【中編】
珍しくそれなりの量で仕事を一気に捌いたライナスの書類を抱えながら、セリアネスが王太子リシウスの執務室の扉を軽くノックする。
「失礼致します」
そのままドアノブに手を伸ばそうとすると、先にスッと扉の方が開いた。
すると、第一王子付きでもある同僚の騎士が入室を促してくる。
同時に小鳥のさえずりのような美しい声が自分に掛けられた。
「セリ! あら? でも今日は随分とライナス様は、お仕事に前向きでいらっしゃるのね?」
そう言って女神の様な慈愛に満ちた微笑みで出迎えてくれたのは、一年前に王太子妃となった元フォレスティ侯爵令嬢のオフェリアだ。
婚約期間中から仲睦まじかった王太子夫妻は、結婚後も夫リシウスの希望で妻を常に執務室に待機させ、簡単な仕事を手伝わせている。
「オフェリア様。毎回上司であるライナス殿下が、ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません……」
「ライナス様は内勤ご公務に関しては、お仕事を手に取られるまでがお時間を要するのよね……」
ふぅと美しくため息をつく王太子妃オフェリアに一瞬、セリアネスが見惚れてしまう。
すると奥で公務をこなしていたリシウスが、あからさまに咳払いをしてきた。
その事に気付いたセリアネスが、慌てながら王太子にも挨拶をする。
「リシウス殿下にもご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ございません」
「いや、むしろセリアネスが、あいつの補佐をしてくれて非常に助かっている。もし他の者であったなら、あいつは内勤公務など放り出し、逃亡ばかりを繰り返していただろうからな」
相変わらずの無表情でそう答えた王太子だが、これが妻オフェリアに対してのみ信じられない程の甘い笑みを浮かべるので、完全なる嫁バカ夫である。
そんな夫の溺愛を一心に受けているオフェリアが、急に何かを思い付いたようにパチンと手を軽く叩いた。
「リシウス様! わたくし、そろそろ休憩を頂きたいと思っていたのですが、セリと一緒にお茶をしてきてもよろしいでしょうか?」
その愛妻の提案に感情をあまり出さないリシウスが、珍しく不満げに片眉を上げた。
「だが、セリアネスは現在勤務中なのでは?」
「その件に関しましては、ライナス様の方へセリを少々お借りすると伝言を致します」
「だが……そうなると私とのお茶の時間が……」
「実は先程、妹のシャノンが登城したと連絡を受けたので、本日は久しぶりにセリとシャノンの三人で、女性同士でお茶を楽しみたいのです」
瞳をキラキラさせながら懇願してくる愛妻に流石の嫁バカ王太子も折れる。
「分かった。だが、その後に私とのお茶にも付き合って貰う。構わないか?」
「ええ! 喜んで!」
半ば強引にお茶休憩を夫に承諾させたオフェリアは、そのままシャノンの待つ客間までセリアネスを連れ出した。
「あの……リシウス殿下にあのようなご対応をされて、よろしいのですか?」
「構わないわ。そもそもリシウス様は、わたくしに少々構い過ぎなのです」
そう言って機嫌良さそうにシャノンの待つ客間に入ると、長椅子に腰を掛けていたシャノンがセリアネスの存在に気付いた瞬間、サッと立ち上がった。
「セリアネスお姉様!?」
「シャノン様、お久しぶりでございます」
オフェリアの妹で侯爵令嬢でもあるシャノンにセリアネスが、少々気取りながら紳士風の礼を執る。それを見たシャノンが、口元で両手を組みながらキラキラした眼差しを向けてきた。
「オフェリアお姉様! セリアネスお姉様を連れて来て頂き、ありがとうございます!」
「ふふっ! シャノンはセリの大ファンですものね」
「わたくしだけでないわ! 社交界のご令嬢方の殆どが、セリアネスお姉様の大ファンなのよ?」
