山荘の秘密 その1
「担当の山根と申します」
不動産屋に行くと若い男性が応対に出てきた。
「東山にある山荘はお幾らなのですか?」
「これですかね?」
担当者はファイルを開くと写真つきの物件情報を提示してきた。価格は一億五千万円となっていた。
(到底買える値段ではないな)
サスケの提案は考慮の余地なく消えた。これだけの大金になると競馬で大穴を当てたとしても集めるのは不可能だし、不自然すぎてあらゆるところから目をつけられるのに決まっている。
「高いわね。あの山荘は事故物件ではなかったかしら」
ヒロミが横から口出ししてきた。
「事故物件ではありませんよ」
担当者が慌てている。
「たしか少女を誘拐した犯人が立て篭もっていたと、聞いたことがあるのだけど」
「そんな事件もありましたが、それは事故物件には当たりませんから」
「やはりね、だからいつまでも売れないのね。帰りましょうか」
ヒロミは立ち上がると俺を促してきた。刑事としての経験から、相手の心を揺さ振ることには慣れているようだ。
「お待ちください。中をご覧になられてお気に召されたら、お値段の御相談をさせて頂きます」
若い担当者はヒロミの揺さ振りに冷や汗を流しているようだ。
「だそうよ。見てみる?」
ヒロミが笑顔を俺に向けてきた。
「そうだな」
たとえ五千万円になっても買えないのだが、もう一度ゆっくり中を見たかったのでヒロミの誘いに乗った。
「では早速、御案内させて頂きます」
不良物件なのか担当者にかなり焦りが見える。まあ、あんな事件があったのだから、一年以上まったく問い合わせがなかったのだろうと伺える。
山荘の内装は無断侵入したときより綺麗になっているが、ここに住みたいとは思えなかった。
「いかがでしょうか? かなり綺麗に使われていると思いますが」
一階、二階を案内した担当者は十分に説明できたと自画自賛しているようだ。
「これで終わりですか? この山荘には地下室があると聞いているのですがね」
「地下室ですか? 私は聞いていないのですが」
担当者が慌てて資料に目を通している。
確かに台所の横にあったドアが、今は壁になっていた。どうやら五芒星があった空間だけではなく、地下室も封印されてしまったようだ。
「やはり、この山荘に、地下室は、ないようですね」
ツバキを抱いているヒロミに見詰められている担当者は、バインダーを閉じてしどろもどろになっている。
(誰が仕組んでいるか知らないが、怪しいなぁ)
さらに疑惑が深まりどうしても山荘を手に入れたくなったが、俺の甲斐性では到底手がでる金額ではなかった。
「素敵な山荘だから、帰って検討してみましょうか?」
「そうだな。今日は案内していただきありがとうございました、また連絡させてもらいます」
静かになってしまっている担当者に頭を下げると、山荘を後にした。
「怪しいわね。あの山荘に地下室があったのは警察も確認しているわ」
「しかし、調べようがないからなぁ」
助手席の俺は項垂れ、後部席のサスケとツバキはゴロゴロとだらけている。
「山荘のことは私に任せてくれない」
「どうするのだい?」
「ちょっと当てがあるから、当たってみるわ。いい」
「任せるけど、無理はしないでくれよ」
思い込んだら突っ走るヒロミが心配になった。
「心配ないわ。叔母様に相談するだけだから」
「叔母様って、マリちゃんのご主人?」
「そう。大金持ちよ」
「お金を借りられても、返す当てはないからね」
「だから、心配しないでって言っているじゃない」
運転するヒロミの笑顔の横顔が少し怖くて、何も言えなくなった。
「リュウジ、山荘を買ったから調べに行きましょう」
「はい?」
叔母様の家に行ってくると言っていたヒロミが、五日ぶりに戻ってくると山荘の権利書を手にしていた。
「買ったって、何を言っているのかな」
理解が追いつかなかった。
「一億三千万円まで値切ったわ。私の名義だけどリュウジも自由にしていいからね」
「何をどうしたら、そんなことになるのかな」
「別に悪いことはしていないし、心が読めるリュウジに隠し事はしていないわ」
ヒロミは呆気に取られている俺を見て微笑んでいる。
突然、刑事を辞めて押し掛けて来たときも驚いたが、彼女の行動には異能以上に捉えどころがなくて諦めの境地に入りかけている。
『ヒロミ、お帰り。寂しかったよ』
『お帰り二ャー』
サスケとツバキが擦り寄って甘えている。
「只今、ごめんね」
二頭の頭を撫でるヒロミが無邪気な顔をしているので、俺の驚愕による追及は尻切れトンボで終わってしまった。
後で分かったことだが、森田啓子の夫はヒロミの父親の弟で、森田夫婦には子供がなくて以前からヒロミを養女にと言う話が進んでいたのだ。
今回、養女の話を承諾することで山荘を買って貰ったと言うのだから、その破天荒さに俺は驚くしかなかった。
翌日、早速山荘に向かった。
「聖剣五郎丸!」
地下室へのドアがあった壁を切り取ると、階段が姿を現した。
地下室に下りると、棚などは綺麗に運び出されてコンクリートの壁に囲まれた空間があるだけだった。
『以前と変わりありませんね』
「そうだな」
「隠し空間はどこにあるの?」
ツバキを抱いたヒロミが後ろをついてきている。
