YU00 黄泉原(よもつはら)
男はへべれけだった。
酒臭い息を吐きながらうつらうつらしているうちに、完全に眠ってしまっていた。
《右側のドアが開きます》
一駅で降りるはずが、寝過ごしてしまった。
到着のアナウンスに慌てて飛び起き、一目散にドアに走る。
《ドアが閉まります》
降りる予定だった啞尾呼はとうに過ぎているだろうが、出来るだけ早く降りて引き返さなければ。寝ぼけた頭でぼんやりと帰り道を描きつつホームに降り立つと、間一髪、すぐ後ろでドアが閉まった。
「ふ〜、疲れた。ここどこだ」
息をついてよたよたと前へ進み、周囲を見る。
男が立っているのは二本の線路に挟まれたホームで、逆方向の電車は向かいの線路に来るだろう。見れば壁には大きく「黄泉原」と書かれたボードが掛かっていて、一つ前の駅を書く場所には「啞尾呼」と書いてある。
「なんだ、一つ過ぎただけか」
この調子ならすぐ帰れるだろう。
一安心とばかりに近くにある椅子に腰を下ろして、電光掲示板を見る。
次の電車が来る時刻が表示されるはずのそこには、しかし何も映らず、ただ暗いスペースが二段あるだけだった。
「あン? 壊れてんのか?」
地下鉄なので、そう時間を置かずに来るはず。
そう考え座って待つも、電車は一向に来ない。
事故や遅延の表示もなければ、案内もない。
終電までもまだ時間がある。
だが他の客は一人もおらずホームには男一人で、さすがに不安になってきた男は、階段を上り改札階へ向かった。
「時間間違ったかぁ? ボケたかね」
酔ってボーっとして時計を見間違えたのか。もう一度時計を見るが、変わりない。知らぬ間に終電の時間が変更になっていたのかもしれない。
終電で乗り過ごすなんて最悪だ。
仕方なくタクシーを拾うかとも考えながら階段を上る。
改札階は思いのほか広く、綺麗な床の上に等間隔に座り心地の良さそうな椅子がある。
奥にトイレ、反対側に改札がある以外は人気がなくシーンとしていて、無駄な広さが静けさに拍車をかけていた。
「あっれ〜?」
改札横の窓口に顔を出すも、駅員は見当たらない。
奥を覗いても呼んでも返事はなく、静寂だけが返ってくる。
「とりあえず出るかぁ」
そう言って、男は言葉を失った。
改札を出ようと外に目を向けると、そこはただ真っ黒だった。
「……目がおかしくなったかな」
改札の向こう一メートルくらいから先が、何も見えない。気がつけば、暗い中に蝉の声だけがうるさく響いてくる。
ジワジワと競うような蝉の声、真昼の日差しの中に聞こえそうなそれはしかし、暗闇から響いていた。
行ってはいけないような気がして、引き返す。
ホームに戻れば、時計の示す時刻はなぜかさっきと変わらないままだった。すぐ隣の電光掲示板も沈黙したままだ。
悪い夢かもしれない。酩酊しているのだ。
男はベンチに上半身を横たえ、そのまま寝てしまった。
何度か起きて、何度も電光掲示板を確認し、寝る。始発が来るはずの時間は体感時間ではとっくに過ぎているはずなのに、時計は一向に進まない。何日経ったか分からず、そもそも時間が流れているのかも分からない。
ただホームと改札を行き来し、寝て起きて電車を待つ。不思議と腹は減らず、それを繰り返した。
電車はまだ来ない。