玄崎宏美が押し掛けてくる
異能を使っての初めての死闘の翌日、全身の筋肉が痛くて起き上がるのに一苦労した。
特に回し蹴りを受けた腹部は、内出血を起こして大きな青タンができていた。
「見て来てくれないか?」
座椅子に凭れている俺は、執拗にインターホンが鳴るのでサスケを門まで行かせた。
『玄崎宏美さんです』
『だろうな』
『案内してきてくれ』
覚悟はしていたが早いお出ましだった。
「おはようございます、昨日は助けて頂いてありがとうございました」
「おはようございます、今日はどのような御用で?」
「昨日の事を聞かせて貰いに来ました」
玄崎宏美は真剣な表情をしている。
「今日はお休みなのですか?」
「いいえ。今の私に、昨日起きたことの究明以上に大事なことはありません」
「朝のニュースを見ました。府警本部で大爆発が起きたようですね」
どこまでも惚け通すつもりでいる。
「何を言っているのです。貴方もあの場所に居たではないですか」
座卓に両手を衝いた玄崎宏美が身を乗り出してくる。
「何のことですか? 今日は俺を聴取されに来られたのですか?」
「聴取だなんて、私はお話しが聞きたいだけなのです」
「俺には話すことは何もありません」
冷たく突き放した。俺にも何が起きているのか分からないのだから仕方がない。
「昨日は五芒星についても、府警本部で事件が起きるだろうことも話して下さったではありませんか」
玄崎宏美が食い下がってくる。
「そうでしったっけ? 俺の話しが聞きたかったら、今回の事件に俺が関与した証拠を持って来て下さい」
「そう言うことではなくって……」
(私は貴方のことが心配なだけで)
玄崎宏美が悲しそうな表情になったので、つい心を覗いてしまった。
「俺のことなら心配いりませんよ。危険なことには近づかないように心掛けているし、力量以上の仕事を引き受けるつもりもありませんから」
真剣な眼差しの玄崎宏美に笑顔を見せた。
「ええっ?」
玄崎宏美が怪訝な表情になったので慌てた。
「今日も迷子の猫を探しに行かないといけないので、他に用がなければ帰って貰えませんかね」
「そうですか。また来てもいいですか?」
「いいですよ」
俯いてしまった玄崎宏美を見ていると、心を覗いたことを悔いた。
「お邪魔しました」
訪れた時の勢いがなくなった玄崎宏美は静かに席を立った。
感謝の気持ちが伝え切れずに、失意を抱いて帰る玄崎宏美の後ろ姿は寂しそうだった。
『主、いいのですか?』
「いいのだ。異能を使うことを決めた以上、あまり人とは関わりを持たない方がいいのだ」
心を閉ざしていた時とは違った寂しさがあるが、昨日の戦いを思うと独りの方が気が楽なのだ。
府警本部での惨劇から半年が過ぎたが、事件の詳細は公表されていない。
殺害された警察関係者も報道関係者も、謎のドーム内で起きた爆発事故による死亡と発表されて詳しくは伏せられてしまった。
後で知ったのだが殺人犯五人の遺体から特殊なDNAが見つかった事で、特別調査班が作られ極秘扱いとなったのだ。
事件当時現場近くでは電子機器が全て作動不能になっていて、監視カメラを初めとする一切の記録が残っておらず、特別調査班は各方面から解明に当たったが、何も掴めず暗礁に乗り上げたのだった。
その後、五芒星に関わるような事件もなく、俺の周りでは穏やかな時間が流れていた。
明石探偵事務所は迷子の動物探しで少し名が売れて、仕事がコンスタントに入るようになっていた。
「おはようございます」
インターホンの向こうから明るい声が響いてきた。
「何か御用でしょうか?」
雰囲気は変わっているが玄崎宏美だった。
「お願い事がありまして、伺いました」
「カギは開いていますから、お入り下さい」
「お邪魔します」
「どうしたのです、その恰好!」
別人のような玄崎宏美を見て驚いた。
