YU01 東鳴了(ひがしめいりょう)のホーム下
高校時代、俺はこの駅が嫌いだった。
学校の最寄駅で毎日利用するこの東鳴了の、正確には2番線で帰りの電車を待つ時間がたまらなく嫌だった。
初めは、線路転落事故だと思った。
向かいのホームの下、ぽっかり空いた暖炉のような形の退避スペースの中に、ボサボサの黒髪に薄汚れた淡い水色のワンピースを着た裸足の女が横を向いて三角座りで座っていたのだ。
「あれ、やばくね?」
「なになに」
「あれ。どんだけ必死で逃げたらああなんだよって」
当時の俺は高校生の中でもバカの部類で、ボロボロな姿のそれを見てそんな感想を抱き、そのまま一緒に帰っていた友人たちに伝えた。
「は?」
「あそこの人。線路落ちたんじゃね?」
そこまで言って、向かいのホームが普通すぎることに気がついた。人が落ちたにしては、あまりにも普通。騒ぎが起きてもおかしくないのに、全員が全員無関心で、ただ並んで電車を待っていたりホームを移動したりしている。
「……誰か駅員に言ってんのかな、停止ボタン押す?」
本当に危ないのではないか。焦りとともに、汚れた格好の女をバカにするような気持ちは消える。慌てだした俺を、友人たちは変な目で見ていた。
「マジなに? 線路とか誰もいねーけど」
「なー」
何故気がつかないのか。呑気な友人に苛立ちを覚えながらも女を指差す。
「いや、いるだろ。あそこ、退避スペース?に」
「なんもないって」
「お前そんな小学生みたいなふざけ方やめろよなー」
俺がふざけていると思ったのか、友人二人は笑いながらホームを先へ歩いていく。
まさか、本当に見えていないのか。気味が悪くなってきて盗み見るように視線を遣ると、女は微動だにせず、ただそこにじっとしていて、その目は穴が空いたように空洞だった。
「────っ!」
幽霊、おばけ、化け物。
そのような単語が頭をよぎり、俺は慌てて友人を追いかけた。
それは毎日そこにいた。
次の日も、その次の日も、同じ場所で座っていた。
動いたり襲ってきたりする様子はなく、俺以外には見えもしないようだった。
俺は毎日見て見ぬ振りをしながらそこを通り過ぎ、少し歩いてホームの奥の方で電車を待った。
通らずに済めば良かったのだが、ちょうど階段のところでそこを通らないわけにいかなかったのだ。
ある日、委員の仕事で帰りが遅くなった俺は一人ホームに降り、いつも通り早足で通り過ぎようとした。
その時、ギシギシ、ミチミチと音がした。
骨の軋むような音。見たくない不安に駆られつつも、見なければ安心もできない。
恐る恐る目線を向ければ、それは退避スペースいっぱいに詰まっていた。
通常より何回りも大きい身体を、首を曲げ背中を曲げ、丸まるようにして、箱に詰められたように隙間なく退避スペースを埋めている。
「ひっ……!」
思わず声が出て後ずさる。
それはギチギチと軋む音に混ざって声を上げた。
「ァ、ア、ァァ……」
ボキン、と骨の折れるような音が耳元で聞こえる。少しずつ大きくなる女が退避スペースに収まりきらず身体のあちこちを曲げていく。ゴリゴリと不気味な音が響く。
動悸が激しくなり汗が滲み出たところで電車が来て、俺は半泣きになりながら逃げるように電車に乗った。
次の日、仕事を放り出して友人と帰った時には女は元の大きさに戻っていて、いつも通りただ座っていた。
女はなぜか遅い時間になると大きくなるようで、俺は一人で帰りが遅くなった日は一駅歩くことにしていた。
「懐かしーなー、この駅!」
友人の一人が、そう言って電車から降りる。
成人式の後、飲みながら昔話に花が咲いた俺たちは、終電近いにも関わらず母校を見に行こうとこの東鳴了まで来ていた。
「そういやお前さー、高校ん時駆け込み乗車の常習犯だったよな」
「あー、電車来てたら飛び乗ってたな。すぐ次の来るのに」
話をしながらホームを歩く。
当時、こんなに遅い時間になったことはない。
酔った勢いで来てしまった俺は物凄く後悔していた。
「待つのが嫌だったんだよ」
言いながら、視界で向かいのホームを見る。
ホーム下の退避スペースは全て空で、あの女はいなかった。
「……良かった………………」
遅い時間ほど大きくなるのなら、どんな恐ろしい状態なのかと思ったが、女はいない。
今度はしっかり目線を向けてくまなく見るが、どのスペースにもそれはなかった。
卒業してから今までの間に消えたのだろうか。
突然現れたのだから、突然見えなくなっても不思議ではない。見えないのならば、わざわざ探す必要もない。
探して見つかっても嫌だし……との思いもあり、ホーム下を見るのは切り上げて、改札に続く階段へ向かう友人の後に早足で続いた。
その時、ギシギシ、ミシミシと音が鳴る。それは向かいのホームではなく、俺の足元から聞こえていた。
「ア、ァア、ァ……」
ボキン、パキンと音がして、ホームの下から指が覗く。ぐちゃぐちゃに折れ曲がったそれは、普通の指より数倍大きいものだった。
「……ァアア、ア……」
すぐそばで声がする。
向かいを見ても何もないはずだ。いつも帰りに見ていたのは、この1番線なのだから。