新たな仲間
白石百々子が東京に戻ると静かな日々が続いた。
自ら進んで鬼と戦おうとは思っていない俺は、迷子の動物探しに奔走していた。
そんなある日、縁側で座禅を組んでいるとスマホが鳴った。
「はい。明石探偵事務所の明石龍二です、お電話ありがとうございます」
かなり営業会話が板に付いてきたと自画自賛している。
「こちらは、東山動物園です。ニュースでも御存知かとは思いますが、当園のチーターを探して貰えないでしょうか? 警察にもお願いして捜索しているのですが、二日経った今も見つかっていません。市民に被害が出る前に探し出したいのです。どうかお力をお貸し願えないでしょうか」
迷子探しで少し名前が売れて、個人だけではなくこうして公共施設などからも依頼が来るようになっていた。
「ニュースで観ましたが、確か名前はツバキでしたね。かなり大きな動物なのにまだ見つからないのですか?」
体長一メートル八十センチで、体重は六十キロを超えるチーターだと報道されていた筈だ。
「はい。山の方角に走っていくのが園近くの防犯カメラに映っているのを最後に、一切の目撃情報がないのです」
「山の方角ですか?」
少女誘拐事件が思い出されて、嫌な胸騒ぎが襲ってきた。
「はい。東山の方角です」
「分かりました。明日、一度見に行ってきます。その後で園に寄らせて貰いますので、詳しいお話しはそのときに」
「ありがとうございます。宜しくお願い致します」
動物園としても重大案件として取り組んでいるようで、電話の相手の声にも切迫感が滲んでいた。
「東山と言えば、誘拐犯が入り込んでいた山荘があるところですね」
ヒロミも表情を曇らせている。
「あそこには近づきたくなかったのだが、一度覗いてみるしかないだろうなぁ」
山荘の地下室に封印されていた部屋を思い出して、気分が悪くなった。
「何かあったのですか?」
「少女誘拐事件の後、一度山荘に忍び込んだことがあるのだが、そのとき嫌なものを見てしまったのだ」
元刑事の鋭い眼差しで見詰められて、白状するしかなかった。
「また、どうしてそのようなことを。それに、何を見たのですか?」
「忍び込んだのは誘拐犯の真の目的を知りたかったのだ。子供を誘拐しておいて身代金を要求しないなんて、おかしいだろ」
悪戯を叱られる子供のように必死で弁明した。
「私はもう刑事ではないのだから、そんなに怖がらなくても」
「そ、そうだな」
ヒロミから初めて名刺を貰ったときのことを思い出して、苦笑いが零れた。
「警察も誘拐犯の目的は最後まで分からずじまいだったわ。それで、あそこで何を見たの?」
「地下室の隠し部屋の床に描かれた五芒星を見たのだ」
思い出しただけ背筋に悪寒が走った。
「五芒星って、あの星型?」
「そう、俺が鬼の事件に関わるようになった根元のマークだよ」
「ちょっと待って。警察が調べたけど、山荘の地下室に隠し部屋なんてなかったわよ」
俺を見詰めるヒロミの目が刑事の目になっている。
「隠し部屋と言っても、密閉された空間だったから壁を壊さない限り見つけることはできないだろうな」
「リュウジはそれを見つけたの?」
「俺にはこれがあるからな」
ブレスレットになっている五郎丸を撫でた。
「まあ、今さら驚かないけど。それで、その五芒星に何かあったの?」
「ううン……」
説明に困った。正直、山荘で気分が悪くなった理由は今も分かっていないのだ。
五芒星が邪気を祓う結界を張っているのなら、俺に邪気があり、誘拐犯の方には邪気がないことになってしまうのだ。
「まだよく分かっていないので、今度山荘に行ったら話すよ。ところで。あの山荘は、今どうなっているのかな?」
「確か、売りに出されていたはずだけど、誰も買わないでしょうね」
「警察はどこまで調べたのだい?」
「詳しく調べられたけど、所有者は事件とは無関係だと断定されたわ」
「そう。施工主は分かったの?」
「あの山荘に何かあるの?」
俺の問いに首を横に振ったヒロミが訝っている。
「俺の推測だけど、鬼と関係があるかもしれないのだ」
「鬼と!」
ヒロミの表情が強張り、血の気が引いていった。
「ハ、ハ、ハ。心配しなくても、自分から危険に飛び込んだりはしないよ」
物凄い作り笑いになって自分でも恥ずかしくなった。