セリアネス自身はあまり自覚がないが、どうやら社交界での自分の位置づけは『男装の麗人』という印象が強いらしい。その為、自分に対してそういう幻想を抱いてくれている令嬢に対しては、サービス精神からか紳士的な振る舞いをセリアネスは無意識で行ってしまう。
「セリは本当に女性にしておくには、勿体ない程の貴公子ぶりだものね」
そう言ってオフェリアがシャノンの向かいにある長椅子に座るよう促して来たので、セリアネスは素直に席に着く。
そしてそのオフェリアは、妹シャノンの隣に座った。
すると、いつの間にか準備に取り掛かっていた侍女達が、手際よく三人の前に香りの良いお茶を出し始める。
「でもセリアネスお姉様がこちらにいらしたら、またライナス殿下がご公務から逃亡なさってしまうのでは?」
ライナスの内勤逃亡癖は、かなり有名らしい……。
その質問にセリアネスが、バツの悪そうな表情で応える。
「ライナス殿下は、現状かなり仕事を溜めてしまわれた事をご自覚なさっているので、しばらくは大人しくご公務に取り組んでくださるかと思います。それよりも……シャノン様の方はよろしいのですか? 本日は確かご婚約者のルーレンス殿下との面会日では……」
「面会はもう終了致しましたので、ご心配なく!」
そう答えたシャノンは、一気に不機嫌そうな表情を浮かべる。
婚約者でもある第四王子ルーレンスとシャノンは、幼少期の頃から犬猿の仲だと周囲から言われている……。だが、二人を幼少期の頃から知っているセリアネスからすると、その様子は子犬がじゃれ合っているようにしか見えないのだ。
それは姉オフェリアも同じようで、妹の様子に苦笑している。
「オフェリアお姉様はいいわよね……。リシウス殿下は婚約期間中から、ずっとお姉様を大切に扱っていらっしゃったもの。まぁ、たまに殿下のその接し方は過剰過ぎるとは思う事はあるけれど……。でもせめてルーにも、そのほんの一握りでもいいから、婚約者に対する誠意ある接し方をして貰いたいわ!」
そうプリプリと怒り、出されたお茶をグビグビと飲み出すシャノン。
その様子を見たオフェリアが、クスクスと笑みをこぼした。
何だかんだ言ってシャノンは、第四王子ルーレンスの事を気に入っている。その事を改めて感じたセリアネスは、ふっと二人にある事を聞いてみようと思い、口を開く。
「あの……お二人は、殿下方より『ここが気に入らない』や『これだけは直して欲しい』等と言われてしまった事は……ございますか?」
するとオフェリアはキョトンとした表情を浮かべ、反対にシャノンの方は盛大にため息をついた。
「わたくしは……無いかしら。ああ、でもこの間、もっと一緒に過ごせる時間を作って欲しいとリシウス様に切実な様子で懇願された様な気が……」
「リシウス殿下は相変わらずなのね……。十分過ぎる程、お姉様と過ごされていらっしゃるのにこれ以上その時間をお作りになって、どうなさるおつもりなのかしら」
すると、シャノンの言い分にオフェリアが苦笑する。
だがシャノンの方は、その義兄の呆れる要望へのダメ出しよりも自身の婚約者への不満の方を訴え始めた。
「ちなみにわたくしの方は、頻繁にそのような戯言をルーに言われています! 『言い方がきつ過ぎる』とか『そのじゃじゃ馬は死ななければ直らない』とか……。この間なんて、ドレスについて『露出が多すぎで品がない』と言われたのよ!? 王妃様がわざわざ王室御用達の工房に依頼されて、ご用意してくださった素敵なドレスだったのに!!」
再び婚約者への怒りを爆発させたシャノンが、今度はお茶と一緒に出されていたケーキをバクバクと食べ始める。
だがそのルーレンスの不満は、シャノンが他の男性の視線を集めてしまう事を懸念してのものだと第三者が聞けば、すぐに分かる。
その二人の話を聞いたセリアネスは自分達とは違い、二人は相手から望まれている存在なのだと感じた。
だがそんな仲睦まじい間柄でも、やはり気に入らない部分というものは、どうしても出て来てしまうのだろう。
その場合、二人はどう対応しているのか気になったのだ。
