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短編集  作者: 雨音ルネ
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02. 心臓/人魚/愛日

 冬の太陽は暖かく、優しく(いと)おしい。

 夏の太陽は熱く、(はげ)しく恐ろしい。


 陽射しを浴びるだけで丸焼きにされるようだった。

 あの日も、街に住むお父さんがお母さんに会いに来ていた。僕は家にいたくなくて出かけることにした。どうせお父さんとお母さんは部屋にこもって出てこない。僕は仕方なく家の裏の入り江を探検することにした。

 僕の家の裏は、白い砂浜の小さな入り江になっている。東側に小さな洞窟がいくつもある。お母さんもお父さんも誰も知らない、僕だけの秘密の場所だ。


 青空のてっぺんで太陽が燃え盛っていた。

 山脈のような雲が水平線に浮かんでいた。

 黒い岩が敷石のようにごろごろ転がる磯を、僕は麦わら帽子もかぶらず歩いた。

 炎で熱した鉄板の上にいるみたいに頭がぼうっとして、全身が破裂しそうなほどほてってきた。まずいと思ったとき、空が傾き、雲が横たわり、水平線が垂直になった。透明な青が見えた。底なしの青。海の中はとても冷たくて気持ちがいいのに、息をしようとしても塩辛い海水が流れ込むばかりで苦しかった。


 遠くから小さな音が聞こえてきた。一定の間隔で、でも時計の秒針みたいに硬い感じじゃない。お腹いっぱいに息を吸い込み、鼻をつまみ、海中に潜ったとき、耳の奥で聞こえる音とよく似ていた。


 僕はすぐに正体をつかんだ。

 心臓の鼓動だ。


 まぶたをくすぐられるようなむずがゆさに目を開けた。

 乳白色のガラス人形のような女の子がいた。磨いた貝殻の内側が虹色に光るみたいに、不思議な色のふたつの目が僕をじぃっと見ていた。僕は砂浜の波打ち際で女の子に抱えられ横たわっていた。


 水をはたく音に引き寄せられ足の方に目線を動かした。

 女の子の腰から下は、ほっそりとした魚のそれだった。

 宝石を薄くはがした花びらのような鱗に覆われ、光の加減で瑠璃色や銀色やバラ色に変わる大きな尾びれが、羽衣のようにひらひらと揺れていた。


「やっと目を覚ました」

 女の子はほっとした様子で笑った。「あなたはこっちに来ちゃだめでしょ」

 この子と一緒にゆっくり起き上がると、僕は砂浜にあぐらをかいた。

「こっち?」

「あなたはこっちに落ちてきた」

「ここは君の家なの?」


 僕は周りを見回した。

 広々とした洞窟のようだった。出入り口は見当たらなかったけど、頭上にいくつも裂け目があって、隙間から金色の光がきらきらと降り注いでいた。僕の知らない場所だった。


「ここは私たちが暮らすところよ」

「僕は君の家に勝手にお邪魔しちゃったんだね。ごめんね」

「あなたみたいなひとはたまにいる。目が覚めたなら早く帰りなさい。あなたが暮らすところまで私がつれていってあげる」

「帰りたくない」

 二重に鍵をかけて動かなくするように、僕は両腕でぎゅっと膝を抱えた。

「帰らなきゃだめよ」

 女の子は困ったように首をかしげた。

「今はまだ家に帰りたくないんだ」

「どうして? ここに来たひとたちはみんなすぐ帰りたがるのに」

「家にお父さんが来ているんだ」

「そのひとが嫌いなの?」

「ううん、好きだよ。すごく面白くて優しいんだ。でも……」

「ひどいことをされているの?」

 女の子は心配そうに僕の顔をのぞき込んだ。

「街で一緒に暮らそうって言われた。お母さんは喜んでた。ずっと僕とお父さんと三人一緒に暮らしたいって言ってたから。僕だってお父さんと一緒に暮らせるのは嬉しい」

「それなのに帰りたくないの?」

「お父さんと一緒に暮らすと僕は遠い街に行かなきゃならない。名字も変わるんだ。学校にも行けなくなるし、友達にも会えなくなる。いきなりそんなこと言われたって困るよ」


 嬉しそうなお母さんにも満足げなお父さんにも、こんなこと言えなかった。

 日記にしか書けなかったむかむかしてイライラして悲しくて寂しくて悔しい気持ちが、暗い空洞の天井からぽたぽた落ちる冷たい地下水みたいに流れ出た。


「僕のことなのに、なんでお父さんとお母さんだけで勝手に決めちゃったんだろう」


 三人で暮らすために遠い街に来てくれるかい?