「ちょっと、待ってくれよ。探査機五郎丸!」
左手に纏わりついた五郎丸から伸びた細い糸が、壁の隙間を探し出して侵入していった。
「ここだなぁ」
すぐに暗闇の空間を見付けたが、意識を集中させて床を確認することはしなかった。前回気分が悪くなった原因が分かっていないのだ。
「これでは、警察では分からなかったはずね」
ヒロミが壁を叩いてみたが周囲との違いは分からなかた。
「サスケとツバキは何か感じるか?」
『特に何も感じません』
『感じない二ャー』
「頑丈そうな壁だけど、どうするの?」
「五郎丸で斬ってみるよ。もしも、俺に異常が現れたここから運び出してくれ」
「少し待って」
ツバキを下ろしたヒロミは、バックからチュンコ丸を取り出した。
「いいわよ」
「聖剣五郎丸!」
刀形の五郎丸を握って意識を集中させると、黒くて鋭い刃が現れた。
重機でもなければ壊せないような壁に五郎丸を突き刺すと、豆腐を切るようにあっさりと斬れてしまった。
人が通れそうなほどの入口を作ると、封印されていた空間が現れて、コンクリートではなく漆喰で固められた床に描かれた五芒星が露になった。
その部分だけが、古墳で発見された絵文字のような古さがあり、時代の違いを感じさせた。
『主、大丈夫ですか?』
「大丈夫だ。探査機五郎丸。……くう……」
前回の異変の原因が分からないので細い糸を五芒星の上に這わせると、全身に悪寒が走って立っていられなくなった。
「リュウジ、大丈夫!」
ヒロミが慌ててチュンコ丸を当ててくれると、温かい光に包まれて気分が良くなった。
『主、この結界は不完全です二ャー』
ツバキが五芒星の上を確認するように歩いている。
「分かるのか?」
『はい二ャー。一部が消えていて、本来の力を発揮してない二ャー』
「そうか。完成するとどうなるのだ?」
『この山荘を邪気から守る結界が張られるはず二ャー』
「未完成の五芒星にさえ弾かれている俺は、完全に山荘に入れなくなるなぁ」
少し落ち込んでしまった。
「五芒星を完成させましょうよ。それでリュウジが入れなくなった私が五芒星を壊すわ」
ヒロミが階上から箒を持ってくると、密閉されていた空間の掃除を始めた。
「ヒロミは強いな」
「はい。リュウジを守るのが私の生き甲斐ですから」
「頼もしいね」
苦笑いを返すしかなかった。
ヒロミが四畳半ほどの床を掃き終えると、五芒星がくっきりと現れた。
「どこに問題があるのかな?」
五芒星の絵はパソコンで何度も見ているが、欠損部分が俺には分からなかった。
『ここが消えている二ャー』
五芒星の上を何度も歩いていたツバキが、一箇所をトントンと足で示唆した。
「サスケにも分かるか?」
『僕には分かりません』
『先輩は武闘派だから、考えることは頭脳派の私に任せて欲しい二ャー』
「そうしよう。ところでそこに何が足りないのだ?」
『主の血二ャー』
欠損部分の近くにお座りしたツバキが俺を見詰めている。
「俺の血!」
さすがに驚いた。
ヒロミも鋭い視線をツバキに向けている。
『前回、鬼と戦った五郎丸の所有者が亡くなったときに、ここに垂らされていた血が消え二ャー』
「前回って、いつのことなのだ?」
『五百年前だ二ャー。先輩も知っているだ二ャー』
ツバキの言葉に俺を見ているサスケが頷いている。
「お前たちは何なのだ?」
『主を導くもののと、言ったはずです』
「そんなことを言っていたな。それでこの五芒星を修復すると何が起きるのだ?」
確かにサスケに出会ってから俺は大きく変わっているし、戦う力も養われてきている。今は分からないことの連続だが、目の前にあることから対処していくしかなかった。
『それは分からないだ二ャー』
「分からないのかい」
ツバキの返事にがっくりときてしまった。
「サスケ君もツバキちゃんも、リュウジを守ってくれるのよね」
ヒロミが真顔で二頭を見詰めている。
『もちろん、僕らはそのために生まれてきたのだから』
『そうだ二ャー』
「リュウジ、天王山での戦いはぎりぎりだったわ。また鬼と戦うことになったら次は勝てないかもしれないわ。ここはサスケ君たちの指示に従ったほうが懸命だと思うわよ」
「しかしなぁ」
皆が俺のことを心配してくれているのは分かるが、五芒星を修復することには吹っ切れないものがあった。
特に五芒星が俺の血を求めているとなるとなおさら慎重にならざるをえなかった。
『主、修復後の未来を見てください』
サスケが俺を見上げて促してくる。
「分かった」
密閉されていた部屋から出ると、コンクリートの床で座禅を組んだ。意識を集中させて、十分、二十分……と未来へ時間を進めて行った。
漆喰の床が光り出すと祠が現れて、さらに光が広範囲に広がっていったが、ヒロミもサスケもツバキも平然としているので最悪の事態は起こらないようだ。
「ふうっ」
大きく深呼吸した俺はゆっくりと立ち上がった。
「どうだった?」
チュンコ丸を握ったヒロミが心配そうに見詰めている。
「特にたいしたことは起きないみたいだよ」
「そう、よかった」
「ツバキ。俺の血って、どれぐらい要るのだ?」
『分からないが、少しでいいと思う二ャー』
ツバキは頭脳派と言いながら、返答には分かりませんが多く曖昧だった。