「絶対にヨ」
ヒロミが泣きそうな顔で見詰めてくるので、ウン、ウンと大きく頷いた。
「サスケ、散歩に行くぞ」
我関せずと言った感じでゴロゴロしているサスケを呼んだ。
「私は夕食の準備をしておきます」
ヒロミはまだ納得していない表情で台所に消えていった。
『主、このままでいいのですか?』
『鬼の問題が片付かないことには先に進めないさ』
サスケの頭を撫でると、散歩に出掛けた。
翌日は、チーターを探すためにサスケとヒロミを伴って東山に向かった。
『ツバキ、どこだ!』
まずは思念でチーターの名前を呼びながら山荘付近を捜索すると、
『ここです』
と、早速反応が返ってきた。
「居たぞ」
「本当に」
呆気ない発見にヒロミだけではなく、迷子動物探しに慣れてきている俺も驚いた。
『何処に居るのだ!』
『山荘の玄関前です』
俺の思念に驚いた様子もない思念が返ってくる。大概の動物は突然の呼び掛けに警戒するものなのだ。
サスケは相手がチーターだけに襲われるといけないので、リードで繋いで歩かせていた。
「山荘にいるようだ」
「さすが名探偵さん」
ヒロミが茶化してくるが俺には嫌な予感しかしなかった。
動物園にいたとは言え獣なので気を付ながら山荘に向かったが、想像していた大きな動物の姿はなく小さな猫が、売り物件の札が掛かった建物の玄関前に座っていた。
「お前がツバキか?」
『はい』
チーター模様した猫に声を掛けると、怯えた様子もなく返事を返してきた。
「どうして、ここにいるのだ?」
模様意外は猫にしか見えないチーターの前にしゃがむと、静かに話し掛けた。
『ご主人様をお待ちしていました』
「お前もかよ、何なんのだよ」
サスケとの出会いを思い出して眩暈がした。
「リュウジ、どうしたの?」
ヒロミは訳が分からずに、頭の上に?マークを浮べているようだ。
「このチーター模様をした猫のような動物が、動物園を脱走したツバキなのだよ」
「しかし、大きさが」
「サスケもそうだが、ツバキも異能持ちのようなのだ」
「それで大きさが変えられると」
ヒロミは首を傾げている。
「俺にもまだ分かっていないが、たぶんそうなのだろうな」
『ツバキは何ができるのだ?』
『ピストルの弾を弾けるほどに身体を強化できますよ、先輩』
サスケの問いにツバキが答えた。
「身体強化か、それは凄いな」
サスケとツバキの思念会話が普通に聞こえている。鬼との戦いで苦戦している俺には羨ましくなる異能だが、今はこの状況をどうするかが問題だった。
このまま見付かりませんでしたと動物園に報告しても、危険な獣が逃走しているとなると世間の騒動は収まらないだろう。
「ツバキはなぜこの山荘にきたのだ?」
『よく分かりませんが、引き寄せられる何かを感じます』
「そうか。やはり、あの五芒星に秘密がありそうだな」
『主、この山荘を買ってしまってはどうですか?』
「サスケは金のかかることばかり言ってくれるな」
「リュウジ、私にも分かるように説明して」
思念による会話はヒロミにも聞こえているようだが、ここまでの成り行きなどは理解できていないようだ。
「俺にもよく分かっていないのだけど、サスケとツバキは俺やヒロミと同じように異能があって、どうやら俺を主と決めているようなのだ。そしてこの山荘にある五芒星がその秘密の鍵を握っているようなのだ」
「それで私もリュウジに惹かれる訳なのね」
ヒロミが目元を赤くして俺を見詰めるので、慌てて視線を逸らした。
『主、何かきます』
『熊ですね』
サスケとツバキが山奥を睨んでいる。
「追い払えるか?」
『『お任せを』』
「殺す必要はないが毛を一握り毟り取るのだ」
『『分かりました』』
サスケと大きくなったツバキが山に入っていった。
「何が起きているのか、よく分からないわ」
猫の大きさだったツバキが二メートル近いチーターになったのを見て、ヒロミが頭を抱えている。
「落ち着いたらゆっくり説明するよ。今はここでツバキが死んだことにするから協力してくれ」
「ツバキを殺すの?」
「うまくいくか分からないが、世間を誤魔化すための偽装だよ」
「そお、そうよね。私は何をすればいいの」
鬼と壮絶な戦いをしてきたのに、動物を殺すと聞いてヒロミの顔が蒼褪めている。
「サスケたちが帰ってきたら分かるよ」