ジーンズに白のTシャツの上にベージュのカーディガンを羽織っている玄崎宏美は、ストレートだった黒髪をウエーブのかかったラベンダー・べージュ色に染めていた。
「似合っていませんか?」
「綺麗だと思いますが、明日からの仕事に差し障りがあるのではないですか?」
どう見ても刑事がするような格好ではなかった。
「警察は辞めたので問題ないわ」
「そうなんですか」
さらに驚いて続く言葉が出てこなかった。
「サスケ君、元気だった。あの時は助けてくれてありがとうネ」
俺の横でお座りをしているサスケの前にしゃがんで頭を撫でる玄崎宏美は、刑事だった時とはキャラが変わってしまっている。
「ところで、ご用件は?」
嫌な予感がして心を読むのは止めておいた。
「私をここで雇って下さい」
玄崎宏美はしゃがんだまま、上目遣いにおれを見詰めてきた。
「突然、何を……」
潤んだ瞳が色っぽくて言葉に詰まってしまった。
「ダメですか?」
「人を雇うような余裕はありませんよ」
口元にも色っぽさを滲ませる玄崎宏美を見ていると心を覗きそうになり、慌てて頭を振った。
「そうですか」
悲しそうに立ち上がった玄崎宏美が俺を見詰めている。
「どうかしたのですか?」
「私の心を読んで下さい。読めるのでしょ?」
玄崎宏美が頬を真っ赤に染めている。
「何を言っているのですか。そんなことができる筈がないでしょうが」
「府警本部での一件以来貴方のことを考えていました。貴方には不思議な力があるのだと言う考えに至った時、私との会話で心を読まれたのだと思える節が何度かあったのです」
玄崎宏美がジーッと俺を見詰めているので、逆に心を見透かされているような気がした。
「何をバカなことを言っているのですか」
「待って下さい。私は本気です、雇って貰えるまで毎日来ますから」
話を打ち切って逃げようとしたが駄目だった。
「万が一にも俺に不思議な力があるとして、貴女に何ができるのですか?」
「何もできません。ただ貴方の傍にいたいのです、サスケ君のように」
玄崎宏美は一度も視線を逸らさずに俺を見詰めている。
『主の負けですね』
「黙っていろと言っただろ」
尻尾を振っているサスケを睨んだ。
「ええっ。貴方はサスケ君と会話ができるのですか?」
玄崎宏美が大きな目で、俺とサスケを交互に見ている。
「できますよ、飼い主ですからね。愛犬家なら誰でも少なからずコミュニケーションを取るでしょう」
進退極まって開き直ってみた。
「凄いですね。私を……」
玄崎宏美がペットショップで初めて見た時のサスケと同じ目で俺を見ている。
「貴女を雇いましょう、ただし給料を払えるかどうかは分かりませんよ」
心を覗くのが怖くて折れてしまった。
「構いません。ありがとうございます」
玄崎宏美が深々と頭を下げた。
「都合のつく日だけ来て下さい」
どうせそんなに忙しくないので、自由出勤で様子を見ることにした。
「マンションを引き払って必要な物は車に積んできましたので、今日からこちらでお世話になります」
「はい?」
玄崎宏美の思い切った行動に言葉を失った。
「給料は要りませんので、サスケ君と同じように」
「それ以上は言わないで下さい。貴女の心を読む気もありませんし、貴女の言葉でも聞きたくありません」
玄崎宏美が本気だと知って狼狽えた。
「私のことはヒロミと呼んで下さい。サスケ君、よろしくネ」
玄崎宏美は美貌を真っ赤に染めると俺から視線を逸らして、サスケの頭を撫で始めた。
『主、童貞を卒業するのは近いですね』
「サスケ! 怒るぞ!」
恥ずかしさを隠すために拳を振り上げた。
『外で遊んできます』
「待て!」
サスケが庭に走り出したので追い掛けた。
「仲がいいのね、羨ましいわ」
ヒロミが笑顔で俺たちを見ている。
我が家の二階の一室にヒロミが住むようになって三日が過ぎた。
食事の準備だけでなく洗濯や掃除など身の回りのことをしてくれるので助かるのだが、女性が傍にいることでムラムラが溜まるので困った。
