を離した。
「ならば、何故あのような言い方を!!」
「それは……その……。ああやって難癖をつけながら指摘していると、どさくさに紛れてお前に触れ放題だったから……」
その言葉にセリアネスは絶句する。
「で、では! 私は殿下がその欲求を満たす為だけに放たれていた言葉を鵜呑みにし、髪を切り落としてしまったという事ですか!?」
「本当ぉぉぉぉーに、すまないっ!! だが……だが、まさかこんな事になるだなんて……。俺も全く予想出来なかったんだ……」
そう力なく呟いたライナスは後悔からか唸るような低い声を出し、再びセリアネスに抱きついて、短くなってしまったプラチナブロンドの髪を襟足辺りから両手で掬い上げるようにして、何度も未練がましそうに撫で出した。
そんな長身の上司兼婚約者に縋るように抱きつかれてしまったセリアネスは、呆れながら盛大にため息をつく。
「そのようなご要望があったのならば、あんな回りくどい方法ではなく、何故素直におっしゃってくださらなかったのですか? そうすればそれなりの対応を致しましたのに……」
「お前……。婚約中の男女ならば、合意さえあれば適度に触れ合いが出来るとでも思っているのか……?」
「まさか! ですが、髪と腰と手に触れるくらいなら……」
「髪と手はともかく! 腰に触れられる事には、もう少し危機感を抱け!」
「殿下ご自身が率先して私に行っていた行為ですが、それを元凶の殿下が注意なさるのですか?」
「くっ……!! 今は欲望に忠実になってしまっていた己自身を殴り倒したいくらい、猛反省している……」
苦虫を噛み潰すように苦痛な表情を浮かべながら若干涙目のライナスが、再びセリアネスの短くなってしまった襟足部分に顔を埋めてきた。
そんな長かった頃のセリアネスの髪に未練タラタラな婚約者の行動に再びセリアネスが、呆れ果てる。
「まぁ、切ってしまったものは、もう仕方がありませんよね……」
「酷い事をしてしまった俺が言うのも何だが……。お前はもう少しショックを受けるとか、俺の事を罵倒するとか、それぐらいの反応をしてもいいと思うぞ……?」
「殿下はお忘れかもしれませんが、私は殿下の側近に任命される一年前までは、この長さの髪でした。そういう意味では、髪が長かった頃よりもむしろこの短髪の長さで過ごした時間の方が私には長いのです」
「確かに十二歳頃のお前は、このくらいの長さの髪をしていたが……」
「そもそも私が髪を伸ばし始めたのは、殿下の婚約者として社交界デビューを控えていた事が一番の理由でした。流石に第二王子の婚約者が短髪では、周囲から白い目で見られてしまうので……。ですが現状では、もうすでに私は社交界デビューをしておりますし、素晴らしいつけ毛もあるので何の問題もございません」
そう言い切ったセリアネスから少し体を離したライナスが、再び両肩に手を掛け、信じられないというような表情で目の前の自身の婚約者を凝視する。
「いや、だが! 髪だぞ!? 髪は女の命だろう!? それを俺は故意ではなかったとはいえ、お前に切らせるような決断をさせてしまったのだぞっ!? ハッキリ言って、簡単には許される事ではないだろう!! 流石に今回の事に関しては、全面的に俺に非がある! だから責任を取る覚悟は出来ている……。遠慮なくお前の要望を俺に言って欲しい!」
そう言ってライナスが、ユサユサとセリアネスの両肩に掛けた手で全身を揺する。
責められて当然の行動をしてしまったライナスだが、あまりにもセリアネスがその事に関して割り切り、自分を一切責め立ててこないので、逆に罪の意識に苛まれ出したようだ……。
だが体を揺すられているセリアネスは正直なところ、何故ライナスがそこまで責任を感じてしまっているのかが、理解できない。何故なら彼女にとって以前の長かった髪には、そこまで未練がないからだ。
だがライナスの方は、かなり責任を感じてしまっている様子だ。
そこでセリアネスは、ある要望を口にしてみる。
「本当にお気になさらないでください。ですが、まぁ要望を聞いて頂けるのであれば、一つだけ……」
「何だ! 遠慮なく言ってみろ!!」
「今後もこの短髪でいる事をお許し頂けないでしょうか? 久しぶりに短めにしたら、あまりにも手入れが楽なので快適すぎまして……」
それを聞いた瞬間、再び目の前でライナスが放心状態に陥り、そのまま固まった。しかも更に涙目になっている……。
「あの……殿下? ダメでしょうか?」
更なる念押しの一言で、ライナスが力なく項垂れながら再度縋るようにセリアネスの頭部を抱きかかえ、背中を丸める。
「その要望は勘弁してくれ……。お前の髪に触れる癒やしを奪われたら、俺は苦痛な内勤公務に耐えうる術を完全に失ってしまう……」
いつも人を揶揄うような態度の俺様第二王子の珍しく弱り切った様子にセリアネスは、何となくその大きな背中を慰めるようにポンポンと軽く叩いた。
そして今後の快適な短髪ライフは、諦める事にした……。
それから一年後――――。
セリアネスが十八歳になり成人すると、ライナスが伯爵位を賜り、本人が希望していた領地の辺境伯となる。
その三か月後、二人は王都で挙式したのだが……。
その際、夫となったライナスは、やたらと花嫁の髪に過剰に触れていた。
そのあまりにもしつこいスキンシップに花嫁であるセリアネスが呆れてしまう。
「ライナス様……。折角、念入りにセットして貰った髪型が乱れてしまいますので、やたらお触りになるのは控えて頂けませんか?」
「良かった……。挙式までに間に合って……」
妻の訴えなど全く耳に入っていない様子のライナスは、やや涙ぐみながらセリアネスの耳の手前に垂らされた横髪を何度も何度も指に絡めとる。約一年半前にバッサリ切り落としてしまったセリアネスの髪は、何とか肩を隠すくらいまでには伸びていたのだ。
だが、その時のセリアネスの思い切った行動は、どうやらライナスに深いトラウマを植えつけてしまったらしい……。
その後、セリアネスは夫ライナスより「いいか!? 今後、俺の許可無しには、絶っっっっっ対に髪を切るなよ!? 絶っっっっっ対だからな!?」と、しつこいくらい何度も念を押され、その絹糸のような美しいプラチナブロンドの髪を生涯、腰の辺りまでの長さで維持する事となってしまう……。
その間、妻の髪を過剰な程、愛でている辺境伯の姿が夜会などで何度も目撃された為、元第二王子のライナスは社交界では屈指の愛妻家として名を馳せたそうだ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
尚、他の王子達のお話もよろしければ、ご覧ください。
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そして誤字報告してくださった方々、本当ーにありがとうございました!