二匹にとって熊は相手ではなかったようで、熊の皮膚の一部を咥えて戻ってきた。
「ご苦労。これから動物園に提出するツバキの毛皮を少し剥ぎ取る、痛いだろうが我慢しろ」
『はい』
ツバキは詳しく説明しなくても大人しく横になった。
「ナイフ五郎丸」
ブレスレットを変形させると、ツバキの横腹を浅く切り裂き、二十センチ角ほどの毛皮を切り取った。
「ヒロミ、治療をしてやってくれ」
流れる血を見て狼狽えているヒロミに声を掛けると、
「は、はい。お願い、ツバキの怪我を治して」
と、チュンコ丸を抜いて祈った。
暖かい光がツバキを包むと剥ぎ取った皮膚が再生されて、模様も周囲と遜色がないまでに毛が生え揃った。
「ツバキ、大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
「お前は東山で熊と戦って死んだことにする。これで動物園に戻らず俺たちの傍に居られるからな」
『ありがとうございます、御主人様』
お座りしたツバキの身体が縮んでいった。
「ご主人様はやめろ。サスケと同じように主と呼べばいい」
『分かりました、主』
「リュウジは、動物には優しいのね」
ヒロミがチーター模様の猫を抱き上げた俺に、刺すような視線を向けてきた。
「ヒロミもよくやった。さあ、動物園に行って一芝居するぞ」
山荘の問題は後回しにして車に戻ることにした。
『主、早く……』
『黙っていろ』
サスケの言いたいことは分かっているので思念を遮った。
「サスケ君、どうしたの?」
リードを握っているヒロミが、怒られたサスケの頭を撫でている。
『何でもないよ』
「そう。皆で仲良くしましょうね」
ヒロミの言葉にまたひと波乱起こりそうで、気分が重くなった。
ヒロミの車で東山動物園に向かった俺たちが応接室に通されと、園長と飼育担当者が応対にやってきた。担当者は昨日電話を掛けてきた人のようだ。
「早速、山を見に行っていただいたそうで、ありがとうございます」
園長も今回の騒動にはかなり頭を痛めているようで、深刻そうな表情をしている。
「いいえ。昨日、担当さんから電話でお話をお聞きしたところ、一刻も早い方がいいだろうと思い調べに行ったのですが、あまりいい報告はできません」
名刺を交換した俺は、進められるままにソファーに腰を下ろした。
「そうですか」
肩を落とす担当者は、俺が抱いている猫の姿をした動物が気になるのかずっと見ている。
「東山にある山荘の近くを調べていたところ、こんな物を発見したのですが見て頂けませんか?」
血の滲んだタオルの包みをテーブルに出すと広げた。
「これは!」
チーターと熊の毛皮を見た担当者が表情を強張らせている。
「これらが落ちていた周りはかなり荒れていたので、死闘が想像されます。どちらの死体もありませんでしたので、さらに山奥へ入っていたようで探すには大規模な捜索隊が必要になります」
「そうですか。これだけの情報でもありがたいです。これらを見る限り二頭ともかなりの深手を負っていると思われますので、暫く様子を見て判断したいと思います」
剥ぎ取られた毛皮を見る園長も、二頭の生存は難しいと思っているようだ。
「目撃情報がありましたら、捜索の続行をお願いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「はい。いつでも御連絡ください」
「今回の調査費はいかほどになりますか?」
「半日山歩きをしただけですから、動物園の入場券を五、六枚頂ければ十分です」
本当はチーターを貰っているので申し訳ないのだが、異能が関わっているので口にはできなかった。
「そう言って頂けるのでしたら、こちらをお納めください。入場券が十枚はいっています」
園長が机の引き出しから白い封筒を取り出して渡してきた。
「ありがとうございます、頂きます」
「ところで、変わった模様の猫を飼っておられるのですね」
担当者は猫の大きさのツバキを怪訝そうに見ている。
「動物園でも珍しいですか?」
「はい。チーターの子供をさらに小さくした感じで、見たことないですね」
「そうなのですか、大事にします」
偽装がばれると困るのでそうそうに動物園を後にして、山荘を管理している不動産屋に向かった。