女子大生失踪事件
少女誘拐事件が忘れられそうになったとき、玄崎宏美が大学時代の同級生だと言う女性を事務所に連れてきた。
「松田由紀と申します」
大手企業の受付嬢をしているだけあって、容姿だけではなく服装も洗練されていた。
「明石龍二です。今日はどのようなご用件で?」
名刺を渡す俺は相変わらずのジーンズコーデだ。
「大学生の妹と、三週間前から連絡が取れないので探して欲しいのです」
「警察には?」
「捜索願を出したのですが、彼氏と旅行に行くと言う置手紙があったので、家出と判断されて探しては貰えていません」
「その彼氏とは?」
「両親も私も彼氏がいたのを知らなかったのです」
松田由紀は薄化粧した美貌を悲しげに歪めている。
「そうですか。警察は事件性がないと判断しているのですよね?」
相変わらず紺色のスーツ姿の玄崎宏美に話しを振ってみた。
「現段階で警察が動く事はないわ。だから由紀に貴方を紹介したのよ」
「俺は迷子の動物を探すのが専門の探偵ですよ。貴女も知っているでしょ」
「知っているわ。優秀な探偵さんだと言う事を」
玄崎宏美が大きな瞳で見詰めてくるので、こっちが恥ずかしくなって視線を逸らしてしまった。
「見つかっても見つからなくても、費用は掛かりますが良いですね」
「はい。結婚のために貯めた貯金がありますから、費用の方は大丈夫です」
「そうですか、では明日から探します。五日毎に連絡を入れますので、状況によって継続の判断をして下さい」
「分かりました」
俺が調査を引き受けた事で、松田由紀の表情が少しだけ柔らかくなった。
松田奈津美が失踪した状況を詳しく聞き、写真を受け取ると引き取って貰った。
動物と違って人間は行動範囲が広いので探すのは骨が折れるが、俺の異能を使えば探し出すのも不可能ではなかった。
先ずは松田奈津美の彼氏を探す事から始めた。
相変わらず人と話すのが苦手な俺だが、大人しくて可愛いサスケを連れているので警戒されることなく話が聞き出せた。
アパートの周辺では彼氏を見かけた人はいなかったが、大学のサークル仲間から串本克己と言う名前を聞き出す事ができた。
串本も同じ大学の生徒だったので、三日目には住所を突き止める事ができた。
「串本さんですね。松田奈津美さんのご家族に頼まれて探しているのですが、奈津美さんが今何処にいるか御存じではありませんか?」
帰宅するのを待ち構えて声を掛けると、名刺を渡した。
「探偵さん? 知りませんよ、ここ一月位連絡が取れないので、僕も心配しているのです」
(こいつは、俺が奈津美と付き合っていたと、なぜ知っているのだ)
串本克己に動揺が見られたので心を読むと、俺が現れた事にかなり動揺していた。
「そうですか。奈津美さんの行き先に心当たりはないですか?」
「ありませんよ。僕の方が知りたいぐらいですよ」
「そうですか。ちなみにですが、貴方の事を奈津美さんのお姉さんに伝えても構いませんか?」
さらに深く心を読むために、揺さ振りを掛けてみた。
「あんたも仕事なのだろうから、好きにすればいいじゃないか」
(あいつらに連絡しないと不味いな)
串本の口調がとげとげしくなってきた。
「そうですか。何か思い出された事がありましたら連絡下さい」
『探査機五郎丸』
電波探査機をイメージしながら心の中で呟いた。
左手が銀色の薄い膜に覆われたが、串本には見えていないようだ。
「分かったよ」
逃げるようにマンションに入っていく串本の背中に、俺の指から伸びた細い糸がくっついている。
『あの男、何か隠していますね』
「ああっ。直ぐに電話をするだろうから分かるさ」
マンションから離れた所に止めたバイクに向かった。
『こんなに離れていて大丈夫ですか?』
「これがあるから大丈夫さ」
『五郎丸ですか』
「そうだ」
サスケには見えていないようだが、細い糸で串本と繋がっている俺には彼の行動が手に取るように分かった。
「もしもし、串本です」
「急にどうした?」
「俺の所に変な探偵が来て、松田奈津美のことを聞いて行ったのです」
「この前の女のことか?」
「そうです」
「お前が心配することはない。今度その探偵が来たら連絡しろ、俺たちで始末してやる」
「分かりました」
「それより、次の女を探しておけよ」
「分かりました。失礼します」
串本のスマホに探査機の糸を侵入させた俺は、会話だけではなく情報の全て抜き取った。
電話の相手は大阪のハングレ組織で、廃ビルを拠点にしていることが分かった。
『玄崎さんに連絡しますか?』
「いや。情報の出所を説明のしようがないから止めておく。先ずは大阪に行ってみようか」
『今からですか?』
「深夜の方が向こうも気が緩んでいるだろうからな」
サスケをバイクの後ろに乗せて三時間近く走ると、解体を待っている廃ビルを見つけた。
ビルの中から男五人と、女二人の微かな思念が読み取れた。
『戦闘訓練が役に立ちそうですね』
「だな」
三~五秒先の未来を見ながら戦う訓練をサスケと続けていたのだが、初めて実戦の時が来たのだ。
喧嘩をした経験がないので、手足が震えている。
音を立てないように廃ビルに忍び込むと、明かりが洩れている奥の部屋に向かった。
静かに開けた積りだったが、ギィーとドアが軋んだ。