このまま平穏な日々が続くとは思えないので、彼女と深い関係になるのが怖かったのだ。
「サスケと迷子の猫探しに行ってくるから、ヒロミは留守番を頼むよ」
もう一つ悩みがあった。ヒロミがいることで、家で異能が使えないことだ。
「サスケ君とばかり出掛けるのですね、私も連れて行って欲しいわ」
ヒロミの顔から笑顔が消えている。
「ヒロミを現場に連れて行っても役に立たないだろ」
「私は元刑事ですから捜索には慣れているわよ」
『彼女に異能を見せたらどうです。隠れて訓練を続けるのには限界がありますよ』
『しかし、異能を受け入れる人間はそうはいないぞ』
サスケとは思念で話すように心掛けている。
『今さらでしょ。それに受け入れられなくて、出て行ったらそれはそれでいいではないですか』
『そうだが、他で話されたら困るからな』
『彼女と別れるのが、そんなに嫌なのですか?』
「そんなんじゃない!」
言い争っていて、つい怒鳴ってしまった。
「今度はサスケ君と内緒話ですか、やはり私は邪魔者なのね。今日は休ませて貰いますから好きにして下さい」
ヒロミが不貞腐れてしまった。
「違うのだ。君に出て行かれると困るから隠していることがあるのだが、そのことでサスケと言い争っていたのだ」
「私に隠していることですか?」
「ああ。もし怖くなって出て行っても、俺たちのことは誰にも話さないと約束してくれるかい?」
「約束するわ」
ヒロミが真剣な表情に戻っている。
「俺が動物と会話していることは知っているだろ」
「信じられないことだけどね」
ヒロミが頷いた。
「俺には他にも霊を見ることができるし、精神を集中することで人の心を読めるし、近い未来を見たりすることもできるのだ」
「未来を見ることまで出来るのだ!」
「驚かないのかい?」
「驚いているわよ。でも府警本部での戦いを見ている私には、それほど大層なことだとは思えないわ」
「ああ、そうなのだ」
この世のものとは思えない悲惨な現場に居合わせたことが、ヒロミには大きなトラウマとなっているようだ。
「でも、どうして私に隠しているの?」
ヒロミが俺を見詰めて詰め寄ってきた。
「それは、君を危険に巻き込みたくないからだよ」
「危険?」
「府警本部に小鬼が現れたのは、始まりでしかないと思っているのだ。きっともっと恐ろしいことが近い内に起きて、俺はそれに引き込まれるだろうと予感しているのだ」
予感が外れて欲しいと思っているが、一度異能を使って鬼と戦った以上このままで終わるとは思えなかった。
「私は貴方がいなければ府警本部の事件で死んでいたわ。だから貴方の傍で貴方のために生きたいと思ったの」
ヒロミが熱い眼差しで俺を見ている。
「俺の方こそ、君をあの事件に巻き込んですまないと思っているよ」
「そう思うのなら、私に隠し事はしないで」
ヒロミが微笑んだのでホッとした。
「ひとついいかな。俺のことを貴方と呼ぶのは止めてくれないかな」
「サスケ君はご主人様を何と呼んでいるの?」
ヒロミはサスケの前にしゃがむと話し掛けている。
『主だよ』
「そう、主か。私もそう呼ぼうかな」
「ええっ! サスケの声が聞こえるのかい?」
「頭の中に響いてきたわ」
「驚かないのだな」
「貴方の傍にいたら、大概のことでは驚かないわ」
ヒロミの言葉に、こちらが女性の順応性に驚かされた。
「また貴方と呼んでいる」
「それじゃ、主」
上目遣いに見上げてくるヒロミが微笑んでいる。
「君のことをヒロミと呼ぶのだから、リュウジでいいよ」
「リュウジね。分かったわ、リュウジ」
女性に馴れ馴れしく呼ばれて、頭の中がボーッとなってしまった。
『僕はサスケでいいよ』
「サスケ君は、先輩なのだからサスケ君よ」
ヒロミはサスケの頭をクシャクシャになるまで撫でている。
(何の先輩なのだよ)
呆れて突っ込む気力もなくなり、独り縁側に座ると異能に磨きを掛けることにした。