「シャノン様は……ルーレンス様にそのように言われてしまった際は、どう対応なさっているのですか?」
「わたくしですか? そうですね……。とりあえず、ドレスに関しては仕方がないので、露出を少し控え目なデザインにするよう配慮し始めました。あとは……言い方がきつくなってしまう事も確かに多いので、その部分も出来るだけ気を付けようとは心掛けております。まぁ、実際は心掛けただけで終わってしまっていますが!」
やや勝ち誇るような表情を浮かべ、力強く答えるシャノンに姉オフェリアが吹き出しそうになり、慌てて扇子で口元を覆った。
「シャノンは相変わらずルーレンス様に対して厳しいのね……。ちなみにわたくしの場合は、いつでも一緒という訳にはいかないので、リシウス様がご公務をされている時間帯は、出来るだけご一緒するように心掛けているわ。それでも足りないと言われてしまうのだけれど……」
苦笑しながら零すオフェリアから、王太子夫妻の仲の良さを改めて実感する。
そう言えば最近、大の甘い物好きだったリシウス付きの側近の同僚から、急に甘いものが苦手になったという話を聞いたのだが……もしかしたら原因は、この二人が無駄にまき散らす甘さにやられた可能性がある。
そんな事を考えていたら、オフェリアが悪戯を企む様な笑みを向けてきた。
「もしかしてセリは、ライナス様に何か言われてしまったの?」
「いえ……その……。今に始まった事ではないのですが、どうやらライナス殿下は、私の容姿でお気に召さない部分が多い様で……」
「まぁ! ライナス殿下は、美し過ぎるセリアネスお姉様のどこがお気に召さないと言うのですか!?」
セリアネスファンのシャノンが怒りの声をあげる。
「それが……老婆みたいな髪色や、細すぎて骨ばった体型で抱き心地が悪そうだとか、手が厳ついので女性らしくない等の今更改善不可能な部分で苦情をおっしゃるので、一体どう対処すればいいのか、最近悩んでおりまして……」
「お、お姉様のその絹のような美しいプラチナブロンドの髪は宝です!! それを老婆のような髪色だなんて……。ライナス殿下の美的センスを疑います! それにお姉様の体型は骨ばっているのではなく、スレンダーと言うのです!! それは女性にとっては憧れの体型ですのにぃー!!」
「シャノン、そんなに感情的にならないの。ライナス様も恐らくセリを揶揄う為にその様な事をおっしゃっただけよ? でも、そうね……。髪に関しては、セリはいつも結い上げてばかりで、その素晴らしいプラチナブロンドの髪の美しさが強調出来ていない気がするわ……。しかもあなたは女性にしては長身だから、遠目では男性のような短髪に見えてしまう事もあるし。試しに一度、ハーフアップのような髪の一部を下ろす髪型をしてみたら、どうかしら? そうすればライナス様もその素晴らしいプラチナブロンドの髪の価値がお分かりになると思うの」
「ハーフアップ、でございますか……」
確かに勤務中は邪魔になるので、三つ編みにした髪束を丸め、それを目立たないピンでガッチリ留めてまとめてしまっている事が殆どだった。
だが……セリアネスが注目したところは、そこではない。
「なるほど……。このプラチナブロンドの髪自体のイメージを少し変える様な髪型に変更するというのは、名案ですね!」
「セリアネスお姉様! ご勤務中もハーフアップになさるのですか!? ならばわたくし、是非拝見させて頂きたいわ!」
「いえ、流石に勤務中にその髪型だと業務に支障が出てしまうので……。ですが、お二人のお陰でとても良い対策案が思いつきました! これならばきっとライナス様もお気に召してくださるかと思います」
そう言ってスッキリした表情を浮かべたセリアネスは二人と別れた後、早々にその対策案の準備を始めた。
オフェリアの話は【この婚約は政略的なものだと言い張る王太子】で。
シャノンの話は、評価ボタン前後辺りにある【真実の愛に目覚めたと言い張る婚約者】で読む事が出来ます。