上半身裸の若い男がソファーで寝ていたが、流石に気配を感じたのか全員が目を覚ましてしまった。
ライダーズスーツにフルフェイスのヘルメットを被っているので顔を知られる心配はなかったが、ここで負けたら生きては帰れないだろうと言う不安があった。
「何者だ!」
刺青をした男たちは、バットや鉄パイプを手にしていきり立っている。
何も答えずに様子を見ていると、一人が殴り掛かってきた。
三秒先を見て相手の動きは分かっているから簡単に躱すと、相手の突進力を利用してボディーブローを打ち込んだ。
サンドバッグで特訓してきたが、初めて人を殴った感触は気持ちが良い物ではなかった。悪人だと分かっていても人に危害を加えることは、拳より心が痛んだ。
「クウッ」
低い呻き声を洩らす男は、体をくの字に折り曲げて腹を抱えて蹲った。
「やりやがったな!」
バットを持った男が振り回してきたが、当たることはなかった。
軽く足を出しただけで、つまずいて倒れた男は鼻血を流している。
「くそが!」
血相を変えた二人が同時に鉄パイプで殴ってきたので、ステップを踏むように右に左にと躱した。
『主、後ろ!』
「ぶ殺してやる!」
サバイバルナイフを持った男が背後から襲ってきたが、サスケの思念に助けられた。
ナイフを紙一重で避けると回転しながら裏拳を放った。相手を気遣っている余裕は完全になくなっている。
顔面にパンチを食らった男は壁に激突して倒れた。
「何だと!」
鉄パイプを持った男たちが顔色を変えている。
相手の未来を見て闘っている俺の動きに戸惑っているようだ。
『サスケ! やれ!』
『はい』
走り廻るサスケに翻弄される男たちを倒すのに、さほど苦労はしなかった。
『やりましたね』
『ここまで上手く行くとは思わなかったよ』
苦痛に呻いている男たちの手足をテーブルにあった結束バンドで拘束すると、急に強くなったようで含み笑いが止まらなかった。
『体力作りも無駄ではなかったようですね』
『そうだな』
しかし一息ついて緊張が解けると、手足の震えが止まらなかった。
『これから、どうしますか?』
『そうだな』
ベッドに寝かされている女性を確認した。
二人とも裸にされていて、白い肌には男たちのオモチャにされていた痕跡があった。
俺が女性の裸に慣れていたらもう少し詳しく調べたのだが、この時は慌ててシーツを掛けてやる事しかできなかった。
テーブルには注射器などが転がっているので覚醒剤か何かを打たれたのだろう、息はしているが結構な騒動だったのに目を覚ます気配はなかった。
ここは警察に任せるしかないと判断した俺は男たちが持っていたスマホで110番すると、廃ビルでハングレ同士が喧嘩をしていると通報した。
「さて、帰るか」
廃ビルに警官が入って行くのを遠くから見届けると、サスケを乗せてバイクを走らせた。
松田由紀から妹が見つかったので、捜索を中止して欲しいと連絡が入ったのは翌日の午後だった。
松田奈津美が悲惨な状態で発見されたのを知っているので、分かりましたと事務的な返事しかできなかった。
玄崎宏美から会いたいと電話が来たのは三日後だった。
管轄が違うので詳しいことが分からなくても、俺が奈津美を探していたのは知っているのだから当然なことだろう。
喫茶店で話せるようなことではなかったので、事務所に来て貰った。
「奈津美さんが大阪で見つかったわ」
「そのようですね。俺にも松田由紀さんから連絡がありましたよ」
「事件の詳細は聞いていないけど、貴方が関与したのでしょ?」
玄崎宏美が大きな瞳で俺を見詰めている。
「俺は奈津美さんの彼氏を突き止めて報告しようとしていた時、捜索中止の連絡を受けているのですよ。大阪で何があったのかは知りません」
「そう。貴方が危険なことをしたのでなければいいわ」
玄崎宏美の表情が和らいだのでホッとした。
「奈津美さんは無事だったのですか?」
知らないふりを通すことにした。
「生きてはいたけど……」
「何かあったのなら、捜査費用が請求しにくいなぁ」
玄崎宏美の表情が暗くなったので、余計なことを聞いたと後悔した。
男たちに弄ばれた奈津美の裸の姿を思い出すと胸が痛んだ。
「貴方は仕事をしたのだから請求すればいいわ。何なら私が請求書を預かって行ってもいいわよ」
玄崎宏美は俺を気遣ってくれているようだ。
「報告もあるので自分で届けます」
「厄介な仕事ばかり持ち込んでごめんなさいね。お詫びに休みの日に事務所を手伝わせて貰えないかしら?」
(少しでも傍にいたいなぁ)
「仕事もないのに手伝ってもらうことなどありませんよ」
玄崎宏美の心の呟きが聞こえて、作り笑いで逃げた。
『主よ、早く童貞を卒業しないと苦労しますよ』
「何を……」
「どうかした?」
「いいえ。俺に出来る仕事があれば、また紹介して下さい」
サスケの言葉に動揺する俺は、赤くなっている顔を隠すように玄崎宏美に頭を下げた。
「分かった。今日は帰るわ」
「ああ」
玄崎宏美が立ち上がったのでホッとした。
彼女と一緒にいると、何もかも見透かされているようで気が休まらなかった。
「サスケ、人がいる時に話し掛けるんじゃない」
『これからは気をつけます』
ゴロゴロしているサスケは、反省しているようには見えなかった。