 家族になるために名字が変わってもいいかい?

 この町の学校に通えなくなってしまうんだ。

 友達とも離れ離れになってしまう。

 寂しい思いをさせてしまうね。ごめんよ。

 それでもお父さんやお母さんと一緒に来てくれるかい?


 僕に聞いてほしかった。

 僕だって言いたいことがあるんだ。

 僕とも話をしてほしいんだ。

 お父さんもお母さんも、僕の気持ちなんてどうでもいいの?

 僕はまだ子供だけど、僕だって家族なのに。どうして僕のことを、家族のことを、僕を仲間はずれにしてお父さんとお母さんだけで決めちゃったの?


「ここにいたいならいてもいいよ」

 女の子の静かな声が細波(さざなみ)のように僕を(ひた)した。

「本当?」

「でも、おとうさんとおかあさんには二度と会えない」

 雪に閉ざされた真っ暗な冬のように寒気がした。

「絶対に嫌だ」

 僕は叫ぶように答えていた。

「じゃあ、帰ろう」

 女の子が僕に手を差し出した。僕は白くて華奢な手を取っていた。驚くほど迷いはなかった。

 女の子が僕を優しく抱きしめた。僕も女の子を抱きしめ返した。


 全身に力強く脈打つ僕の鼓動が響いた。


 瞬きをしたら、僕は家の裏の浜辺に立っていた。

 女の子は少し離れた海の中から僕を見ていた。

「もうこっちに来ちゃだめよ」

「うん。帰らせてくれてありがとう」

 これ以上に嬉しいことはない。そう言わんばかりに女の子は笑顔になった。輝く宝石より綺麗で、太陽の光を照り返す海よりまぶしくて、僕は言葉もなく見惚れた。

「じゃあね」

 しずくが一滴、水に滴るような音だけ残して、女の子は海の中に帰って行った。


 僕の手のひらに宝石色の鱗がひとつ貼りついていた。指でつまんで透かして見ると、さっきの女の子の笑顔がよみがえった。心臓の鼓動が痛いほどうるさくなった。僕は鱗を包んだ手で胸を押さえた。


 またあの子に会えるかな。会いたいな。

 そんなことを考えながら僕は家の扉を開けた。真っ白な光が僕を襲った。目がくらんで何も見えなくなった。


 すぐそばで泣き声と僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 僕は病院のベッドの上でたくさんの機械や管に繋がれて寝ていた。夏に家の裏の入り江で溺れ、救出されたけど意識不明のまま数か月も眠っていたらしい。病室の窓の外は一面真っ白な雪に覆われ、数日ぶりの晴れ間に活気づく真冬の都会の街並みだった。


 冬の太陽は暖かく、優しく(いと)おしい。

 僕が目を覚ました晴れた冬の日から、お母さんやお父さんとたくさん話をした。冬の太陽が寒さを優しくやわらげるように、僕のむかむかしてイライラして悲しくて寂しくて悔しい気持ちはなだめられ、おちつき、ほぐれていった。僕とお母さんとお父さんは暖かな本物の家族になった。僕は新しい生活、名字、学校、友達も愛するようになった。


 夏の太陽は熱く、(はげ)しく恐ろしい。

 今でも僕は、僕を殺そうとしたあの夏の陽射しと海が恋しくてたまらない。

 僕の左胸にできた痕が、あの子の鱗と同じ形か確かめたい。

 あの海で、今度はあの子の心臓の音を聴きたい。

診断メーカー「3つの単語お題ったー」でピックアップされたキーワードで書きました。

初掲載:https://twitter.com/RainyRhythm27/status/1282122382702858240

改行や言い回し程度ですが、ところどころ加筆修正しています。

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