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短編集  作者: 雨音ルネ
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04. 黒猫/眼鏡/奈落

 黒猫の眼は真っ暗がりの中でも明るく輝く。

 夜から朝への帰り道を見守るように。

 奈落の底への道行きを見送るように。


「つれていかれるなら」

 ベッドに横たわる女から離れようとしない黒猫をしばらく見下ろしてから、私は男に率直に告げた。「あなたよりこの子がよかったです」

「君は僕よりその黒猫のほうがいいのかい?」

「はい」

 私は正直に答えた。「かわいい黒猫と見た目そこそこの男なら、そりゃあ黒猫のほうがいいですよ」

「あれ? そこそこ?」

 彼は首をかしげた。「おかしいな。僕は“美しい人間の男”になるよう構築されたはずなんだけど。あいつ、調整を間違えたのかな」


 ベッドの上に()せこけた青白い顔の女が一人、横たわっている。

 彼女の顔の真横に猫が一匹、頬ずりするように寄り添っている。

 まんまるの顔、満月のような金色の目、つやつやと美しい毛並み。この子は、肺を病み余命いくばくもない小娘のためにつれてこられた。人懐っこく、愛情深く、ずっと私のそばにいてくれた黒猫。


 黒猫は多忙だ。

 ある地域では、不吉の象徴、魔女の(しもべ)として嫌われ、殺される。

 別の地域では、幸運の象徴として大切にされ、かわいがられる。

 また別の地域では、魔除けや厄除け、商売繁盛のあてにされる。

 私のいる地域では、飼うと病気が治ると一縷(いちる)の希望を託される。


「私をつれていった後のことであなたにお願いがあります」

 私は単刀直入に男に切り出した。

「内容によるかな」

 安請け合いしない慎重さと誠実さは信頼してもよさそうだ。

「この子が健やかに安全に過ごせるよう見守ってください」

「君と一緒につれていってくれ、と僕に頼まないのかな?」

「まさか! この子は去年生まれたばかりで元気いっぱいですよ」


 生まれたときから明日をも知れぬ身だった私とは違う。

 この子のおかげで私は心穏やかに過ごすことができた。私はこの子と満足に遊んでやることもできず、ここ最近は一日のほとんどを眠ったままだった。さぞや退屈な同居人だったろう。それなのにこの子は毎晩、夜警のように、夜が明けるまでこうして私に寄り添ってくれたのだろうか。


「いいよ。君の回収が完了したら、次はこの子の回収までを担おう」

 男はあっさりと私の依頼を呑んだ。

「ありがとうございます」

 これでひと安心。私はほっと胸をなでおろした。


 そして唐突に気が付いた。

 ベッドの脇に立つ男の顔つきや表情が、はっきり見えている。ベッドの真上からサイドテーブルを見やった。眼鏡は置かれたままだった。

「眼鏡をかけていないのに、こんなにはっきり見えるんですね」

 我ながら感慨深げな声だった。両親が贈ってくれたイニシャル入りの眼鏡がなければ、私の視界は腕が届く距離のものさえ輪郭が水没したようにぼやける。

 それが今や、両目にレンズをはめたように、部屋のすみずみまではっきり確かめることができた。


 ベッドからろくに起き上がれない私が心地好くいられるよう、母が毎朝庭から摘んできて花瓶に活けてくれるバラの花。

 旅行どころか外出さえままならない私が楽しく過ごせるよう、父が本棚いっぱいに買いそろえてくれた世界中の本。

 七歳の誕生日に念願の絵筆と絵の具を手に入れた弟が描いてくれた色彩豊かな肖像画、そのすみに一丁前に記された小さな署名。

 壁際に(しつら)えた薬棚に消毒薬や鎮痛薬の瓶がところ狭しと並び、貼られたラベルの文字さえ読み取ることができた。


「君はすでに容器から摘出され僕に回収されつつある」

 男はハキハキと説明した。「君の容器はどこもかしこも不具合だらけだったが、君自身は正常に構築されている。だから容器から離れれば、その不具合の影響を受けなくなるのさ」

 容器。なるほど。彼のような存在からすると、私たち人間の肉体はまさしく容器という扱いなのも納得……できなくもない。


 そうか。私にはもう、眼鏡は必要ないんだ。

 お母さんと庭に植えるバラの品種を選ぶこともない。

 お父さんと読んだ本を語り合うこともない。

 下手な絵を褒めて弟を調子づかせることもない。

 長引く微熱に意識がもうろうとなることも、たくさん血を吐いてうまく呼吸できなくなることも、鎮痛剤の副作用に苦しめられることもない。

 この子の黒い毛並みをなでることも、二度とない。


「やっぱりあなたよりこの子がいいです」

「ただの猫では君を回収できない。潔く諦めてくれ」

 最後のあがきに、ちょっと駄々をこねたくなっただけだ。

 それなのに、この男は私をなだめようとさえしない。分厚い緞帳(どんちょう)のような雲に覆われた真っ暗な真夜中なのに、彼の笑顔は場違いなほど明るく陽気で腹が立つ。

 私の最後の一瞬なのに、一緒にいるのが家族でもこの子でもないこの男なの、やっぱり納得いかない。私は彼が私に言い放った数々の無礼千万な物言いを思い返しいらついてきた。だってこいつ、私が生まれたときから私を「そばでつねに状態観察(モニタリング)していた」くせに、私が「予定どおり回収期限を迎えるのを待っていた」だけなのよ!

 はぁ。せめてもうちょっとまともな相手がよかった。

「君は今とても失礼なことを考えていないかい?」

「そんなことないです」


 奈落の穴のような男の眼が、矢を射る弓のように細くたわんだ。

 くさくさした気分でベッドから離れ、彼に近づいた。今まで感じたことがないくらい身体が軽い。ふわふわと足が床から浮いているようだ。彼の横に立つと、無性に腹立たしく、それと同じくらいやたら美しい笑顔が私を迎えた。

「最後の挨拶だけさせてください」

 もはや私の声は届かないだろう。

 それでも私はあの子の名を呼んだ。


 空っぽの私の容器に寄り添っていた黒猫が、まんまるい顔を上げた。

 満月のような金色の眼が、私をまっすぐ見つめ返した。

診断メーカー「3つの単語お題ったー」でピックアップされたキーワードで書きました。

初掲載:https://twitter.com/RainyRhythm27/status/1287017625399091200

ところどころ加筆修正しています。

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